2014年11月20日木曜日

米は炊くもの! おこげと日本の炊飯器の歴史秘話

 米、ご飯です。ご飯を炊く、米に水を入れて炊く。炊飯です。それは煮るではないのか、と(海外からやってきた友人たちに)聞かれることがありますが、「煮」ではありません。「炊」です。

 炊くは「焚く」に通じます。火を焚き、食物を炊くのが炊事です。
 「煮る」については、ぐつぐつ煮るというような言葉があるがごとく、煮込んで柔らかくすることを意味していますし、それは食べ物ではなくてもよいのです。糸を煮るなど。
 が、炊くは、食物に限られますし、火が通ったら出来あがり、なのです。米は炊く。煮込んだら粥になってしまいます。
 粥を炊くという言い方を関西文化圏ではするようですが、粥は煮るもの。

 炊事っていったら、基本、米を炊くことでしょ。だから、パエリアは炊く、リゾットは煮るだよね、と私は説明しています。といっても、リゾットを炊くと主張する方もいて、時々、首を傾げられてしまうのも事実ではありますが。ニホンゴムズカシイネ。

 「炊」って、火に欠ける、です。土に欠けるは「坎」です。土に穴があいて、水がたまるという意味が坎なのです、易でご存知の通り。ということは、火の中に器を入れるのが炊なんじゃなかろうかと思うわけです。漢字の起源をちゃんと調べたわけではなく、私の想像ですけどね。

 さて、前座のお話が長くなってしまいましたが、「炊飯器」の話題です。炊飯器は、日本の家電メーカーが作成しました。米を食べる国、そして、家電技術力を持った国、日本が世界で最初に炊飯器を作りました。

 私の父は、家電メーカーの技術系サラリーマンでした。私が子供の頃の話ですが、父は東南アジア向けの炊飯器の試作プロジェクトに関わっていました。そのプロジェクトで行われていたことは、炊飯器の底におこげを作ることです。「おこげ」です。炊飯器で炊いたご飯におこげはできません。それが炊飯器のすごいところです。

 かつて、釜で米を炊いていた時代、おこげが出来るのはあたりまえでしたが、問題はそのおこげの程度。うっすらと茶色にできるおこげを好む方は多いのですが、釜に接したところには、炭米に近い部分が出来てしまうのです。水加減を失敗すると、本当に焦げて、がりがりの炭米の部分がたくさん出来てしまうのですね。
 北関東の祖母の実家には、古い竈があり、大きな釜があって、そんな話を祖母から聞いたことがあります。竈と釜でご飯を炊いたこと、実は私はあるんですね。まあ、小さな客人が来たというので、イベントとしてやっていただいたようなものなのですが。そして、釜の底にがりがりについた炭米を取るには、釜に水を入れて沸かすのです。

 が、この焦げ米、なんと、懐石の最後に出てくる、湯桶に使用されているものでもあります。湯桶は、「ゆおけ」ではなく「ゆとう」と読みます。風呂屋にあるケリロン桶ではありませんので、念のため。
 「ゆおけ」と混同されるのが嫌なのでしょうか、最近は湯斗と書くことが多いようでして、では湯斗(湯桶)とはなにかといえば、焦げ米(最近は炒り米を使用)とお湯を、ご飯にかけて湯漬けにしていただくもの、です。
 といっても、私は懐石の最後には、炒り米の入ったお茶?を最後に飲んで締めくくりなんだなあ、と、ずっと思っていたわけですね。あれ、本当は湯漬け用のお湯だったのか~。まあいずれにせよ、釜に残った焦げ米を最後までいただくというものが湯斗です。
 ついでですが、お茶漬けって、釜に残ったお焦げご飯にお湯をぶっかけて食べていたのが起源だと思います。お茶漬けのもとにはアラレのようなものが入っていますが、あれ、焦げ米の代わりですね。

 とにかく、下手におこげなど作ってしまうと、米が炭化して食えなくなってしまう恐れがあり、そこに、おこげができない炊飯器が登場したわけですから・・・。まったくおこげのできない炊飯器! 偉大!

 しかしこの炊飯器、東南アジアでは大不評だったそうです。「うっすら茶色のおこげのできるご飯」じゃなくては、おいしくない。おこげのできないご飯なんて、不味いということで、売れなかったんだそうですね。タイなどでは、鍋で米を煮る状態に近い炊き方をしますが、底は、うっすらおこげ状態です。
 というわけで。「おこげのできる炊飯器を作れ」の指令が、家電メーカーの開発室に発令されました。

 「それがなあ、面倒なんだ」と私の父は言いました。簡単に説明すると、おこげを作るためには、高熱が必要、つまり、消費電力が増えるのだそうです。しかもその消費電力に耐えられる構造にしなくちゃならん、というわけで、国内生産用とは別のラインを立ち上げる必要があるとかなんとか、そういう話だったと思います。
 そんなこんなの末に、おこげのできる電気炊飯器がめでたく完成し、父は、東南アジア方面の長期の海外出張に出かけていきました。

 我が家は当時、父一人娘一人の父子家庭。父が出張に出かけた後の家に、中学生の私は一人暮らしで、毎晩、電気炊飯器でご飯を炊いていました。まあ、海外出張でなくても、父は帰りが遅く、ほとんど私が寝る頃に帰ってきていましたから。
 父は東南アジアの後は、アメリカ南部へと、またまた長期出張に出かけて行きました。アメリカ南部では、米のメニューが多いのだそうです。デニーズのジャンバラヤみたいなメニューですね。当時、南部のどこかの州のTV局に出演したと言っていましたっけ。

 「おこげのできる炊飯器、今度家に持ってきて」と私が言ったら、「おまえ、おこげ好きなのか? 焼きおにぎりのほうがうまいぞ」と。
 父は、日曜日には昼までずっと寝ており、昼過ぎにのそのそと起きだして、前夜の残りごはんで焼きおにぎりを作るのが趣味でした。柔らかいご飯では焼きおにぎりはうまくできませんから、私はいつしか、土曜日の夜は固いご飯を炊くようになっていました。水を1割減らしめにしてしっかりと炊いておけば、次の日の焼きおにぎりは、それはそれはおいしくできるのです。日曜日の午後は焼きおにぎり。

 でも、新米の時期になると、これがなかなかうまくできないのです。新米は水分含有量が多いので。「米が柔らかいから、焼きおにぎりがうまくできなかったんだ、これ、茶漬けにして食っちゃおう」と、そんな時がありました。飲み屋で出てくる「焼きおにぎり茶漬け」っていうやつですね。
 飲み屋でもないのに、そんなメニューが日曜日の我が家の定番。しかも、新米の季節は、シャケの季節だったりもしまして、焼きおにぎりシャケ茶漬けというのを、よくやりましたっけね。
 
 あの炊飯器・・・電気釜と呼んでいましたが、私が幼稚園の頃に我が家にやってきて、私が家を出る時にも持って行って、(その電気釜じゃなきゃ、好みのご飯が炊けなかったからですが)、そして私が30代になるまでずっと使いました。25年以上使ったことになります。
 
 あれから時が流れて・・・
 今や炊飯器は、万能調理機になったようです。ご飯を炊くだけではなく、煮込み料理もできれば、ケーキも焼けるんですって。もしかしたらもう、炊飯器って言わないのかも、ですね。

※写真は竈と釜です。開成町の郷土資料館で撮影。




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