2015年7月27日月曜日

薬用植物というより魔界植物。閻魔大王も江戸っ子も、みんな大好きさ、蒟蒻

 日本のお盆事情はまことに奇妙で、本来は旧暦七月十五日に行っていたものを、明治の改暦以降、7月15日という日付はそのままに、新暦(グレゴリオ暦)で行うようになってしまった地域がある。一方、農村や地方では、月遅れ盆として新暦8月15日に行うようになったため、7月15日と8月15日の二系統が生じた、これが日本のお盆の特殊事情です。
 ということはさておき、盆の料理は祖霊のために作るので、基本的には精進料理。がんもどきや蒟蒻などが大活躍。…が、しかし。蒟蒻って、もともとは薬用植物だったんですよ。

 東南アジア原産の蒟蒻が日本に渡ってきたのは6世紀の頃で、仏教の経典などと一緒に渡来したものらしい。当時は、貴族など身分の高い金持ちしか口にすることができなかったという食材。しかも薬用。コンニャクマンナンを使用したダイエットか?そういえば、平安貴族には糖尿病が多かったという説があるから…という連想をするのが、現代人の発想なのだろうが、そうではない。蒟蒻の効用はというと「腸内の砂おろし」だそう。
 
 祖母も、そんなことを言いながら蒟蒻の煮物を食卓に並べていたことがありましたね。「砂おろしって何?」と、私は聞いたことがある。なんで腸に砂なんて入っているわけ?鶏でもあるまいに。と聞いたら「腸に詰まった汚れを取り除く」と祖母は言いましたが…もしかしてそれは宿便? 砂の意味がいまいち判明しないのですが、とにかく「砂おろし」だそうで。が、しかし。現代では、むしろ蒟蒻を食べ過ぎて腸に詰まるほうを心配したほうがいいような気もします。
 
 蒟蒻の作り方ですが、本来は収穫した蒟蒻芋を生のまますりおろし、お湯を混ぜて練り、そこに灰を混ぜて固めたら茹でる。簡単にいうとそんな感じだそうです。(そんな感じだそうです、というのは、実際にやったことがないため。)
 
 蒟蒻は、荒れ地でも出来るということで、作物に乏しい村などでよく栽培されたのだとか。肥料はそれほどいらないけれど、水はけが悪いと育たず、収穫するまでに3年はかかるという。冬になると芋を畑から掘りあげて保存し、春に再び畑に植えて育てる。これを繰り返し、3年たつとようやく収穫できる大きさになるのだとか。掘り上げた芋の中で3年たったものを蒟蒻にする。そう、晩秋に掘り起こした芋をすりおろして作るのが蒟蒻。だから、本来は冬の食材だったというわけ。
 
 蒟蒻が大人気となって巷に広がったのは、江戸時代に入ってから。人気の理由は、あのぷにょぷにょした食感にあったらしい。また、昔は高貴な人しか食べられなかった薬用植物だったというのも、人々の興味を惹きつける要因だったのかと。江戸時代、「蒟蒻百珍」という料理本が発売されますが、これは「豆腐百珍」の蒟蒻版。
 
 江戸では「芝居蒟蒻芋南瓜(しばい、こんにゃく、いも、なんきん)」とまで言われたらしく。これは女子が好む物だそうな。といっても、井原西鶴(1642年-1693年9月9日(元禄6年8月10日)は「浮世草紙」で、「とかく女の好むもの 芝居 浄瑠璃 芋蛸南瓜」と記しており、「蒟蒻」がないことからすると、井原西鶴は蒟蒻嫌いだったのかも…。
 
 そして江戸の町で、蒟蒻がバカ売れしたのは、富士山の噴火のおかげ。蒟蒻は「腸内の砂おろし」効果があると信じられていたため。1707年(宝永4年)将軍綱吉の治世、富士山の噴火で江戸の町にも火山灰が降り注いだわけですが、その火山灰を体の中から出すのに効果があると信じられたのが…「蒟蒻」。つまり、一種の健康食品みたいなものとして認識されていたということ。

 ところで、古くは蒟蒻は冬の食物でありました。それは蒟蒻芋の収穫が秋だったから。
さらには蒟蒻作りは含まれるシュウ酸のせいで手が荒れるので、一般家庭で簡単に作れるものではなかった。そして作った蒟蒻は、日持ちせいぜい2~3日。
 が、その蒟蒻、冬だけでなく手軽に食べられるようになったのは、中島藤右衛門(1745~1825)のおかげ。中島藤右衛門は、茨城県北部の人であるが、乾燥した芋が腐らないことに注目し、15歳から蒟蒻を乾燥させて粉にする実験をはじめ、見事製品化にこぎつける。つまり、こんにゃくの製造革命を起こしたわけです。蒟蒻粉は保存は効くし、持ち運びにも便利。そしてすりおろす手間も省けるというわけで、更に広く普及していくのでありました。

 盆に蒟蒻を食するようになったというのは、たぶん仏教と蒟蒻の関係性、精進料理に使用するあたりからかと思われます。閻魔様は、盆で亡者が地上に帰っている間はお仕事お休みなのだそうですが、盆の食材を仏前に供える関係性から、蒟蒻が閻魔様の好物ということになっていった可能性はあります。
 
 「蒟蒻閻魔」は、文京区にある源覚寺に安置されている閻魔像ですが、蒟蒻閻魔の名前の由来は、宝暦の頃(1751年-1764年)眼病を患った老婦人が7×3=21日間の参籠をする。すると満願の日の夢に閻魔大王が現れ、「私の片方の眼をあげよう」と告げた。目覚めてみると老婦人の眼は治り、代わりに閻魔像の片目が濁っていたという。老婦人は、自身の好物である「蒟蒻」を断ち、閻魔像に供え続けたというお話。そこから「蒟蒻閻魔」という名前が有名になったわけです。いかにも蒟蒻が江戸で人気の食材だったということを漂わせるお話であります。
 
 蒟蒻は地下茎(芋)でも増えるし、種でも増える植物ですが、蒟蒻に花が咲くのは夏。蒟蒻の花はたいへんに臭いという。ラフレシアみたいな匂いで蝿がたくさん寄ってくるのだとか。だから、スマトラオオコンニャクには、(死体花)という和名がついているぐらい。小石川植物園などにスマトラオオコンニャクの花を見に行った方もおられましょう。つまり、蒟蒻は地下冥界に芋を作り、腐った匂いをまき散らす花なのであります。
 しかも、生のまま食べると毒。シュウ酸が大量に含まれているので。まあ、芋はたいていがそうですが、害虫を寄せ付けないためにシュウ酸を含んでいます。そのシュウ酸を水にさらし、灰汁を混ぜ、いわゆるアク抜きをしてようやく食材にできるわけです。生の蒟蒻を食べるのは厳禁。時々、生芋を食べてしまい、病院に駆け込む方がいるそうですので、気をつけましょう。生芋は素手で触るのもやめたほうがよく、とにかく危険な食材なのですね。蒟蒻を乾燥させて粉にした蒟蒻粉は、生芋ほどの破壊力はなく、攻撃性がかなり低下しているということですが、それでも素手で蒟蒻を作るのはやめたほうがよいそうです。花は臭く蝿が集まり、地下には毒の芋。ああ、これではまるで魔界植物ではありませんか。まさかそこから…閻魔様のお供え物になったというわけではない、とは思いますが。
 
  さて、中島籐右門は、茨城県北部の山方町の蒟蒻神社に祀られております。山方町は私の母方の曾祖父が暮らしたことのある地で、子供の頃に墓参に行ったことが何回かあります。あれは寺の山門の百日紅の花が満開の頃でしたから、7月だったのでしょうか。墓の移転で親戚一同が集まり、たぶん寺の本堂で会食をした記憶があります。在の寺ですから、お寺さんで食事を支度してくださる。そこに蒟蒻の煮物がついていまして、ご住職が蒟蒻に手を合わせてから召し上がっておれらる。ずいぶんと信心深い方だと思ったら、「縁あって山方塾に住まっておられた方の御供養ですから、蒟蒻には手を合わせていただいて」などとおっしゃっている。「こんにゃく?」と聞いた私に、ご住職は中島籐右門のお話をしてくださった、というわけです。その神社、どこにあるの?と祖母に聞きましたら「山奥。」だとか。寺の山門まで辿りつくよりももっと多くの階段を上らないといけない山の上の神社だと、祖母は私にそう説明しました。
 
 子供の頃は蒟蒻なんてそんなに好きじゃなかったんですが、最近、蒟蒻を出汁と鷹の爪1本入れて煮含めたのが、しみじみと美味しいと思うようになりました。そういえば、祖母は墓を移転したことをずいぶんと悔やんでいましたっけ。そういうわけで、私は蒟蒻神社にはまだ行ったことはありません。合掌。            (占術研究家 秋月さやか)



※ 向島百花園の蒟蒻。通常、畑で栽培している蒟蒻と同じ種類。5月の半ばに咲いたとかで、行った時にはもう茎は枯れていた。植えてから5年ぐらいしないと咲かないそうで、普通の畑では花は咲かない。




※ 鷹の爪は、16世紀以降に入ってきた食材なので、蒟蒻の唐辛子煮というのは、比較的新しい料理であるといえそうですが。


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2015年6月6日土曜日

桑の実のアントシアニンは熱き血潮、唇の色。恋せよ乙女、その輝きが褪めぬ間に

 「ロミオとジュリエット」を観たいと思って「ぽすれん」で探してみた。1968年、フランコ・ゼフィレッリ監督の作品。その前に、いったい何本のロミオとジュリエットが作られたことか。でも、あのフランコ・ゼフィレッリ監督の作品が最高傑作であることは間違いない。

 ジュリエット役は、かの有名なオリビア・ハッセイ。ロミオ役はレナード・ホワイティング。シェイクスピアに忠実に演出するのなら、2人は16歳と14歳。自分の役柄を完全に理解して演じるなんて、できるわけない年頃かと思う。でも、理解なんてできないという部分もまた、魅力なのだろう。そのあたりの計算は、すべて監督さんがしているわけだ。
 
 私は恋愛映画が好きなわけではない。どっちかっていうと面倒くさいのであまり観ない。しかし、ゼフィレッリ監督の作品は別格、それに、ロミオとジュリエットの原典となっているギリシャ神話のピュラモスとティスベのテーマは、恋愛というより、人の想いの矛盾というか・・・。
 
 さて、ギリシャ神話(ギリシャ悲劇)のピュラモスとティスベのお話はというと、隣同士の未婚の男女が、お互いの姿を見てひとめぼれ、夜な夜な壁越しに愛をささやき合うところからはじまっている。堂々と逢うことができず、壁越しにささやきあう状況は、何やらネット越しのメール恋愛のような。その想いが募って、郊外でデートしようという話になる。妄想が想いを加速させるのである。
 
 ロミオとジュリエットの最初の出会いは「仮面舞踏会」。
 どんな人なのか、妄想をかきたてられるジュリエット、そして、な・な・な・なんと。ロミオは敵の家の息子だった!禁じられた愛。そう、そのまま諦めればよかったのに。ときめきも人の噂も75日、初物は75日たてば旬を過ぎておしまいに。
 
 しかし有名なバルコニーのシーンで、ロミオは聞いてしまう。名前(家)さえも捨てて結ばれたい、というジュリエットの生身の独白を。いや、妄想なんですよ、これは。乙女の妄想。
 とはいうものの、ネグリジェ姿の乙女が訴える熱き血潮の滾り。ああ、そんな想いを耳にして、自分を止められる男がいようか。(たぶんいない。)
 それが、2人の悲劇の始まりである。聞かなければよかったのに。そう、想いが通じてしまったところから、悲劇は始まるわけです。
 
 ロミオとジュリエットの舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派に分かれて争っていたというので、敵同士の家柄が登場するのに最適の地だったようである。
 現在、ヴェローナには「ジュリエッタの家」というのがあるという。観光ツアー必見の場所。ただし、ジュリエットは実在の人物ではないので、これは架空の家なのでありますが。
 そのジュリエッタの家にはバルコニーがあるのだが、もともとこの家にはバルコニーはなく、後から付けられたのだという。しかし、写真で見る限り、よじ登れない感じのバルコニーで、ちょっと不自然。と思っていましたら、そのバルコニーは古代の石棺を使ったものなのだと、FB友達の文学研究者氏から教えていただきました。おお、石棺。なんだか不幸な恋の物語にふさわしい。
 
 年配者からすると「情熱のままに突っ走る愚かさ」に、ちょっぴり羨望のような感覚を抱くこともあるわけですね。若い、無邪気(愚か)、陶酔。これはすべて私にはないものだわ。まぶしく切なくもどかしく。そして一瞬。ああ、最高ではないですか。
 
 シェイクスピア作では、ラマスデー(8月の初め)にジュリエットが誕生日を迎えることになっており、その後、舞踏会が行われるので、これは夏から秋へと向かう時期の話になるわけだ。

 しかし、ギリシャ神話(ギリシャ悲劇)のピュラモスとティスベのお話はもう少し前の時期の設定である。なぜなら、この話には桑の実が登場するからである。

 恋人同士は、郊外の桑の木の根元で待ち合わせをすることにした。彼女が先について待っているとそこに獅子があらわれる。彼女はびっくりして逃げる。逃げる時に、スカーフを落としてしまう。獅子は彼女のスカーフを引き裂く。するとそこに、桑の赤い実の汁がついてしまう。その色がまるで血のようで、後からやってきた彼は、引き裂かれたスカーフが血まみれになっていると思い、彼女が獅子に殺されてしまったと早とちりして、命を断ってしまう。悲劇というより…困った喜劇のようなお話なのである。
 このお話を原典としてシェイクスピアが書いたのがロミオとジュリエットなのですよ。
 
 さて、桑、マルベリー (Mulberry) の実が実るのは、夏至の頃である。種類にもよるとは思うが、山桑はだいたいその頃。桑の実は熟すると赤から濃紫へと変わる。この赤い色素はアントシアニンである。アントシアニンは抗酸化物質であり、pH によっても色が変化する。ポリフェノールも含まれているので、心臓病を防ぐとか、肝機能を助けるとか、若返り効果があるとか、まあ、そのように言われる。命の実…というようなイメージなのか。
 
 マルベリーは濃紫色を意味する色名でもあるが、その語源は桑。赤い桑の実は陽の光に透き通って綺麗だが、かなり酸っぱく、食用にはまだ適さない。桑は、その色が濃紫になってから摘み取るのである。指がまるで血にまみれたようになる。私は桑の実を摘んで洗い、ガラス瓶に入れて砂糖をまぶす。しばらく漬けておくと、濃紫のジュースが出てくる。これはジャムにしてもよい。

 桑の実を摘みながら、私はいつもロミオとジュリエットの物語を思い出す。桑の実が実る夏至の頃。太陽は輝き、鳥は歌い、風は香る。すべてに命の勢いがある。しかし、この美しい景色も、あと75日もしないで萎れていくのだ、と。そう思えば、すべてがまぶしく切なくもどかしい。この一瞬。
 桑の実の色が、あたかも私に命の輝きを蘇らせてくれる秘薬のような、なんだかそんな気がしてくる。熱き血潮のアントシアニンの果実よ。   (占術研究家 秋月さやか)

参考文献:ピュラモスとティスベの物語→「ギリシャ神話小事典」バーナード・エヴスリン 小林念訳
写真は箱根ビジターセンターで撮影。
               

2015年3月30日月曜日

桜の季節の人気者はクマリ~ン! 「くまもん」ではなく「ラブリン」でもなく「クマリン」! 

 日本人は桜が好き。実際、桜の種類が世界一多いのは日本であるという。山桜、大島桜、彼岸桜、富士桜、緋寒桜、上溝桜、深山桜、などが古くから自生している桜で、それらを原種として交配しながら新種が作り出されてきた。

 たとえば、大島桜と緋寒桜の交配が、最近話題の河津桜。ソメイヨシノは、彼岸桜(江戸彼岸)と大島桜の交配種というように。ソメイヨシノばかりが桜ではなく、ソメイヨシノの前にも寒桜や緋寒桜があり、ソメイヨシノの後に八重や深山桜があり、それはそれは見事なものであります。寒桜は冬至過ぎに咲き、上溝桜は高地では夏至近くになってようやく咲くので、つまりは1年のうち半年は桜の花見ができるというわけですね。ああ、花見、花見。
 
が…。
花見の季節は、花より団子ではなく、花より餅。そう、桜餅!
 
 桜餅には、大きく2種類があるのはご存知かと思います。道明寺粉を使った関西風と、薄焼の皮で包む関東風。しかし、そのいずれであっても、塩漬けの桜葉は必須。とにかく、あんこと餅(あるいは饅頭皮のようなもの)を、桜葉で包んだものが桜餅というわけですから。
 
 花を眺めながら、葉を食べる、つまりはそれがお花見ということですね。葉はもちろん、前年の葉を塩漬けにしたものですが、しかし、ソメイヨシノの葉ではありません。

 日本の桜葉の塩漬けの大部分を生産するのが伊豆松崎町。そして用いるのは大島桜の葉。大島桜は伊豆大島に生える桜で、もちろん伊豆松﨑町は、大島桜の生育に適した土地であるということもあり、ほとんどの桜葉はここで生産されるのだとか。
 
 桜葉の塩漬けは、自宅でも簡単にできます。大島桜ではなく、葉の柔らかい種類ならなんでも。吉野桜でも、八重桜の葉でも、山桜の葉でも。ただし、ポイントがひとつだけ。夏になる前に(葉が固くなる前にっていうことです)摘み取ること。そして、豆桜や富士桜は、小さくて固い葉なので、ちょっと無理です。
 
 そうそう、あんこと餅(あるいは饅頭皮のようなもの)を桜葉で包んだものが桜餅なので…。
そう、自宅で作るにはどうしたらいいかっていうこと。

 いちばん簡単な方法をお教えしましょう。大福を買ってきます。半分に切ります。桜葉で巻きます。はい、出来あがり。簡単なわりに、これはわりといけますので、ぜひ試してみてください。
 クレープの皮をフライパンで作り、あんこや羊羹を包んで桜葉を巻くという、中級者向けのバージョンもありますが、とにかく桜葉の塩漬けさえあれば、アレンジ次第で、いろいろなものが作れるのであります。
 
 長命寺の桜餅は、山本屋が墨田川の堤の桜の葉を塩漬けにして作ったという歴史があるのですが(長命寺の門番であった山本新六が、土手の桜の葉を用いて塩漬けを作りはじめ、享保の時代に江戸向島の長命寺の門前にて売り出したところ、これが大当たり!)、
 しかし、山本屋の桜葉は、ソメイヨシノのものなのでしょうか? 見たところ、大島桜のように見えるのですが…さあて。
 ソメイヨシノと大島桜の葉の見分け方としては、葉の表面に生えている毛だそうです。大島桜は、毛がなくてつるつるしているのだそうです。買って帰るやいなや、待ち遠しくてすぐに食べちゃう桜餅ですが、こんど、葉をじっくりと眺めてみましょうか。

 いやあ、花見はおいしい。…じゃなくて楽しい。桜の花を眺めるだけでも、なんだかうきうき、楽し気分ではありませんか。それはきっと、クマリンのおかげなんですよ。そう、クマリンの。

クマリンの正体やいかに… 
 桜葉のあの独特の香り。その芳香成分がクマリン。そう、クマリンの正体は芳香成分なのでありました。あの香りがなかったら、桜餅じゃないって。
 そしてクマリンには、なんと抗酸化作用があるのだとか! つまり、アンチエイジング若返り成分の香り。すごいでしょう、クマリン。ただし、クマリンを大量に採ると毒ですので、香りを楽しむ程度で。そして、クマリンは、桜葉をしばらく塩漬けにしておかないと生成されません。桜の秘密、クマリン。
 
 桜は花(つぼみ)も塩漬けにして食べます。どんな桜であっても可能ですが、こちらは、色が鮮やかで花びら量が多い八重桜で作ることがほとんど。色を鮮やかに出すために、塩だけでなく、酢(梅酢)も入れて漬けるのだとか。もしかしたら、河津桜でも出来そうではありますが。
 結納の席などで出てくる桜茶だけでなく、和菓子や料理の色どりなどにも使われます。私は、甘酒に入れるとか、大根の甘酢漬けに入れるとかしていますが。
 
 桜は皮も薬用になります。桜皮を煎じて飲むのです。苦いのですが、ほのかに桜の甘味が漂うような味がします。私の叔母が子供の頃、春先になって目が痒くなると、祖父と一緒に山に桜皮を採りに行ったといいます。春先のかゆみに桜皮、古くから言い伝えられている民間療法です。桜皮は、漢方薬店でも買えます。
 
 桜はもちろん実をつけます。上溝桜(うわみずざくら)という高地に自生する桜は、一見、桜の花らしからぬ桜です。その実は果実酒にするのですが、これ、「あんにんご」と呼ばれます。アンズの種子(杏仁/キョウニン)に似た芳香であるため、「あんにんご(杏仁子)」と呼ばれるようになったのだとか。(中華料理の杏仁豆腐は、アーモンドエッセンスを使用しますが、あの香りです。)
 なんと。上溝桜の種子は不老長寿の薬酒になるという言い伝えがあり、西遊記の三蔵法師は、ウワミズザクラの種子を捜し求めて旅に出たのだとか。えっ?天竺に経文を取りに行ったんじゃなくて、不老不死の薬酒を探しに?! 

 ただし、桜の中でも、実生で増えることのできない桜があります。それは…ソメイヨシノ。ソメイヨシノは、江戸時代に作りだされた、ただ一本のソメイヨシノを親木として広まったクローン桜なので、実生で増やすことはできません。実をつけることはつけるのですが、その実を蒔いても、ソメイヨシノにはなりません。しかし、接ぎ木でその命を長らえていくという、これまた不思議な桜なのであります。
 
 桜は、不老不死の力を秘めていると考えられた植物でありました。
 コノハナサクヤヒメは、富士山の上から桜の種を蒔いて花を咲かせる女神であったと言い伝えられます。桜が咲くと春。そして地上は若返り、新たな緑が地上を覆う。新たな生命の息吹を与える女神が、コノハナサクヤヒメであったわけですね。

 そして、桜に含まれる抗酸化作用のある芳香成分クマリン。桜が咲くと、なんとなくうきうきして若返るという人、多いような気がしますが。それは芳香成分クマリンのなせる技なのですよ、きっと。     (占術研究家 秋月さやか)

※写真は大島桜。





2015年3月29日日曜日

流行り風邪には、「久松留守」よりも「生姜在宅」のほうが撃退の呪文になること間違いなく

そもそものはじまり
 先日、茨城へ行って叔母の家に一泊した次の朝のこと。起きぬけからどうも喉が痛い。と思ったら、足に力が入らないし、腰が痛いし、瞼も重い。…えっ?! もしかしたらインフルエンザ?!

 「具合悪いの?」と叔母は心配してくれたのだが、インフルエンザ菌保有者が老夫婦の家に長居して感染なんかさせたらとんでもないことなので、「じゃあ、帰るからね~」と、なんでもないふりをしつつ、さっさと車に乗る。約300キロ近い距離、元気な時ならなんということはないが、頭と瞼が重くてどうしようもないのをこらえながら、300キロの距離を運転するのはちょっと辛い。

そして生姜を買う 
 それでも帰る途中、スーパーを見つけて立ち寄り、生姜一袋を必死に探し出し、ついでにサプリ1本でお会計。風邪のひき始めはビタミンCと水分と、そして生姜!

 ガリガリとすりおろした生姜を椀に入れ、お吸い物のモトを入れてお湯を注ぐ。これで出来あがり。口の中がひりっとして、それから体がじんわりと温まってくるし、胃もなんとなくすっきりしてくる。これさえ飲んだら、あとは寝るだけ。そう、生姜のすりおろし入りの汁、これが風邪の特効薬!
 
 生姜(Ginger)。アジア原産の植物で、中世ヨーロッパではエデンの園由来の植物だと考えられていたらしい。生姜は高温多湿の熱帯地方でよく生育する。ヨーロッパではまったく育たなかったことから、輸入に頼っていたようで、そういえば、ミカエルマスの日には、生姜の砂糖漬けを食べるんだったっけか。生姜はあのカレーに入っている黄色い粉、ターメリック(うこん)の近縁種でもある。
 
 生姜の成分のジンゲロール(Gingerol)は乾燥するとさらに強い刺激を持つショウガオールとなる。というか、ジンジャーに含まれていたから⇒ジンゲロール、ショウガに含まれているから⇒ショウガオールって名づけられたわけですが。これらは、吐き気や頭痛を緩和し、なんと低体温状態を改善する効果があるという。さらには。関節リウマチの痛み緩和もしてくれるし、乗り物酔いにも効くらしい。もちろん、殺菌作用もある。なんともすごい薬効植物ではないですか。
 
 我が家では「しょうがない」という状況は好ましくないものとして、いつも冷蔵庫には生姜常備。アジの刺身に、厚揚げの焼いたのに、スーパーの割引の芋天に、生姜醤油は欠かせない食材。えっ?チューブの生姜があるって? う~ん、あれはだめです。苦いでしょ。

 どんなに面倒でも、生姜は都度、すりおろすに限ります。あの香りが、チューブの生姜にはありません。それに、香りも薬効のうち。揮発性の成分もあるから。

 
 とまあ、すっかりと和の食材になっている生姜だが、生姜は日本に大陸から渡ってきた帰化植物なのである。といっても、奈良時代にはすでに栽培されており、古事記にも記載があるから、有史前帰化植物というやつね。

 古くは「はじかみ」と呼ばれた。山椒を「ふさはじかみ」、生姜を「くれのはじかみ」と呼んでいたという。呉竹(くれたけ、はちく)のように、長く伸びる茎を意味する言葉から、「くれのはじかみ」となったのかも知れない。(推測)。で。はじかみって何?ということですが、辛くて顔をしかめる様を「はじかむ」と言っていたらしく、「はじかみ」は刺激的な味をあらわす言葉であるという。

(はじっこをおそるおそる噛むぐらい辛いのか?などという推測もしてみたのですが。ということは、もしかして、はにかむっていうのも、この系列の言葉なのか? ハニーカム!愛する人よおいで、が語源のわけはありませんからね。念のため。)
 
 大陸からは生姜だけでなく茗荷も渡ってきたのだが、香りの強い生姜を「兄香(せのか)」、香りの弱い茗荷を「妹香(めのか)」と呼び、それがいつの間にか「せのか⇒せうが⇒ショウガ」、「めのか⇒めうが⇒ミョウガ」となまっていったという説がある。

 ほほ~、ショウガが兄で、ミョウガが妹なのか。兄妹はちょっと苦しいな。従兄妹ぐらいならわかるのですが。まあ、谷中生姜に茗荷谷と、どちらも半日蔭の湿地、谷間を好んで生育する植物。生姜も茗荷も、日本の気候風土に合っていたらしく、いまでは、すっかりと和食には欠かせない食材になっているわけであります。
 
インフルエンザという流行病 
 さて、インフルエンザはヒポクラテスの時代からあった病で、日本では平安時代に「しはぶきやみ」という病名で呼ばれていたらしい。しはぶき、は咳のこと。咳をする病であるから、結核も肺炎も風邪も「しはぶきやみ」ではあるけれど。

 その中でも、いきなり発症してしかも大勢の人が感染するものが、江戸時代に「はやりかぜ」と呼ばれるようになる。流行り風。インフルエンザ菌は、空気中をうようよしているので、たしかに風が吹いただけで、菌は四方へ広がってしまうわけですよ。なるほど。
 
 そもそも、「インフルエンザ」は、16世紀のイタリアの占星術師(注・医者を兼任しているオカルティストのことを意味していると思われる)たちが、冬に流行し、春になると終息するという周期性から、それは星の運行の影響によって起こる病であると考えたようで(!)、「影響」を表すラテン語(influenctiacoeli)にちなんで「influenza」という病名にしたんだそうである。

 星の影響はないと思うが、しかし、彗星がインフルエンザ菌をまき散らすと言う説は今でもあったかと。

 インフルエンザには流感(流行性感冒)という呼び名もあるがごとく、とにかく、一時的に流行る病。まるで巷で話題になる流行的なエンタメ現象とも似通ったところがあるし、そうそう、恋もそうだった。恋も流行もインフルエンザも、発症すれば熱を上げ、熱が冷めれば、ほどなく病が治る。
 
 寛政年間、1792年頃に流行ったインフルエンザは、当時、流行っていたお芝居、「お染久松」にちなんで、「お染風」と呼ばれていたそうである。そう、お染久松は恋仲だったわけですね。油屋の一人娘お染が、許嫁がありながら丁稚の久松と恋に落ち、心中を遂げたという実際にあった事件(スキャンダル)を元にした物語なのであります。
 とにかく当たったお芝居ですから、巷はその芝居のうわさでもちきり。「ねえねえ、もう観た?」「観たわよ、久松かわいそう」「そうかしら、お光(久松の縁談相手)のほうが切ないわ」「ああ、恋って悲しいわ~」と、江戸時代の乙女たちが、熱を上げたラブストーリー、それが「お染久松」。いってみれば、江戸のロミオとジュリエット物語みたいなもの?
 
 そして、そのお芝居と同時期に流行ったのが、インフルエンザだったというわけですね。そこで、インフルエンザ除けのまじないが、「久松留守」の張り紙! 久松が留守だから、お染風は入って来るな、という意味なのだとか。
 
 その後、1890年(明治23)に大流行したインフルエンザも、「お染風」と呼ばれ続けたようです。インフルエンザの致死率はかなり高く、それこそ、まじないでもなんでもすがれるものならすがっておこう、という風潮だったようで、「久松留守」の貼り紙が復活。

 まあ、呪符というのは、そのもとの意味が何であるかよりも、使われ続けているということのほうが重要なのでありましょう。他にも「家内一統留守」という張り紙もあったらしい。
 といっても、いっそ、門口に乾燥した葛の根や生姜でも括りつけておいたほうが、はるかに効き目があったのではなかろうかと思う次第。そう、「久松留守」だけじゃ手ぬるい、「生姜在宅」という呪文を加えたらどうだろう、などと、熱のある頭で朦朧と考えてみる。
 
 インフルエンザは、進化する病である。大正時代に入り、1918年のスペイン風邪は世界的に流行し、インフルエンザの大流行(パンデミック)となる。日本では当時の人口が約5,500万人、そして死者の数39万人。その死者の中には、東京駅の設計を担当した辰野金吾、劇作家の島村抱月などの名前がある。松井須磨子は、抱月がインフルエンザでこの世を去った2ヶ月後に、後追い自殺をしている。「抱月留守」で、あの世まで追いかけて行ったという成り行き。死ぬまで醒めない恋もあるのだろう。
 
 さて、翌日、熱でふらふらしながら、インフルエンザかどうかの判定に私は病院へと出かけた。すごいね、鼻の中に綿棒を突っ込んでしばらくすると、インフルエンザかどうかが判定できるんだから。結果は陰性だったけれど、しかし、症状はインフルエンザ並みにすごくて、いやあ、久しぶりに抗生剤を服用しました。

 とにかく、人混みの中で感染してしまう危険性のあるインフルエンザはやっかいな病気で、マスクをしている人の姿も最近は増えたようですが、マスクと手洗いは必須。

流行情報にも感染しないように
 ところで、現在、インフルエンサーとは、世の中で人々の購買意思決定に影響を与える人のことを言うのだそうですね。タレントも作家も、流行を作り出す存在は、人々を感染させるインフルエンサーということなのだそうです。

 しかし、できれば、そういったものは距離をおいて眺めつつ、感染したくはない、少なくとも膏肓に入って欲しくはないと思う私でありました。SNSも、自分なりのフィルターをかけつつ、情報を取捨選択したいものですし、いっそのこと、乾燥させた生姜の根っこでも魔除けに持ち歩きましょうかね。                              (占術研究家 秋月さやか)



2015年1月20日火曜日

羊羹でアンチエイジング?! だって羊羹っていうのは…。その秘密はゼラチンにあり。

 羊羹。と書くと、ほとんどの人が、つややかな小豆羊羹を思いうかべるでしょう。日本では。もちろん、私も。
 しかし、羊羹って、なんで羊って書くのだろう、と疑問に思ったこと、ありませんか? 羊と羊羹の関連性? 羊羹を食べるたびに「羊ねえ」と疑問に思いながらも、食べ終わる頃には忘れてしまい・・・の繰り返し。しかし、このあたりで、そろそろはっきりさせたいと、本気になって調べてみたわけです。だって、羊年だし。まあ、羊年の話のネタに、お茶請けに、と思って。渋茶でも飲みながら。
 
 さて正解はというと・・・。羊羹とは、もともと、羊の煮汁を意味していたのだとか。なんと驚き! でも納得。羹(あつもの)は、本来、煮汁料理のことだから。
 「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」とは、日本の有名な諺。「羹(あつもの)」すなわち熱い汁料理のせいで火傷しそうになった人が、それ以来、膾(なます)、すなわち冷たいマリネを食べる前にも、ふうふう吹いて冷まそうとするようになってしまったという意味で、以前の失敗のせいで、とんでもなく用心深くなりすぎている様をたとえていう言葉…というのは、ここではどうでもよくて、とにかく羹(あつもの)は、汁がたっぷりの煮込み料理のこと。
 
 羊羹の本来の意味は羊汁。羊シチュー。羊肉を煮込んだシチューといえば、アイリッシュシチュー。アイリッシュシチューを漢字で書けば…羊羹なのか! 
 
 肉のシチューには、たっぷりとゼラチンが溶け込んでいる。古代中国の羊汁、羊羹は、骨どころか羊の内臓までもが入った、つまり羊のもつ煮汁というような料理だったらしい。ゼラチンを豊富に含んだスープは、冷えると固まり、煮凝りとなる。
 なるほど、古代の羊羹(羊汁)は、冷えるとぷるぷるに固まっていたというわけである。暖めればスープに、冷えればゼリーに。それが羊羹(羊汁)だったということ。
 ところで、ゼラチンで羊肉を固めた冷たい料理は、現代の中国料理にも存在している。ただし、その名称は羊羹ではなく、凍羊肉(トンヤンロウ)という。凍と書くが、氷点下まで凍らせているわけではなく、冷やしただけ。つまり、羊肉のゼラチン寄せのこと。薄く切って、オードブルに用いるのである。でもこれ、たぶんもともとは、羊のもつ煮を冷やして固めてスライスしたようなものだったのだろう。冬の夜、羊汁を寒い土間に置いといたら固まっちゃった、みたいな。

 たっぷりと煮汁に溶け込んだゼラチン。ゼラチンは、いまや料理、特にお菓子作りには欠かせない食材である。ヨーロッパでは、ナポレオンの時代頃に、牛豚の煮汁から取り出したゼラチンを料理に利用するようになったという。オードブルはもちろん、フルーツゼリーのようにデザート作りに使われ、大人気になったとか。透き通ってきらきらしているゼラチンは、眺めているだけでも楽しい食材だ。
 チキンハムにも、ゼラチンが固まっているようなぷるぷるの部分がついていることがある。透き通った塊を口に入れると、すっと溶けてスープになってしまう。
 
 さて、ゼラチンは、一般には豚や牛の皮や骨から抽出されたものを用いるが、羊由来だって可能なはずである。家畜の皮を煮込んで作る膠(にかわ)には、ゼラチンがたっぷりと含まれていて、これは食材だけではなく、接着剤としても使用されるもの。
 そして、ゼラチンは、アンチエイジングに最適の食材である。お肌つるつる、関節なめらか、すべてはゼラチン(コラーゲン)のおかげ!
 
 であれば、小豆を羊の煮汁で煮込んだものが、羊羹だったのか? 否。
 古い時代の日本、かつて「ようかん」は、蒸しようかんの手法で作られていた。小豆に、葛粉を混ぜ、竹の皮に包んで蒸し揚げる。冷めてから、竹皮を外して食するのである。つまり、葛粉という澱粉をつなぎにして小豆を固めるわけ。この古い製法で作っている菓子店が、いまだにどこかにあり、数年前に食したことがあるのだが、笹の葉に包んだ包を開けると、これが潰した小豆の素朴な味がストレートに舌にあたり、ほっこり、じんわり、ほんのりもっちりと美味しい。繋ぎの葛粉の食感はあまり感じられず、現在、流通している羊羹のように、つるつるしてはいない。
 澱粉で固める菓子といえば、室町時代に生まれた菓子である「ういろう」もその仲間だが、ただし「ういろう」は米粉と葛粉ををあわせて固めたお菓子であり、つまり、餅のようなもので、うにょん、どっしり、しっかりもっちり、で歯ごたえのある菓子である。基本、小豆餡は入らない。
 
 江戸時代に入ってから、羊羹には寒天が使われるようになった。寒天は、江戸時代に生まれた食材で、隠元禅師が、寒天の名づけ親だという説があるのだが、その材料は天草(てんぐさ)という海草。その海草を「ところてん」にし、「ところてん」を冬の寒風の中で凍らせて作るのが寒天。寒いところに晒して作るから寒天。寒天が、小豆をなめらかにつないで固める重要な役目を果たすのである。冷やすと固まる、その性質はまさにゼラチンと同じだが、ゼラチンとの違いは、寒天はいったん固まると、溶けないこと。そして、寒天が入るようになってから、ようかんは、つるつるするような食感になっていく。
 
 中国では、日本の羊羹に相当する菓子をなんと呼ぶかというと・・・。まったく同じものはないのでなんとも言えないけれど、「羹」と呼ぶこともある。ただし「羹」は、汁粉のような菓子も意味していたり、冷やして固めるゼリーのようなものを意味していたり、さまざまである。まさに、暖めれば汁に、冷えれば固まる、それが「羹」なのだろう。そう「羹」である。だから「小豆羹」でよかったわけですよ、日本のようかんは。なのに「羊羹」なんて…。そう、ネーミングが間違っていると思う。
 
 ところで、ゼリーといえば、香港名物亀ゼリーをご存知? 亀あるいはすっぽんを丸ごと煮て、煮汁を固めたもの。いってみれば、亀羹。亀ゼラチン、コラーゲンたっぷり。漢方薬屋の店先などで見かけることが多いのだが、缶詰で売っているものもある。「お肌つるつる、元気はつらつ」が売り文句で、若返りにも利く!などと勧められましたっけ。
 それは、ぷるんぷるん、もっちりの歯ごたえあるゼリーで、亀の臭みを消すためか薬草が入っており、その薬草の味が苦く、どうもデザートなどとはいえないようなお味なのだが、蜂蜜をかけて食べればいいんだとか。
 そしてゼラチン、コラーゲンといえば蛙コラーゲンも有名。こちらは蛙の皮下脂肪を乾燥させたもの・・・なんだそうですが、たしかにぷるぷるで、これもデザートによく使われる。それも、高級デザートに! でも、蛙羹とは書かなかったと思うけど。まあ、これ、日本ではあまり見かけませんが。
 
 さて、日本の話に戻って。手元にあった小豆羊羹の包み紙の材料表示を見てみましたら、小豆、砂糖、寒天、澱粉、ゼラチン・・・。なるほど、現代の羊羹には、寒天、澱粉だけでなく、ゼラチンが入っていることが多いのです。ただし、羊由来ではないのですが。





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2015年1月13日火曜日

「オープン・セサミ」すら唱えずに鍵があいてしまった奇跡の体験、世の中に1本きりの鍵なんてない

                   
 Open Sesame(開けゴマ)は、千一夜物語の中で、アリババが洞窟の扉の鍵をあけるのに使った呪文。
 一説によればあの台詞は「Open, says me」であり、単純に「開け!(と私は言う)」、いわば言魂として扉を開ける力があった、という説があるのだが、しかしその説が仮に正しいとしても、これはまったくウケない説である。つまり、このお話を読んだ人たちは、「オープン・セサミ」、開け胡麻!で、洞窟の扉が開くことを、望んでいるといってもいい。
 
 では、なぜゴマなのか? 
 胡麻の莢は、熟するとホウセンカのように種がはじけて開くという。だから、「開け!胡麻の(莢の)ように」という(照応論の)オマジナイの言葉なのだという説が、もっともらしいように思える。
 いやいや、胡麻は護摩に通じるのではないか、という説もあるらしい。つまり、ゴマというよりスパイス。スパイスの魔力で扉をあけよう、ということか。
 あるいは、胡麻パワー(セサミン)は、力の源だからという説。胡麻さえあれば、不可能も可能になるぐらいの元気が出るということなのか。

 
 ゴマ(胡麻、学名:Sesamum indicum)は、考古学の発掘調査によれば、紀元前3500年頃のインド、そしてオリエントが栽培ゴマの発祥地であるという。かつては日本でも栽培されていたのだが、それは当然のことながら、仏典や絹などと一緒に、日いずる国日本へとやってきたものなのだろう。経典と一緒にというあたりが、なにやら有り難く感じられるではないですか。
 しかし今、日本で胡麻の栽培をしているところは九州の一部ぐらいだという。どうりで。胡麻の花なんてみたことないわけだ。胡麻の花の写真を図鑑でみつけたが、シソの花のようである。それもそのはず、胡麻は紫蘇の親戚みたいな関係性にあたる。へ~、そう。と、わかる人にしかわからない駄洒落は置いといて。


 さて。人は自分の家のドアや金庫に鍵をかける。鍵の歴史は古く、最も古い鍵は紀元前2000年頃のエジプトで用いられていたものだという。物の所有の概念があるからこそ、人は財産を作り、富を蓄えるようになり、そして、鍵を必要とするようになっていったのである。動物の世界には鍵はないから。
 
 
 鍵と鍵穴。合う鍵を持っていれば鍵穴はあく。パスワードを正しく打ち込めばログインできる。しかし、合わない鍵を無理やりつっこんでも鍵は開かない。違っているパスワードを入力しても撥ねられる。が、金庫破りは鍵がなくても鍵穴を開けてしまう技術を駆使して行われる。パスワードに至っては、4ケタの数字であれば、1時間もかからずにパスワード破りができてしまうという。 とはいうものの、Open Sesame!の呪文なら、1発。そう、万能の呪文である。
 
 しかし、まったくの偶然で、Open Sesame!の呪文もなしに、鍵が開いてしまうこともあるのだ。本当に偶然に、一発で。そんな偶然に遭遇することって、生涯のうちにそう何度とはないと思うが、その奇跡のような瞬間に、私が遭遇してしまった実体験のお話をここに書こう。
 
 
 今から何年か前のこと、我が家の車を車検に出した。いつものディーラー。車検が終わって引き取りに行ったのは夕方過ぎ。工場がそろそろ閉まる頃だった。支払いを済ませ、工場の出入り口に回る。
「キーはつけてありますよ。」と工場長氏。わずか3日ほどしか預けていなかったにもかかわらず、「おお、無事にメンテナンスが終わって。」と、私はいそいそと車のドアを開ける。車内は掃除機+消臭剤シュッシュで、まことにさっぱりとしており、掃除嫌いな私としては、大助かり。「さて、帰るか。」と、3日ぶりの我が車に語りかけるように運転席に乗り込む。
 
 たしかにキーはついていた。しかし、そのキーには、ぬいぐるみキーホルダーが付いている。なにこれ?私のではない。サービスのつもりなのか。しかしそのキーホルダーは薄汚れていた。誰の?
 私は運転席のドアを開け、ちょっと離れた場所で書類をチェックしている工場長氏に呼び掛ける。
「あの~、このキーホルダーですけどお。」すると工場長氏が顔を上げる。「え?」
「このぬいぐるみのキーホルダー、私のじゃないですけどお。」「っていうことは、キー間違ったのかな?」と工場長氏。壁に掛けてあるキーをひととおりチェックしてから、「それですよ、間違ってないと思うけど…ちょっとエンジン掛けてみて?」
「ああ、そうですね。」果たしてエンジンはかかった。そう、かかってしまったのである。ということは・・・。これはうちの車のキーということだ。しかし、なんでこんなのがついてる?
 
「でもあの、とにかくこのぬいぐるみ、お返ししておきますよ」と、私はぬいぐるみキーホルダーを外しにかかる。なんだこれは?ウサギか?クマか?ネコかタヌキか?はたまたマシュマロか茹で卵かきのこか? それとも細菌か?よくわからんが、どうにもふにゃらけてばかっぽい顔のぬいぐるみである。そして、ずいぶんと外しにくいよ、これ。

「で…最初についていたキーホルダーは外しちゃったんですか? 最初についてたの、ほら、金属製のキーホルダー。あれつけて帰りたいんですが。」と私。

「え?ええっと、お預かりしたままですよ、何も外してないですよ。」「でも・・・これ、これは私のじゃないんですけど。」
「え?でも、エンジンかかったでしょ?」「はあ、まあ、確かに。でも、このぬいぐるみは外しますね。」

 ・・・キーホルダーを外しちゃったのか、しょうがない、なんでこんなものに替えたんだ? まあいいや、そんなに高いものではないから、いいよ、別なのを買おう。と私は考えながら、ぬいぐるみキーホルダーと格闘中。きーっ、外れないじゃないのよ。こいつ、ばかっぽいくせにっ! もうやだ。なにこれ。なんなのよ、そうだ、鋏はないか?鋏。

 どうでもいいことを必死にしようとしているとしかみえないおかしな客を、冷ややかに眺めながら工場長氏が、ぼそっと言った。
「ええとね、今、同じ車種がもう1台入っているんですけどね、ええと、○○君~。」と、工場長氏は、(別な用事を思い出したのか)整備士君を呼ぶ。
 つられて工場の奥に目をやれば、ほとんどうちの車と変わらないような車が1台。むこうのほうがグレーっぽいだろうか。見た目ほとんど似ている。同じ車種であるが、年式はちょっと違う。

 ふうん。私は何気なくその車に近づいていったのだが・・・。あれ?うちのカギじゃん。あの金属製キーホルダーは。
「あの、このキーですが。」「え?」「それです。」「え?だって…」と整備士君がキーを回す。その車のエンジンがかかる。
「いえ、それがうちのキーなんですが。」「え?だって、そちらの車はさっき、そっちのでエンジンがかかったでしょ?」
 
「ちょっとそのキーを貸してください。」(正しくは返してくださいであるが)
 客の言うことなので、拒否できないという雰囲気で、しぶしぶと整備士君が渡してきたキーをさしこんで回してみると・・・はたしてうちの車のエンジンはかかった。そりゃそうだ。これが、うちの車のキーなんだから。
 
「ありゃ。」とびっくり顔の工場長氏。「これね、きっとそちらの車のキーですよ」と私はぬいぐるみキーを渡す。半信半疑でキーを回す整備士君。すると、その車のエンジンもかかったのである。まあ、そりゃそうだ。キーはどちらも、あるべきところに戻ったのである。
「ありゃー。」
「ちょっと貸して」と、私はもう一度、キーを取り替えっこする。またしてもエンジンはかかった。それを見て、整備氏君もキーを回す。やはりエンジンはかかった。
 そう、ややこしい話だが、我が家の車と、よく似た車(注。車種は同じ)の間で、キーの取り替えっこが成立してしまったのだ。
 
「ちょっと・・・」工場長氏は、2本のキーを並べて、まじまじと見比べる。整備士君も覗きこむ。
「こんなことって…あるんですね。」と、工場長氏は、2本のキーを両手に1本ずつ持ち、蛍光灯の下にかざしつつ、左、右、左、右、左…と首を回して何回も見比べてから、はーっ、とため息をついた。そう、その2本のキーは同じパターンだったのである。
 
 車とキーとの関係性は1対1である。しかし、何万台もある車のすべてに、違うキーを作ることはできない。何万通りものキーを作ることになるからだ。聞いた話によれば、車のキーは、ひとつの車種に対し、2400パターン程度であるらしい。そう。もしも、2400本のキーをすべて揃えて、片っぱしから試したら、必ず開くということだ。しかし、同一地域で販売する同じ色の同じ年式の車2400台は、すべて違うキーとするそうである。
 その車と我が家の車は、色は似通っているけれど、年式はちょっと違う。違うのだが…。キーは同じパターンだった。そのキーが同じパターンの車が…。同一日に、同じ整備工場に入ったのである。しかも、同車種、2台きり。
 
「ううん、こんなことって、あるんですね。」「いやあ、まさかとは思ったけど」「キーパターン・ツインって言う感じですかね」
 3人は2本の鍵をかわるがわる手にとって見比べつつ、「ふ~ん」「へえ」「ほお」を連発。めったにない場面に遭遇して、ちょぴり感激した雰囲気。外はすでに真っ暗になり、整備工場の中が、まるで魔法のランプをたくさん灯した不思議の洞窟のように感じられたあの夜のこと。
 
 Open Sesame!の呪文もなしに、鍵が開いてしまった、そんな偶然に遭遇することって、生涯のうちにそう何度とはないと思う。その奇跡のような瞬間に、遭遇してしまった実体験のお話、ここにあり。   (秋月さやか)