2016年6月29日水曜日

 「逆さ水」ってなに? このお題、法事などで親戚がお集まりの際のお茶請けにぜひ。

 水と湯の区別は極めてつけにくいのですが、一般的には室温以下のものが「水」で、何らかの方法を用いて室温以上に温度を高めたものが「湯」という考え方でいいのではないでしょうか。
 
 沸騰した水を「百沸水」と称します。
 この名称、水が百度で沸騰するからかと私は思ったのですが、そうではなく、百個ぐらいの大量の泡がふつふつと出て煮えたぎり、沸騰した水というような意味からきているようです。といっても、「水」じゃなく「湯」ですよね、これは。
(参考文献:人見必大著『本朝食鑑』平凡社東洋文庫)
 
 水を沸騰させることで水中の雑菌が死滅します。古代中国の神話に登場する神農は、水を火にかけて沸騰させてから飲用とすることを人々に教えました。

 
 しかし、沸騰している湯の温度を下げてからじゃないと飲むことはできません。しばらく放置し、温度が下がるまで待つか。もしくは水を入れて温度を下げるか。

 水を入れて温度を下げる場合ですが、容器にまず湯を入れ、それから水を入れろ、と言われます。聞いたことあるでしょうか?

 しかし、ガラスの器に湯を入れたら割れます。従って、ガラスの器でぬるま湯を作ろうとすると、水を入れてから湯を注すしかありません。
 と、そのようにしていたところ「縁起が悪い!」と注意されたという話をたまに聞きます。「そんなことやっちゃだめ!」と、婚家の小姑にすごい勢いでとめられ、グラスをひったくられて水を捨てられたという友人の話を聞いたことがありますが、まあ、日本国中で似たことは起こっているんだろうなあ、と。
 
 なぜ縁起が悪いのか。それは水を先に入れ、湯を混ぜて作るものが「逆さ水」と言われるからです。

 湯の温度を下げる場合は、本当は沸騰させた湯を放置して温度を下げるべきなんですが、しかしながらすぐに温度を下げたいなら、湯の中に水を入れろ(ただし新鮮な)というように、昔から言われており、それが湯に水を混ぜて温度を下げる場合の正しい方法であるとされているわけです。ちなみに、いつ、誰がそういったのかはわかりません。

 正しくない方法「水に湯を入れる」をしてはならないということですが、正しくない方法のことを逆法と言います。といっても、逆法には逆法なりの用い方があって、忌事に用いるのです。つまり逆法で水の温度を上げるという手段は葬儀などの忌事における「湯潅」で用いられます。
 
 なぜ「湯が先で水が後」が正しいのか、理由を考えてみました。しかし考えてもよくわからず、子供の頃の私は、この問題を身内に聞いて回っていました。「昔から言っているから」という無難な回答ではない、ほお、と思える回答を以下に示します。

1・冷たい水は比重が重いため下へ沈んでいくから、混ざりやすくなる。温かい湯を上に注いでも、湯は下へは行かず、混ざりにくい。
(と、祖母は言いました。なるほど。これが生活の知恵で、反対のことはするな、という戒めが逆水。というわけですね。たぶんこれが正解なのでしょう。)

2・風呂を考えろ。風呂は湯を沸かして入るのだ。熱くなりすぎたら水を入れてうめる。風呂は生者が入るものであるから、死者の湯潅はこれと反対にしただけである。
(おお、これも説得力ありありで正解っぽい。昔は、遺体は桶に入れて埋めましたから。)

3・湯の中にちょろっと水を入れることは許されても、水にどばっと湯を入れることなど、湯を捨てるようなことで許されない。燃料代を考えてみよ。
 苦労して沸かした容器の中に水を混ぜるほうが無駄がない。大量の水に湯をちょろっとさしたところで、すべて水になってしまうだけで、エネルギーの損失だろうが。
(生活の知恵という意味でこれもアリなんじゃなかろうかと。)

 たぶん1が正解。でも、2も3もありという感じがします。

 「縁起いいとか悪いとか、人はさんざん口にするけれど、そういうことを気にしすぎると、あの人見ててそう思う~」
 
 さて、さきほど、グラスに水を入れてから湯を注いだら→「そんなことやっちゃだめ!」→小姑とんできてグラスの水を捨てた、という友人の話を書きました。
 この場合の対応策としては、「申し訳ありません、うっかりと」と謝ることです。「だってグラスが割れるから」は、NG返答。どう考えても揉めることにしかなりません。というか、そもそもグラスに湯を入れちゃだめだよ。どうしても入れたいなら耐熱ガラスにしてください。
 
 やれ迷信だとか迷信じゃないとか、迷信合戦の勝敗は、ぜったいに決着つきません。宗教戦争並みに白熱化するだけです。子供のころから言われて育った「縁起が悪い」は、ぬぐいようがないもので、理屈ではないからです。
 家という伝統的グループの秩序維持のルールの1つに、「縁起の踏襲」というのがあります。この縁起というのはだいたい伝統的に踏襲されるもので、その中に育った人にとっては「常識」」です。
 ですが、部外者にとっては何が「常識」なのかはわかりません。私、関東の縁起にはけっこう自信があったのですが、他地域の縁起には意外なものがありまして、やはり婚家の法事などでは「え?白と黄?え?白と緑ではだめでございますか?」などと戸惑うことがあります。
 親戚って、冠婚葬祭のときには必ず集まりますよね。法事の席で、「水が先か湯か先か」、知らないふりをして、婚家の方々に訊ねてみてください。たぶん正解はどなたかが教えてくださるでしょう。そのついでに、「どのぐらい縁起を気にかける一族なのか」も観察できますので、ぜひ。
 
 ちなみに。「湯潅(ゆかん)」は、ご遺体を湯で清める儀式ですが、これは「灌仏」から来ているんじゃなかろうかと思います。「灌仏」は、仏像に香りのよい水を注ぎかけることです。
 ですが、ゆせん(湯煎)ではありませんので、お間違えなきよう。これ間違えると、確実に顰蹙を買います。(注・ゆせんとは、食材を入れた容器のまわりを湯で温めること。)

 なお、写真は「道志 道の駅」で撮影。
                            占術研究家 秋月さやか