2016年12月30日金曜日

年越しに必要なのは、屠蘇と餅と三つ肴(だけ)

 おせち料理って、なんであんなに(値段が)高いのでしょうか。


 しかもカロリーオーバー、塩分も糖分もオーバーメニューとしか思えず、たとえば糖尿体質の方などにとっては決してめでたくなどはない、おすすめできないという雰囲気。私は糖尿体質ではありませんが、しかし、おせち料理は3口(みくち)でよろしい。いや、なくてもいい。おせち料理、それほど好きではないんですよね、私。もともと、三の重の煮物さえあればいいという感じですから。
 
 えっ、おせち料理がないと正月じゃないでしょ、めでたい感じがしない~、とかって言われそうなので、じゃあ年越しって、そもそも最低限、何があればいいんだ、(なくてもいいものはなんだ?)と考えてみたいと思います。
 
 おせち料理の起源を遡れば、それはやはり宮中で、奈良時代に行われた節会(せちえ)に出された料理、節供(せちく)。節会(せちえ)の儀式に供された食事というわけですが、ただしそれは重箱に詰まったかまぼこなどではなく、膳に高盛になった飯とか、れんこんとかごぼうとかだったようで、つまりは神饌。
 おせち料理の歴史はもちろん調べたのですが、あまりにも長すぎるので、とりあえず省略しましょう。

 いきなり結論いきます。

 おせちの基本は三つ肴。屠蘇と餅と三つ肴があれば年は越せる、というのが私の持論であります。

というわけで、餅買って、屠蘇散を薬屋でもらって、あとは三つ肴さえあれば。

 で、三つ肴ってなんだ、ということですが、読んで字のごとく、三種類の肴です。

 現在これは、一般的には数の子、田作り、黒豆、です。


 しかしこの組み合わせはたぶん、江戸時代に入ってからでしょうな。
 

 まずはいちばんお高い鯑(数の子)。


 またまたいきなりですが、これ、三つ肴に必須というわけでもない、ということです。
 干し数の子は江戸時代に入ってから庶民の間で流行した食材で、当時は廉価な食品だったので、庶民が正月に好んで食べたのだとか。八代将軍吉宗公が、おお、数の子って安いから倹約によいということで、数の子を正月に食べるのを推奨したという話をどこかで読みました。ただし、当時の数の子は干し数の子を戻したもので、今みたいな塩数の子ではなかったそうですが。

 以下、文字数稼ぎに、数の子の縁起を書いておきます。
 数の子は鰊の卵、一腹にたくさんの卵がつまっていることから、子宝に恵まれますように、子孫が繁栄しますように、との願いを込めて。じゃあ実際、あの小さなぷちぷちがどのぐらい入っているんだ、ということですが、鰊のひとはら(二本でワンセット)は約6万個前後の卵を持つということです。必須脂肪酸であるEPA(エイコサペンタエン酸)を豊富に含んでいます。
 ちなみに、塩数の子の塩抜きですが、塩水に入れて一晩、水をかえてもう一晩。念入りにやりたい人はもう一晩、薄い塩水に入れて塩抜きしてください。真水はNGです。塩は塩で抜くんです。それから濃い目の出汁醤油に漬け込む。

 でも、数の子でなくてもいいんですよね。だって、加賀前田家の正月膳『日本の行事料理』(タイムライフブックス1974年刊)には、数の子は見当たりませんから。
 だから、数の子の代わりに卵焼きでも伊達巻でも別にいいじゃないかな~とは思います。
 

 はい、お次は田作り。

片口鰯の稚魚を素干しにしたものを、空煎りする。えっ?あの甘辛いタレは?って言われそうですけど、あのタレはなくてOKですよ。
 しかも、2匹でOKです。あのべたべたした小魚を大漁に作る必要はございません。魚はもちろん多産の象徴で、2匹っていうのは、そういう意味でしょう。
 また片口鰯は、昔から田畑に入れて肥料としたため、「田作り」と呼ばれます。田作りを入れた田畑は、土の栄養が豊かになり、豊作となったので、今年も豊作に、という縁起担ぎで食べるようになったとされています。カルシウムが豊富ですから、体にもよろしい。しかし(繰り返し書きますが)、私はあの甘いタレが苦手なんですけどね。ま、普通の煮干しを2匹でもよござんす。縁起担ぎの意味では、それでOKではないでしょうか。
 
  さいごに黒豆。

 加賀前田家の正月膳には黒豆が載っていますが、これ、煮豆などではございません。硬い黒豆が5粒。昔は元旦に硬い豆を食べて、歯が丈夫でありますように、と縁起を担いだのだそうです。

 豆の中でも一般的なのが大豆でしょう。そして小豆、黒豆。
 いずれも痩せた土地でもよく育つのは、根につく根粒菌が窒素を作り出すためで、たんぱく質に富み、「畑の肉」と呼ばれる重要な食料。大豆は節分の煎り豆になり、小豆は小正月の小豆粥。そして元旦は黒豆、と考えるとわかりやすくないですか?

 ちなみに、関西では黒豆はふっくらと、関東では黒豆はしわしわになるまで煮るとか書いてある文献もあったのですけど、関東って広いですからね。私の母方の祖母は北関東の出ですが、黒豆にしわを寄らせないように煮るのは大変だと言っていましたよ。
 
 そもそも。地域によって三つ肴はいろいろと違うもので、島津藩では三つ肴の黒豆はNGなんだとか。理由は島津のお殿様は江戸がお嫌いで、江戸の正月に出てくる黒豆は嫌じゃ、正月から黒いものなんぞ縁起悪いだろうが、ということで島津藩では黒豆NGになったのだそう。

 庶民は煮た黒豆を食べていたでしょうけれど、大名屋敷ではおそらく加賀前田家のように四条流にのっとった正月膳を用意していたんじゃないかしら、従って、硬い黒豆だったんじゃないかしら、と思う訳です。
 黒豆禁止令を出したのがどの殿様であったのかはわかりません。たぶん、28代当主の島津斉彬公でしょう。御正室の恒姫は、徳川斉敦の娘ですから。あるいは5代藩主島津継豊公。徳川綱吉の養女である竹姫を娶り、江戸将軍家と縁戚関係になっているため、もしかしたら万事、江戸流を押し付けられて嫌になってしまったのかも知れません。(継豊は隠居した後、国元に帰ったのですが、竹姫は江戸に居続け、別居生活だったし。)
 
 なお、加賀前田家の正月膳をみますと、田作りとするめ(するめの飾り切り)が載っているようです。数の子の姿はまったく見当たりません。
 
 というわけで。三つ肴どころか、黒豆(畑の幸)と、田作り(海の幸)さえあればいいんじゃないかしら。3つにしたければ、伊達巻か紅白かまぼこでも付ければOKではないでしょうか。
 正月に飽食したくない方も、参考にしてください。

        (秋月さやか)



参考文献:『日本の行事料理』(タイムライフブックス1974年刊)