2015年6月6日土曜日

桑の実のアントシアニンは熱き血潮、唇の色。恋せよ乙女、その輝きが褪めぬ間に

 「ロミオとジュリエット」を観たいと思って「ぽすれん」で探してみた。1968年、フランコ・ゼフィレッリ監督の作品。その前に、いったい何本のロミオとジュリエットが作られたことか。でも、あのフランコ・ゼフィレッリ監督の作品が最高傑作であることは間違いない。

 ジュリエット役は、かの有名なオリビア・ハッセイ。ロミオ役はレナード・ホワイティング。シェイクスピアに忠実に演出するのなら、2人は16歳と14歳。自分の役柄を完全に理解して演じるなんて、できるわけない年頃かと思う。でも、理解なんてできないという部分もまた、魅力なのだろう。そのあたりの計算は、すべて監督さんがしているわけだ。
 
 私は恋愛映画が好きなわけではない。どっちかっていうと面倒くさいのであまり観ない。しかし、ゼフィレッリ監督の作品は別格、それに、ロミオとジュリエットの原典となっているギリシャ神話のピュラモスとティスベのテーマは、恋愛というより、人の想いの矛盾というか・・・。
 
 さて、ギリシャ神話(ギリシャ悲劇)のピュラモスとティスベのお話はというと、隣同士の未婚の男女が、お互いの姿を見てひとめぼれ、夜な夜な壁越しに愛をささやき合うところからはじまっている。堂々と逢うことができず、壁越しにささやきあう状況は、何やらネット越しのメール恋愛のような。その想いが募って、郊外でデートしようという話になる。妄想が想いを加速させるのである。
 
 ロミオとジュリエットの最初の出会いは「仮面舞踏会」。
 どんな人なのか、妄想をかきたてられるジュリエット、そして、な・な・な・なんと。ロミオは敵の家の息子だった!禁じられた愛。そう、そのまま諦めればよかったのに。ときめきも人の噂も75日、初物は75日たてば旬を過ぎておしまいに。
 
 しかし有名なバルコニーのシーンで、ロミオは聞いてしまう。名前(家)さえも捨てて結ばれたい、というジュリエットの生身の独白を。いや、妄想なんですよ、これは。乙女の妄想。
 とはいうものの、ネグリジェ姿の乙女が訴える熱き血潮の滾り。ああ、そんな想いを耳にして、自分を止められる男がいようか。(たぶんいない。)
 それが、2人の悲劇の始まりである。聞かなければよかったのに。そう、想いが通じてしまったところから、悲劇は始まるわけです。
 
 ロミオとジュリエットの舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派に分かれて争っていたというので、敵同士の家柄が登場するのに最適の地だったようである。
 現在、ヴェローナには「ジュリエッタの家」というのがあるという。観光ツアー必見の場所。ただし、ジュリエットは実在の人物ではないので、これは架空の家なのでありますが。
 そのジュリエッタの家にはバルコニーがあるのだが、もともとこの家にはバルコニーはなく、後から付けられたのだという。しかし、写真で見る限り、よじ登れない感じのバルコニーで、ちょっと不自然。と思っていましたら、そのバルコニーは古代の石棺を使ったものなのだと、FB友達の文学研究者氏から教えていただきました。おお、石棺。なんだか不幸な恋の物語にふさわしい。
 
 年配者からすると「情熱のままに突っ走る愚かさ」に、ちょっぴり羨望のような感覚を抱くこともあるわけですね。若い、無邪気(愚か)、陶酔。これはすべて私にはないものだわ。まぶしく切なくもどかしく。そして一瞬。ああ、最高ではないですか。
 
 シェイクスピア作では、ラマスデー(8月の初め)にジュリエットが誕生日を迎えることになっており、その後、舞踏会が行われるので、これは夏から秋へと向かう時期の話になるわけだ。

 しかし、ギリシャ神話(ギリシャ悲劇)のピュラモスとティスベのお話はもう少し前の時期の設定である。なぜなら、この話には桑の実が登場するからである。

 恋人同士は、郊外の桑の木の根元で待ち合わせをすることにした。彼女が先について待っているとそこに獅子があらわれる。彼女はびっくりして逃げる。逃げる時に、スカーフを落としてしまう。獅子は彼女のスカーフを引き裂く。するとそこに、桑の赤い実の汁がついてしまう。その色がまるで血のようで、後からやってきた彼は、引き裂かれたスカーフが血まみれになっていると思い、彼女が獅子に殺されてしまったと早とちりして、命を断ってしまう。悲劇というより…困った喜劇のようなお話なのである。
 このお話を原典としてシェイクスピアが書いたのがロミオとジュリエットなのですよ。
 
 さて、桑、マルベリー (Mulberry) の実が実るのは、夏至の頃である。種類にもよるとは思うが、山桑はだいたいその頃。桑の実は熟すると赤から濃紫へと変わる。この赤い色素はアントシアニンである。アントシアニンは抗酸化物質であり、pH によっても色が変化する。ポリフェノールも含まれているので、心臓病を防ぐとか、肝機能を助けるとか、若返り効果があるとか、まあ、そのように言われる。命の実…というようなイメージなのか。
 
 マルベリーは濃紫色を意味する色名でもあるが、その語源は桑。赤い桑の実は陽の光に透き通って綺麗だが、かなり酸っぱく、食用にはまだ適さない。桑は、その色が濃紫になってから摘み取るのである。指がまるで血にまみれたようになる。私は桑の実を摘んで洗い、ガラス瓶に入れて砂糖をまぶす。しばらく漬けておくと、濃紫のジュースが出てくる。これはジャムにしてもよい。

 桑の実を摘みながら、私はいつもロミオとジュリエットの物語を思い出す。桑の実が実る夏至の頃。太陽は輝き、鳥は歌い、風は香る。すべてに命の勢いがある。しかし、この美しい景色も、あと75日もしないで萎れていくのだ、と。そう思えば、すべてがまぶしく切なくもどかしい。この一瞬。
 桑の実の色が、あたかも私に命の輝きを蘇らせてくれる秘薬のような、なんだかそんな気がしてくる。熱き血潮のアントシアニンの果実よ。   (占術研究家 秋月さやか)

参考文献:ピュラモスとティスベの物語→「ギリシャ神話小事典」バーナード・エヴスリン 小林念訳
写真は箱根ビジターセンターで撮影。