2015年3月29日日曜日

流行り風邪には、「久松留守」よりも「生姜在宅」のほうが撃退の呪文になること間違いなく

そもそものはじまり
 先日、茨城へ行って叔母の家に一泊した次の朝のこと。起きぬけからどうも喉が痛い。と思ったら、足に力が入らないし、腰が痛いし、瞼も重い。…えっ?! もしかしたらインフルエンザ?!

 「具合悪いの?」と叔母は心配してくれたのだが、インフルエンザ菌保有者が老夫婦の家に長居して感染なんかさせたらとんでもないことなので、「じゃあ、帰るからね~」と、なんでもないふりをしつつ、さっさと車に乗る。約300キロ近い距離、元気な時ならなんということはないが、頭と瞼が重くてどうしようもないのをこらえながら、300キロの距離を運転するのはちょっと辛い。

そして生姜を買う 
 それでも帰る途中、スーパーを見つけて立ち寄り、生姜一袋を必死に探し出し、ついでにサプリ1本でお会計。風邪のひき始めはビタミンCと水分と、そして生姜!

 ガリガリとすりおろした生姜を椀に入れ、お吸い物のモトを入れてお湯を注ぐ。これで出来あがり。口の中がひりっとして、それから体がじんわりと温まってくるし、胃もなんとなくすっきりしてくる。これさえ飲んだら、あとは寝るだけ。そう、生姜のすりおろし入りの汁、これが風邪の特効薬!
 
 生姜(Ginger)。アジア原産の植物で、中世ヨーロッパではエデンの園由来の植物だと考えられていたらしい。生姜は高温多湿の熱帯地方でよく生育する。ヨーロッパではまったく育たなかったことから、輸入に頼っていたようで、そういえば、ミカエルマスの日には、生姜の砂糖漬けを食べるんだったっけか。生姜はあのカレーに入っている黄色い粉、ターメリック(うこん)の近縁種でもある。
 
 生姜の成分のジンゲロール(Gingerol)は乾燥するとさらに強い刺激を持つショウガオールとなる。というか、ジンジャーに含まれていたから⇒ジンゲロール、ショウガに含まれているから⇒ショウガオールって名づけられたわけですが。これらは、吐き気や頭痛を緩和し、なんと低体温状態を改善する効果があるという。さらには。関節リウマチの痛み緩和もしてくれるし、乗り物酔いにも効くらしい。もちろん、殺菌作用もある。なんともすごい薬効植物ではないですか。
 
 我が家では「しょうがない」という状況は好ましくないものとして、いつも冷蔵庫には生姜常備。アジの刺身に、厚揚げの焼いたのに、スーパーの割引の芋天に、生姜醤油は欠かせない食材。えっ?チューブの生姜があるって? う~ん、あれはだめです。苦いでしょ。

 どんなに面倒でも、生姜は都度、すりおろすに限ります。あの香りが、チューブの生姜にはありません。それに、香りも薬効のうち。揮発性の成分もあるから。

 
 とまあ、すっかりと和の食材になっている生姜だが、生姜は日本に大陸から渡ってきた帰化植物なのである。といっても、奈良時代にはすでに栽培されており、古事記にも記載があるから、有史前帰化植物というやつね。

 古くは「はじかみ」と呼ばれた。山椒を「ふさはじかみ」、生姜を「くれのはじかみ」と呼んでいたという。呉竹(くれたけ、はちく)のように、長く伸びる茎を意味する言葉から、「くれのはじかみ」となったのかも知れない。(推測)。で。はじかみって何?ということですが、辛くて顔をしかめる様を「はじかむ」と言っていたらしく、「はじかみ」は刺激的な味をあらわす言葉であるという。

(はじっこをおそるおそる噛むぐらい辛いのか?などという推測もしてみたのですが。ということは、もしかして、はにかむっていうのも、この系列の言葉なのか? ハニーカム!愛する人よおいで、が語源のわけはありませんからね。念のため。)
 
 大陸からは生姜だけでなく茗荷も渡ってきたのだが、香りの強い生姜を「兄香(せのか)」、香りの弱い茗荷を「妹香(めのか)」と呼び、それがいつの間にか「せのか⇒せうが⇒ショウガ」、「めのか⇒めうが⇒ミョウガ」となまっていったという説がある。

 ほほ~、ショウガが兄で、ミョウガが妹なのか。兄妹はちょっと苦しいな。従兄妹ぐらいならわかるのですが。まあ、谷中生姜に茗荷谷と、どちらも半日蔭の湿地、谷間を好んで生育する植物。生姜も茗荷も、日本の気候風土に合っていたらしく、いまでは、すっかりと和食には欠かせない食材になっているわけであります。
 
インフルエンザという流行病 
 さて、インフルエンザはヒポクラテスの時代からあった病で、日本では平安時代に「しはぶきやみ」という病名で呼ばれていたらしい。しはぶき、は咳のこと。咳をする病であるから、結核も肺炎も風邪も「しはぶきやみ」ではあるけれど。

 その中でも、いきなり発症してしかも大勢の人が感染するものが、江戸時代に「はやりかぜ」と呼ばれるようになる。流行り風。インフルエンザ菌は、空気中をうようよしているので、たしかに風が吹いただけで、菌は四方へ広がってしまうわけですよ。なるほど。
 
 そもそも、「インフルエンザ」は、16世紀のイタリアの占星術師(注・医者を兼任しているオカルティストのことを意味していると思われる)たちが、冬に流行し、春になると終息するという周期性から、それは星の運行の影響によって起こる病であると考えたようで(!)、「影響」を表すラテン語(influenctiacoeli)にちなんで「influenza」という病名にしたんだそうである。

 星の影響はないと思うが、しかし、彗星がインフルエンザ菌をまき散らすと言う説は今でもあったかと。

 インフルエンザには流感(流行性感冒)という呼び名もあるがごとく、とにかく、一時的に流行る病。まるで巷で話題になる流行的なエンタメ現象とも似通ったところがあるし、そうそう、恋もそうだった。恋も流行もインフルエンザも、発症すれば熱を上げ、熱が冷めれば、ほどなく病が治る。
 
 寛政年間、1792年頃に流行ったインフルエンザは、当時、流行っていたお芝居、「お染久松」にちなんで、「お染風」と呼ばれていたそうである。そう、お染久松は恋仲だったわけですね。油屋の一人娘お染が、許嫁がありながら丁稚の久松と恋に落ち、心中を遂げたという実際にあった事件(スキャンダル)を元にした物語なのであります。
 とにかく当たったお芝居ですから、巷はその芝居のうわさでもちきり。「ねえねえ、もう観た?」「観たわよ、久松かわいそう」「そうかしら、お光(久松の縁談相手)のほうが切ないわ」「ああ、恋って悲しいわ~」と、江戸時代の乙女たちが、熱を上げたラブストーリー、それが「お染久松」。いってみれば、江戸のロミオとジュリエット物語みたいなもの?
 
 そして、そのお芝居と同時期に流行ったのが、インフルエンザだったというわけですね。そこで、インフルエンザ除けのまじないが、「久松留守」の張り紙! 久松が留守だから、お染風は入って来るな、という意味なのだとか。
 
 その後、1890年(明治23)に大流行したインフルエンザも、「お染風」と呼ばれ続けたようです。インフルエンザの致死率はかなり高く、それこそ、まじないでもなんでもすがれるものならすがっておこう、という風潮だったようで、「久松留守」の貼り紙が復活。

 まあ、呪符というのは、そのもとの意味が何であるかよりも、使われ続けているということのほうが重要なのでありましょう。他にも「家内一統留守」という張り紙もあったらしい。
 といっても、いっそ、門口に乾燥した葛の根や生姜でも括りつけておいたほうが、はるかに効き目があったのではなかろうかと思う次第。そう、「久松留守」だけじゃ手ぬるい、「生姜在宅」という呪文を加えたらどうだろう、などと、熱のある頭で朦朧と考えてみる。
 
 インフルエンザは、進化する病である。大正時代に入り、1918年のスペイン風邪は世界的に流行し、インフルエンザの大流行(パンデミック)となる。日本では当時の人口が約5,500万人、そして死者の数39万人。その死者の中には、東京駅の設計を担当した辰野金吾、劇作家の島村抱月などの名前がある。松井須磨子は、抱月がインフルエンザでこの世を去った2ヶ月後に、後追い自殺をしている。「抱月留守」で、あの世まで追いかけて行ったという成り行き。死ぬまで醒めない恋もあるのだろう。
 
 さて、翌日、熱でふらふらしながら、インフルエンザかどうかの判定に私は病院へと出かけた。すごいね、鼻の中に綿棒を突っ込んでしばらくすると、インフルエンザかどうかが判定できるんだから。結果は陰性だったけれど、しかし、症状はインフルエンザ並みにすごくて、いやあ、久しぶりに抗生剤を服用しました。

 とにかく、人混みの中で感染してしまう危険性のあるインフルエンザはやっかいな病気で、マスクをしている人の姿も最近は増えたようですが、マスクと手洗いは必須。

流行情報にも感染しないように
 ところで、現在、インフルエンサーとは、世の中で人々の購買意思決定に影響を与える人のことを言うのだそうですね。タレントも作家も、流行を作り出す存在は、人々を感染させるインフルエンサーということなのだそうです。

 しかし、できれば、そういったものは距離をおいて眺めつつ、感染したくはない、少なくとも膏肓に入って欲しくはないと思う私でありました。SNSも、自分なりのフィルターをかけつつ、情報を取捨選択したいものですし、いっそのこと、乾燥させた生姜の根っこでも魔除けに持ち歩きましょうかね。                              (占術研究家 秋月さやか)



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