2014年2月5日水曜日

ママ、僕はいったい誰の子なの? 清盛よ、アイデンティティ・クライシスを越えろ!

 平家物語は、正確には平家VS源氏物語と名付けるべきなのだろうが、主人公が清盛ですから、まあ、平家物語なのでしょうね。
 
 清盛の生家は貧しかった、というところから、吉川・新平家物語のお話ははじまる。貧乏な家には客の出入りもあまりなく、庭の手入れもされておらず、だから草がぼうぼうに生える。それを貧乏草と呼んでいたということで、なんと、吉川・新平家物語、第1話のタイトルは「貧乏草」! 
 
 
 しかし、ないものは金と地位だけではなかったのでした。第2話では、さらなる衝撃的の事実が語られるのであります。
 忠盛の妻、泰子は、白河の君の愛妾であったが、八坂の悪僧と密通したために、お宿下がりを申し渡され、忠盛の妻となった、その時、すでに清盛を身籠っていた、と。(注・これは、吉川・新平家物語の解釈です。)
 
 清盛、驚愕。父であると思っていた忠盛は父ではなかった。それどころか、自分が誰の子であるのか、それさえも判然としない。白河の君の御落胤か?それとも、八坂の悪僧の子か? アイデンティティ・クライシス。ママ、僕、誰の子なの? と、母の泰子に問い詰めるも、泰子、笑って答えず。

 清盛は母親の泰子を女狐とののしり、そして泰子は家を出て行く。はい、家庭崩壊です。金がない、地位がない、そして、家庭崩壊。とまあ、新・平家物語は、そんなめちゃくちゃな状態からスタートするのです。大河ドラマの画面が埃っぽいとか、見え難いとか、なんかそんな話もあったようですが、そんな生易しいお話ではありませんよ。(注・私はまだ観ていません。)
 
 清盛の出自についてですが、歴史的に、母親も生年月日も判然としません。清盛の命式とかホロスコープを作成しようとして調べた方もいるでしょうが、わからなかったはずです。資料がないんですから。
 これは、清盛の生母が、身分の高い女性ではなかった、ということを物語っています。歴史には、祇園女御(白河法皇の愛妾)の妹、あるいは侍女が清盛の母であるという説が有力で、生母は清盛が2歳ぐらいの時に亡くなっている可能性が高い、というあたりでしょう。そして、当時から、清盛の白河法皇御落胤説はあったようです。
 
 清盛の父の忠盛はというと、とにかく子沢山。清盛の母を含めても、おそらく、3人ぐらいの女性を妻としているようです。歴史的に、そのあたりが判然としないというのは、やはり、貧しい生活に嫌気がさして、妻が家を出て行ってしまったのか、それとも、当時の家族関係とは、まあ、そんなものだったのか。
 
 
 とにかく、吉川・新平家物語によれば…。
 父が遺伝子上の父ではない、とわかっても、「父上、わたくしの父上」と、清盛は忠盛に呼びかけ、「おお、父と呼んでくれるか!」と、忠盛、涙。親子が泣きながら手を取り合う、という筋書き。おおお、泣けますね、これは。
 
 おっとこれ、平安時代末期のお話なんですよね。今なら、間違いなく、遺伝子検査対象でしょうか。まあ、白河の君のスキャンダルは、日常茶飯事のことなので、特に問題にはならないとしても、です。
 
 さて、清盛、旧暦十二月、平治の乱を熊野で知り、都へ戻ることを決意。
 そして熊野別当から手向けにと渡された蜜柑(非時香実、ひじくのかぐのみ)を手に取る。蜜柑の中の種は、地上にばら撒かれれば、芽が出る。芽が出るかでないかは、その種次第。どの蜜柑の種だったかなどと問われるわけもなく、そんなことに囚われる必要もない。それは天の意思のようなものであって、人が決めるわけではない。己が誰の子であっても、自分は自分である、と決意して、都に向かう場面が描かれるのでした。
 そう、人の出自とは遺伝子だけで決まるわけではありません。遺伝子はもちろん大切ですが…。

参考文献:新平家物語

※ 写真は、神奈川、下曽我地域の梅畑にての風景。蜜柑畑もあります。



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