2014年11月20日木曜日

米は炊くもの! おこげと日本の炊飯器の歴史秘話

 米、ご飯です。ご飯を炊く、米に水を入れて炊く。炊飯です。それは煮るではないのか、と(海外からやってきた友人たちに)聞かれることがありますが、「煮」ではありません。「炊」です。

 炊くは「焚く」に通じます。火を焚き、食物を炊くのが炊事です。
 「煮る」については、ぐつぐつ煮るというような言葉があるがごとく、煮込んで柔らかくすることを意味していますし、それは食べ物ではなくてもよいのです。糸を煮るなど。
 が、炊くは、食物に限られますし、火が通ったら出来あがり、なのです。米は炊く。煮込んだら粥になってしまいます。
 粥を炊くという言い方を関西文化圏ではするようですが、粥は煮るもの。

 炊事っていったら、基本、米を炊くことでしょ。だから、パエリアは炊く、リゾットは煮るだよね、と私は説明しています。といっても、リゾットを炊くと主張する方もいて、時々、首を傾げられてしまうのも事実ではありますが。ニホンゴムズカシイネ。

 「炊」って、火に欠ける、です。土に欠けるは「坎」です。土に穴があいて、水がたまるという意味が坎なのです、易でご存知の通り。ということは、火の中に器を入れるのが炊なんじゃなかろうかと思うわけです。漢字の起源をちゃんと調べたわけではなく、私の想像ですけどね。

 さて、前座のお話が長くなってしまいましたが、「炊飯器」の話題です。炊飯器は、日本の家電メーカーが作成しました。米を食べる国、そして、家電技術力を持った国、日本が世界で最初に炊飯器を作りました。

 私の父は、家電メーカーの技術系サラリーマンでした。私が子供の頃の話ですが、父は東南アジア向けの炊飯器の試作プロジェクトに関わっていました。そのプロジェクトで行われていたことは、炊飯器の底におこげを作ることです。「おこげ」です。炊飯器で炊いたご飯におこげはできません。それが炊飯器のすごいところです。

 かつて、釜で米を炊いていた時代、おこげが出来るのはあたりまえでしたが、問題はそのおこげの程度。うっすらと茶色にできるおこげを好む方は多いのですが、釜に接したところには、炭米に近い部分が出来てしまうのです。水加減を失敗すると、本当に焦げて、がりがりの炭米の部分がたくさん出来てしまうのですね。
 北関東の祖母の実家には、古い竈があり、大きな釜があって、そんな話を祖母から聞いたことがあります。竈と釜でご飯を炊いたこと、実は私はあるんですね。まあ、小さな客人が来たというので、イベントとしてやっていただいたようなものなのですが。そして、釜の底にがりがりについた炭米を取るには、釜に水を入れて沸かすのです。

 が、この焦げ米、なんと、懐石の最後に出てくる、湯桶に使用されているものでもあります。湯桶は、「ゆおけ」ではなく「ゆとう」と読みます。風呂屋にあるケリロン桶ではありませんので、念のため。
 「ゆおけ」と混同されるのが嫌なのでしょうか、最近は湯斗と書くことが多いようでして、では湯斗(湯桶)とはなにかといえば、焦げ米(最近は炒り米を使用)とお湯を、ご飯にかけて湯漬けにしていただくもの、です。
 といっても、私は懐石の最後には、炒り米の入ったお茶?を最後に飲んで締めくくりなんだなあ、と、ずっと思っていたわけですね。あれ、本当は湯漬け用のお湯だったのか~。まあいずれにせよ、釜に残った焦げ米を最後までいただくというものが湯斗です。
 ついでですが、お茶漬けって、釜に残ったお焦げご飯にお湯をぶっかけて食べていたのが起源だと思います。お茶漬けのもとにはアラレのようなものが入っていますが、あれ、焦げ米の代わりですね。

 とにかく、下手におこげなど作ってしまうと、米が炭化して食えなくなってしまう恐れがあり、そこに、おこげができない炊飯器が登場したわけですから・・・。まったくおこげのできない炊飯器! 偉大!

 しかしこの炊飯器、東南アジアでは大不評だったそうです。「うっすら茶色のおこげのできるご飯」じゃなくては、おいしくない。おこげのできないご飯なんて、不味いということで、売れなかったんだそうですね。タイなどでは、鍋で米を煮る状態に近い炊き方をしますが、底は、うっすらおこげ状態です。
 というわけで。「おこげのできる炊飯器を作れ」の指令が、家電メーカーの開発室に発令されました。

 「それがなあ、面倒なんだ」と私の父は言いました。簡単に説明すると、おこげを作るためには、高熱が必要、つまり、消費電力が増えるのだそうです。しかもその消費電力に耐えられる構造にしなくちゃならん、というわけで、国内生産用とは別のラインを立ち上げる必要があるとかなんとか、そういう話だったと思います。
 そんなこんなの末に、おこげのできる電気炊飯器がめでたく完成し、父は、東南アジア方面の長期の海外出張に出かけていきました。

 我が家は当時、父一人娘一人の父子家庭。父が出張に出かけた後の家に、中学生の私は一人暮らしで、毎晩、電気炊飯器でご飯を炊いていました。まあ、海外出張でなくても、父は帰りが遅く、ほとんど私が寝る頃に帰ってきていましたから。
 父は東南アジアの後は、アメリカ南部へと、またまた長期出張に出かけて行きました。アメリカ南部では、米のメニューが多いのだそうです。デニーズのジャンバラヤみたいなメニューですね。当時、南部のどこかの州のTV局に出演したと言っていましたっけ。

 「おこげのできる炊飯器、今度家に持ってきて」と私が言ったら、「おまえ、おこげ好きなのか? 焼きおにぎりのほうがうまいぞ」と。
 父は、日曜日には昼までずっと寝ており、昼過ぎにのそのそと起きだして、前夜の残りごはんで焼きおにぎりを作るのが趣味でした。柔らかいご飯では焼きおにぎりはうまくできませんから、私はいつしか、土曜日の夜は固いご飯を炊くようになっていました。水を1割減らしめにしてしっかりと炊いておけば、次の日の焼きおにぎりは、それはそれはおいしくできるのです。日曜日の午後は焼きおにぎり。

 でも、新米の時期になると、これがなかなかうまくできないのです。新米は水分含有量が多いので。「米が柔らかいから、焼きおにぎりがうまくできなかったんだ、これ、茶漬けにして食っちゃおう」と、そんな時がありました。飲み屋で出てくる「焼きおにぎり茶漬け」っていうやつですね。
 飲み屋でもないのに、そんなメニューが日曜日の我が家の定番。しかも、新米の季節は、シャケの季節だったりもしまして、焼きおにぎりシャケ茶漬けというのを、よくやりましたっけね。
 
 あの炊飯器・・・電気釜と呼んでいましたが、私が幼稚園の頃に我が家にやってきて、私が家を出る時にも持って行って、(その電気釜じゃなきゃ、好みのご飯が炊けなかったからですが)、そして私が30代になるまでずっと使いました。25年以上使ったことになります。
 
 あれから時が流れて・・・
 今や炊飯器は、万能調理機になったようです。ご飯を炊くだけではなく、煮込み料理もできれば、ケーキも焼けるんですって。もしかしたらもう、炊飯器って言わないのかも、ですね。

※写真は竈と釜です。開成町の郷土資料館で撮影。




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2014年10月12日日曜日

「悪魔の林檎」を食べたヒロインは永遠の眠りに。ああ、恐ろしきソラニンの呪い。

 悪魔の林檎とは・・・そう、じゃがいも。
 じゃがいもを薄くスライスして水にさらしたものを口に入れてみると、なぜ林檎なのか、その理由はすぐにわかるはず。なるほど、歯触りがまるでりんごそっくり。ただし、じゃがいもの生食はお薦めしませんけどね。
 
 じゃがいもの本格的な収穫は秋。大地から堀りあげた芋を保存し、越冬のための食料とする。でんぷん質たっぷりのほくほくしたじゃがいも! スライスして油で揚げたものは、フライドポテトチップス。みんな大好き、じゃがいもメニュー! いまやじゃがいものない国なんて、どこにもなんじゃないかしら。
 
 しかし、本来、じゃがいもは新大陸にしかない植物であった。チチカカ湖のあたりが原産地で、それがスペインの侵略により、ヨーロッパへと運ばれることになる。
 が、この芋にはひとつだけ問題があった。それもかなり深刻な問題が…。
 それは緑色になったじゃがいもの皮に含まれる有毒物質ソラニン(ポテトグリコアルカロイド solanine) 。ソラニン中毒は、嘔吐、下痢、腹痛、目眩、動悸、耳鳴、幻覚、痙攣、呼吸困難。そしてひどい時は死に至る。
 ソラニンはじゃがいもの皮、芽、さらには種にも含まれる。じゃがいもの種とは花が咲いた後に結実する緑色の卵状の実で、ソラニンたっぶりの有毒実なので、食べられません。簡単な話、地上に出たじゃがいもはすべて有毒だと思ってください。(地上に出ようとして発芽しつつある芽も有毒ということ。)
 
 南米の現地人は収穫した芋を凍らせ(というより、低温で凍ってしまうため)、水分を抜いた状態で乾燥させる。凍らせてから乾燥した芋であれば、保存しているうちに芽が出ることはないし、皮が緑化することもなく、ソラニンは生成されない。が、堀りとった後、太陽に当てたり、あるいは湿気や温度などの発芽条件が満たされた場所に置いておくと、当然、皮が緑色になり、芽を出してソラニンが生成されてしまうことになる。
 というわけで、新大陸の珍しい芋は、スペインに運ぶ船の中で芽を出してしまい、それを食べた船員がソラニン中毒となり、さっそく「悪魔の植物」と恐れられることになった。
 しかし、緑色になった皮や芽に含まれる有毒物質ソラニンのせいで中毒したのだとは誰も知らなかったので、あいかわらず人々は緑色になってしまった皮や発芽した芽を食べて中毒することも当然起こり、なぜ中毒するのかがわからず、「運が悪いと中毒する」ぐらいにしか考えられなかったようである。
 そのうえ、じゃがいもは聖書には載っていない食物、なぜならユーラシア、ヨーロッパにはなかった植物であるから載っているわけなどなのだが、聖書に載っていない→神が創ったわけではない、だから悪魔の植物。と、そのような連想にもなったらしい。
 
 ところで、日本でも、毎年数十人は、このじゃがいも中毒になります。じゃがいもを食べる時には気をつけて! じゃがいもの芽は取って、緑色になってしまった皮は剥いて!
 もう10年以上前の雑誌の投稿欄で、私は痛ましい記事を読んでしまったことがある。投稿者は北海道にひっこしした若い女性。「毎日、おいしいじゃがいもを食べて暮らしていたのに、それが原因で流産、知らなかった、じゃがいもの芽が毒だなんて。」と綴られたその文章に、私はびっくりしたと同時に、「なぜ、彼女はじゃがいもの芽が毒だと知らずに育ってしまったのだろう」と、やるせない気持ちになってしまった。つまり、その女性は、じゃがいもの芽が毒であることを教わらずに大人になってしまった、ということです。本当であれば、小学校の授業で教えるべき内容ではないでしょうか。親が教えればいいだろうと言ったところで、その女性の親が、コンビニの冷凍食品とファストフードのフライドポテトしかみたことがなかったとしたら、知らないことは教えようがありません。そう、昔、じゃがいもの芽を平気で食べて中毒してしまったヨーロッパの農民たちのように。
 
 ソラニンは太陽の光に当たると生成されますので、まずは芋を太陽の光に当てないこと。
 しかし太陽の光にあてずとも、温かな暗所で芋を長期保存すればやはり芽が出てきてしまうため、暗く冷たいところに閉じ込めておかなきゃだめです。望ましいのは気温5度以下。つまり、じゃがいもは地下冥界の食べ物であると心得るべし!
 
 なお、じゃがいもの芽を出さないようにする方法として、エチレンガスによる発芽抑制がありますが、つまり林檎と一緒にして保存すると発芽しにくくなるというもの。
 また、じゃがいもを170℃以上の油で揚げるとソラニンが分解するという報告があり、フライドポテトは食べ方としては安全側になるのかとは思いますが、しかし完全にソラニンが分解するわけではないので、やはりじゃがいもの緑色と芽は危険と覚えておいてください。
 
 有毒植物というのは、動物や虫類に食べられないように毒を作りだして自衛するという仕組み。毒はたいていの場合は苦みを伴い、動物が口に入れた途端に、「苦いじゃん、ぺっ」と吐きださせるようになっているわけですが、まずいぐらいではめげないこともあるため、さらに毒性を備えているというわけで、「これ食べて苦しくなってひどいことになったから食べない」という学習を動物たちにさせることで、結果的に身を護る。食用になんてされない、それは素晴らしい自衛。…のはずだったのですが。
 
 魔法使いが差し出した林檎は、ソラニンがたっぷりの緑色をした「悪魔の林檎」でした。「まあ、なんて新鮮でおいしそう。」
 「悪魔の林檎」を食べたヒロインは、あわれ永遠の眠りについてしまいます。王子様のキスで目覚める…なんていう生易しい呪いではありません。これで人々はもう「悪魔の林檎」を恐れ、食べることはないだろう。魔法使いはそう思ったのですが…。
 ソラニンの呪いを破る方法とは、陽の光に当てないこと。ソラニンを取り除くこと! ソラニンの呪いが解けたでんぷん質の、なんと美味しいこと! そしてフライドポテトは、世界中のアミューズメントパークで人気のスナックとなりましたとさ。
        (占術研究家 秋月さやか)








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昼下がりのラタトゥイユは、マンドラゴラの白昼夢を見せるか

 夏野菜。といったら、トマト、茄子にズッキーニ。色とりどり、輝くばかりのアントシアニン!

 
 さて、茄子の原産地はインド、つまり天竺。中国を経て日本へやってきたのが1000年以上も前のことだというから、飛鳥時代にはまだ茄子は日本にはなく、聖徳太子も茄子などという植物が世の中に存在することを知らなかったに違いない。
 茄子は平安時代の終わり頃にやってきた外来植物である。茄子のぬか漬けも焼き茄子も、飛鳥時代にはまだなく、茄子紺という色も、平安時代末期以降に生まれた色名ということになる。

 で、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と呼んでいたのが、いつの間にか「なすび」になったという。夏実というがごとく、茄子は夏によく実る。「秋ナスは嫁に食わすな」という諺は、茄子が体を冷やすことから生まれたという説があるが、なるほど、夏の盛りに実を結ぶ植物には、たいてい体を冷やす働きがあるのだそうだ。
 
 ところで、トマトの原産地はアンデスで、昔はトマト属( Lycopersicon)として独立して分類されていたのだが、今では茄子の仲間。トマトは日本名では、唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、小金瓜(こがねうり)などと呼ばれ、柿だか茄子だか瓜だか、よくわからないのだが、種類的には茄子の親戚という感じになるらしい。
 
 そして、茄子といえばマンドラゴラ! そう、ナス科マンドラゴラ。これは古くから中国西部から地中海にかけて分布していた植物で、なにせ、旧約聖書にも登場するぐらい。マンドラゴラには、恋なすび、とかいう異名があるらしいのだが、それは、春咲き種(M. officinarum)と秋咲き種(M. autumnalis)があり、伝説では春咲きが雄、秋咲きが雌とみなされたことからきているのではないか、とされる。まあ、根っこは足やら手やらが生えてひからびた生き物のように見えなくもない。


 茄子の仲間といっても、茄子からはかなり遠縁の関係性であるのだが、花はたしかに茄子の花のようでもあり、丸っこい実は、なるほどエッグプラント、卵のようにも見える。

 マンドラゴラの実は、毒性があり、麻酔薬とか、下剤として使用していたようであるが、食用などにはもちろんしない。植物性アルカロイド毒、含有。オカルトショップに行けば、乾燥させた根っこを売ってるが、マンドラゴラの場合、毒性が強いのはその根。取扱注意であり、もちろん食品としての販売はしていないし、自家用で薬として煎じるのもNGである。

 マンドラゴラは、魔術や錬金術の話には必ずと言っていいほど登場する植物。引き抜くと悲鳴を上げて、まともに聞いた人間は発狂して死んでしまうという伝説があるのだが、それはまったくの嘘で、耳栓をして黒い犬にひっこぬかせるというまことしやかに書かれている方法も、そんな必要はまったくなし。
 かつて、カルタゴの軍勢が撤退する時にマンドラゴラ入りのワインを残してゆき、街に入ってきた敵軍が毒ワインを飲んで眠りこけたところを襲って勝利を収めたという話があり、だいたい飲んだほうも飲んだほうだが、そんな伝説のある恐ろしい有毒植物なのである。魔力が宿ってるかどうかはわからないが、毒はたしかにある。それは間違いない。

 しかし、マンドラゴラの実のほうなら、毒性を弱めて、食用に改良できるかも知れない。そう、50年ぐらいかければ、不可能な話ではないのかも知れない。おいしいかどうかはよくわからねど、マンドラゴラというネームバリューで、ちょっとは売れそうな気もするわけである。な・に・せ・媚薬。
 そういえば、茄子の実も、昔は、今よりも毒性が強かったようである。野菜はたいていがそうで、畑で栽培するようになってからだんだんと改良されて無毒になり、食用になっていく。野菜はすべてがそのようにして、何百年もかけて毒性を薄めて食用にしてきたといってもいい。が、それに伴って、薬効も低下してくる。そしておそらく魔力も低下してしまうのだろう。
 
  「親の説教となすびの花には千にひとつの無駄もない」などというがごとく、茄子は結実率がよろしい。さすが、多産の象徴だけのことはある。植えてさえおけば、実がなるといって、家庭菜園の人気品種の一つでもある。ただし、日照がないと、まず花が咲かないんですけどね。つぼみのうちに落ちてしまいます。マンドラゴラが茄子の仲間ということは、茄子もマンドラゴラの近縁種ということ、もしかしたら平安の女性たちが恋のまじないに使ったとしても、まったく不思議はないような気がしたのだが、しかし、どこを探しても、そんな伝承はなかった。残念。
 
 さて、我が家のラタトゥイユは、茄子を炒め、そこにピーマンとニンニクとトマト、ズッキーニを入れる。コンソメを1個入れて煮込み、出来上がったら冷蔵庫で冷やす。食べる前にオリーブオイルをかける。ただそれだけ。茹でたスパゲッティなどを混ぜて皿に盛るだけで、冷たいラタトゥイユ・パスタの出来上がり。もちろん、幻覚作用もなければ、媚薬効果もない、ごくごく普通のラタトゥイユですけどね。
 でも、マンドラゴラの近縁種ですから・・・輝くばかりのアントシアニンには、ちょっとだけ若返り効果があるのかも知れない、などと考えてみたくはなりますが。     (占術研究家 秋月さやか)






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2014年9月27日土曜日

ホップは眠り誘う香り、セレスの力を助け、夢の世界へと誘う

「楽しみ、それはビール。苦しみ、それは遠征。」古代メソポタミアの言い伝え。

 が。現代のビールは苦い。ホップが入っているから。ホップ入りのものをビール(Beer)、ホップなしのものをエール(Ale)と呼ぶことが一般的なようである。そして、古代のビールは、ホップなしで、わりと甘い飲み物だった、という説が有力。
 
 紀元前3000年には、すでにビールがあったという。(つまり、それより以前からあったということ。)

 そして、これは大変重要なことであるが!!!
 古代メソポタミアでは、ビールを飲むのは人間の証だと考えられていた。
 ギルガメッシュ叙事詩に登場する怪物エンキドゥは、体を洗い、ビールを飲んで酩酊し、人間になる。つまり、酩酊によって人間の心を与えられたと考えてもよいのではないだろうか。酩酊が神との交流(一種のトランス状態)をもたらしたり、想像力を刺激し、ひらめきをもたらす。
 さらには、気分を劇的に変えて時には別人のようなふるまいかたさえすることもあり、それは他からみたら、他の人格が憑依したように見えることすらあったに違いない。しかも、酔いがさめると、本人にはその記憶がまったくないわけだから、それは自分にはコントロールできない精神世界を体験してしまうことでもある。酩酊だけでなく、夢の世界も、同様に精神世界参入体験である。

(怪物エンキドゥはおそらく原人だったのだろう。が。となると、猿酒を飲んで酔っぱらう猿は、すでに人間に足を踏み入れていると考えてもいいのかも知れず。)
 
 ビールは麦で作る。古代、野生の麦の収穫は、秋分を過ぎた頃だったという。麦の女神であるセレスは、デメテールと同一視されたが、穀物を実らせる豊穣の女神でもあると同時に、冥界の女神でもある。シアリーズ、つまり、シリアルの語源となる名称を持つ女神。

 そして、ビール作りには、セレスの力が必要である。セレスの力というのは、すなわち発酵。発酵と腐敗は紙一重。酵母による発酵は、人類の食文化にとって、どれほど貴重なものであったか!
 古代のビールの作り方は、麦を発芽するまで水に浸し、乾燥させ、挽き、水を加えてイースト(古英語ではGiest。ゲスト、客人。)の力によって発酵させるというもの。
 
 その後、麦汁を腐りにくくするために、ホップが加えられるようになった。ホップには雑菌を抑える働きがある。ホップの原産はカスピ海のあたりで、紀元前から野生のホップが自生していたため、メソポタミア地方では、かなり古くから野生ホップがビールに加えられていたという説もある。が、はたしてこの説はどこまで信憑性があるのかは私には分からない。
 ヨーロッパのビールにホップを加えるようにしたのは、修道女ヒルデガルドだという説がある。が、ドイツのヴァイエンシュテファンのベネディクト修道院にある記録によれば、ホップをビールに入れるようになったのはそれよりも400年も前、西暦736年であるという。
 どうも、いろいろな説があるらしいが、記録が残っているという点で、ヴァイエンシュテファンのベネディクト修道院説が有力であるような気がする。
 
 ホップの代わりに、トネリコの葉、ねずの実、イラクサ、チコリ、ルピナス、エニシダが加えられていた時代もあるし、いまだに、それらの薬草を使用して香り付けがなされているビールもある。
 しかしイギリスでは、エニシダやホップをビールに加えることを禁止していた時代もあった。エニシダやホップには、幻覚作用がある、けしからぬ飲み物だ、というのである。まあ、酒なんて、けしからぬといえばけしからぬ嗜好飲料だけど。ヘンリー8世は、ホップを毒草として使用を禁止した。そう、魔女たちの薬草というわけだ。
 
 というホップの効用としては・・・。
 エストロゲン様作用による更年期障害の改善、睡眠時間延長作用、鎮静作用、胃液の分泌増加作用、イソフムロンの肥満予防効果。
 サッポロビールによれば、ホップ抽出物にホップフラボノール(名前からして、ポリフェノールの一種)に花粉症を軽減する効果があることが突き止められたという。さらには!京都大との共同研究チームが、ホップにはアルツハイマー型認知症の予防効果があることを確かめたと、米科学誌プロスワンに発表した!!
 
 おお、すごいじゃないですか。ホップ。

 おバカな取引先にいらつき、ランチにたべた油物が胃にもたれ、どうも最近体重が増え、もう若くはないわと鏡を眺め、心配事が増えてよく眠れない、というそこのあなた!(&私)、さあ、ビールを飲もうではないか! そして飲んだらぐっすりとおやすみなさいませ。おっと、トイレに行ってから、ね。
 
 おまけ。ホップには、幻覚作用があると言い伝えられている。なにせ、アサ科の植物だから。イギリスでヘンリー8世が毒草だとしたその理由こそ、この幻覚作用である。ただし、ホントにあるかどうかは私はわからない。わからないけれど・・・安眠できたら、きっと楽しい夢がみられるのではないだろうか。
 ホップピロウというのは、乾燥したホップの花びら(ただし、これは毬花といって花弁とはちょっと違う部分だが)を詰めた枕。いわば安眠のおまじない枕。乾燥ホップを枕元に置いても、もちろん同様の効果はあるに違いない。   (秋月さやか)
 

※ 写真は山地に自生するカラハナソウ。ホップの仲間。ホップほど苦くなく、また、香りも弱い。鹿が食べてしまうことがある。なるほど、鹿も安眠したいのか。



参考文献:世界を変えた6つの飲み物 トム・スタンデージ 新井祟嗣訳 インターシフト
参考文献:世界史を変えた50の植物 ビル・ローズ 柴田譲治訳 原書房
参考文献:神々の糧 テレンス・マッケナ 小山田義文・中村功訳 第三書館


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2014年4月22日火曜日

SoupStone、あれこれ。ミネラル補給の石、調理用の焼石、そして現代のSoupStoneは…。

 SoupStoneは、子供の頃、英語の絵本で読んだ話だが、たぶん、英語圏では誰でも知っている話なのかも知れない。

 一人の旅人が道を歩いていた。そろそろ村が見えてくるという頃になって、旅人は、道端の小さな石ころをひとつ拾ってポケットに入れる。何の変哲もない、ただの石ころ。
 日暮れに村に着いて、宿を探すが、どの家でも、食べ物がないので泊められない、と断られる。ようやく、食べ物はないがそれでもよければ、と旅人を招き入れてくれる家を見つける。
 
 その家にも食べ物はなく、みんながお腹をすかせていた。旅人は「鍋を貸してくれないだろうか」と申し入れる。食べ物を持っているのか、と聞かれるが、「いいや、食べ物は持っていない、でもこれがある」と、さきほどの石ころを見せる。
 その石はなんだね?と訊ねる家の主に、「これはSoupStoneさ。スープを作ってくれる石。」と答える。まさか、そんな魔法みたいな話、と、家のみんなは笑う。
 
 「ところで、塩をひとつまみ、貰えないだろうか。」と旅人は言う。塩ぐらいだったらあるだろう、と誰かが台所を探して塩を持ってくる。

 旅人は鍋に水と塩、そして石を入れて火にかけ、鍋の中をかき回し始める。しばらくして、鍋の水が湯になる。すると、鍋を見ていた一人が言う。「納屋にたまねぎが幾つか残っているかも知れない」。そこで、納屋の隅にあったしなびた玉ねぎが探し出され、鍋に入れられる。

 旅人は鍋をかき回し続ける。そのうち、別な一人が言う。「もしかしたら、裏庭を掘れば、にんじんが残っているかも知れない。」そして、裏庭から小さなにんじんが掘り出され、鍋に入れられる。

 旅人はまた鍋をかき回し続け、煮えたたまねぎとにんじんの香りが湯気に乗って漂い始める。と、また別な一人が言う。「おととい、茂みの中にわなを仕掛けておいたんだが・・・何かかかっているかも知れない、見てこよう」。はたして、罠には兎がかかっており、鍋に入れられる。

 たまねぎとにんじんと兎の肉。「さあ、スープが出来たよ、みんなで食べよう」。旅人と家の者達は、その夜、暖かいスープを食べることが出来たのでした。

 次の日、旅人が出かけようとすると、家の主が、その素晴らしい石が欲しい、と言い出し、(たしか、旅人にマントか何かを与えて)、石を貰い請ける、とまあ、そんな話だったような気がしますが。
 
 さて、この話にはどんな意味が含まれているのか。
 ほんの少しづつでも集める努力をすれば、物事はなんとかできるものなのだ、という教訓かも知れない。
 なんでもない石ころでも、意味づけによっては価値があるものになる、というお話なのかも知れない。
 
 それは果たしてどんな石だったのだろうか。石英だったのだろうか、それも鉄鉱石のかけらだったのだろうか。

 以前、岩手の食器屋で見かけた南部鉄の小さな塊は、やかんの中に入れて湯を沸かすと、鉄イオンを補給し、お茶の味をよくするのだという。言ってみれば、TeaStoneか。
 ヘモグロビンの生成には鉄イオンが必要だから、鉄が不足すると人は貧血になる。南部鉄の塊は、鉄イオンを補う貧血防止石でもあるという。実際、貧血気味の人にとって、鉄瓶でお湯を沸かすのは、有効な貧血防止策なのである。
 鉱物、ミネラル。微量のミネラルは、人間の健康に必須。ミネラルが不足してしまうと、健康状態に支障が出ることもある。その反対に、体内に過剰なミネラルを取り込むことで生じる疾患もある。
 鉄鉱石の他にも、ミネラル補給ができるような石はありそうな気がするが、しかしながら、やたらな石を用いると、これはこれで問題がありそうではある。
 
 ところで、古代人は、焼けた石を調理に使った。器に水と食材を入れ、その中に焼けた石を入れると、水が沸騰して食材が煮える。土器、あるいは木の器を用いても、この調理法は可能である。野外キャンプで、この調理法を用いることも実際にある。「焼け石に水」という諺は、たいして役に立ちもしない働きかけのことを言う言葉であるが、しかし「水に焼け石」と順序が変わると、これがなんと、有用な手段となるのである。
 現代の調理では、もちろん鍋に水を入れて火にかけて煮炊きするのが普通だけれど、木の器は火にはかけられず、土器だって高温で焼いたものでないと、水を入れて火にかけることはできない。とにかく、湯で食材を煮るという調理方法は、火で焼く調理方法よりも、はるかに後から発生したものであって、初期の煮炊きは、水の中に焼けた石を入れて行われた。となると、水の入った器に入れる焼石は、広義の意味でのSoupStoneになるのではないだろうか。
 
 
 現代では、もちろん鍋の中に石を入れたりはしないが…。しかし、スープを作る時に、現代人が必ず入れるSoupStoneがある。それはコンソメスープの四角の塊。この塊を入れて、鍋を火にかければ、スープが出来る! そして、ほとんどの家庭には、このSoupStoneが常備されている。
 コンソメスープのモトなんて嫌い、という人の場合でも、スープストックを冷凍キューブにして保存しておく、という上級者向けテクニックを活用することは多々あるはず。実際問題、日々の食事作りで、一からスープを取るのは時間的に難しいので、私ももちろん、この現代版SoupStoneのお世話になっているわけですけどね。   (秋月さやか)


 

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2014年3月28日金曜日

丸鶏料理あれこれランチ。といっても、目的は叉骨ダウジングですが…

 鳥の叉骨。WishBone。これは鳥の胸の真ん中にあるV字型の骨。人間や動物たちにはない。翼ある者達だけが持つ叉骨。と書くだけで、叉骨には、なにやら、翼との関連を思わせるような神秘性があるような気がする。
 
・ 人間を含めた一部の動物は、叉骨の代わりに鎖骨を持っている。が、これは左右に分かれており、V字型ではない。
 人間たちには翼がないから飛ぶことはできない。でも、腕があるから、木登りができるし、手に何かを握ることもできる。

・ 鳥の翼は、人間では腕にあたる。鳥は翼で空を飛ぶことができるけれど、腕はないので、何かを握ったり抱くことはできない。
 鳥の叉骨は、左右の鎖骨が癒着してV字型になったと考えられている。鳥は恐竜から進化した生き物だが、叉骨を持つことのできなかった恐竜たちは鳥に進化できなかった、という説がある。

・ 獣(人間と一部の動物たち以外の動物)には、叉骨はもちろんのこと、鎖骨もない。従って、飛ぶこともできず、木に登ることもできない。腕は足のように、地を走るために使われるのみである。
 
 …となると、天使には叉骨はあるのだろうか。ペガサスはどうだろう?などと考えてみたくもなるが、キマイラは、進化の歴史から外れた生き物だから、除外するとして。でも、始祖鳥だったら、きっと叉骨はあるはず。となると、鳳凰もあるんだろう、叉骨。はてさて、どんな叉骨なのか。
 
 
 伝承魔術では、叉骨の使い方は、おもに2種類ある。

1・叉骨の両側に、2人がそれぞれ、小指をかけて、せーの、で引っ張り合う。骨がポキッと折れた時に、大きいほうの骨を手にした人は幸運。願い事を唱えると叶う、というもの。いわば運試しのゲームね。これが一般的。聞くところによれば、クリスマスやバースディパーティーの伝統的な余興だという。お骨折り、お疲れ様。
 
2・叉骨を、家の戸口、あるいは壁にかけておくと幸運が舞い込む。未婚の女性が戸口にかけたなら、結婚できる、というもの。あるいは安産のお守り。珍しいものをインテリアとしてお守りにする、というような意味合いなのだろうか。鶏は卵をたくさん産むから、安産とか結婚のお守りにはふさわしいのかも知れない。左右の鎖骨が癒着してV字型になった形にも、なにやら縁結びや癒合の力があるように感じられるのだろうか。
 
 だいたい、翼持つものは天意のメッセンジャー。鳥がとまったところ、鳥が飛び立った時、鳥が鳴いた方角。それらによって、人々は未来を占ってきた。屋根に黒い鳥がとまったら凶兆、白い鳥が舞ったら吉兆、などなど。
 
 ローマの建国者であるロムルス(Romulus、紀元前717年生)は、双子の弟のレムスと、どちらが王国の支配者にふさわしいかを決めるために鳥占いをする。それぞれが城壁を築くにふさわしいと考える丘に、祭壇を用意し、神意を問うたのである。まず先に、レムスが用意した祭壇には、鷲が6羽舞い降りた。後にロムルスの祭壇には12羽の鷲が舞い降りた。先に舞い降りたほうか?それとも数が多いほうか? なかなか難しい判定であり、結局、判定はできなかったのだが、鳥の行動イコール神託という構造であることは確かだろう。
 
 鳥に穀物をついばませるという占いもあり、これは中世ヨーロッパでも密かに行われていたらしい。キリスト教圏では占いは原則禁止ですから、魔女的にですけどね。26個の穀物を円に並べ、アルファベットに対応させ、鳥がどの穀物をついばむかによって占うというもの。他の象意に対応させてもよく、数は適宜変化し、もちろん人物に対応させてもよい。知りたいことはニワトリちゃんが教えてくれる、というもの・・・。でも、ニワトリに結婚相手を選んでもらうのって、ちょっとどうなのよ、とは思うわ。
 
 鶏どうしを戦わせる闘鶏は、もともとが戦の勝敗を占う鳥占いであった。これは、平家物語にも登場し、源氏と平家の運命を決める重要な役割を果たしている。
 
 
 さて、丸ごとローストしたチキンやターキーが食卓に上った時などは、叉骨を取り出す絶好の機会。が、叉骨って、細くて脆いので、乱暴に捌くと、壊れてしまって、わからなくなってしまう。脆くて珍しい。これも叉骨の神秘性を高める要因なのだろう。
 ペキンダックにも、叉骨はあると思うけど…。雉は?鴨は?などと、あれこれ考えてはみるものの、ペキンダックは予算の関係で無理そうだし、丸鴨、丸雉に至っては、入手方法がよくわからず。
 たまにケンタッキーフライドチキンに入った時や、鶏ガラを買った時などに、叉骨を探してみたけれど、やはりよくわからない。
 
 ええい、しかたないので丸鶏買ってみた。大きさにもよるが、私が購入したのは定価1600円…が3割引になったところを狙って。「あら、ローストチキンとか作るんですか?」と、顔見知りのレジのお姉さんに聞かれました。「え、あ、はい、まあ、そうね、時々。」とか、曖昧に答える私。叉骨が目的なんですよ、なんて本当のことは答えられないじゃないですか。

で、丸鶏、料理開始!

 当初はオーブンに入れて焼こうかと思ったんですが・・・わりと大きく、オーブンに入らず、蒸し鶏にすることに。ただ、腿を外して焼くというのはアリだったかも知れません。
 ローストチキンは、皮がおいしいのですが、あのぱりぱりの皮を作るには、塩を適当に擦り付けて、まず干します。皮が乾燥してから、油を塗って焼く。理想的には、半日ベランダで天日干しですが、冷蔵庫の中で、1日半ぐらい乾燥させてもOKです。とにかく、乾かしてから焼く。蒸すときにも同様で、まずは塩を擦りこみ、表面を乾燥させてから。そうすると、肉の水っぽさも消えます。塩は、肉の水分を吸収し、なおかつ肉を硬く絞める効果があります。

鶏皮が苦手という人は多いようですが、それは調理方法によります。私は、鶏皮は、なるべく外します。干してから、から揚げにすると美味しい。油で揚げる、ただそれだけで、鶏皮ってこんなに美味しいのか、と思います。コラーゲン、もちろんたっぷりですから。
  ペキンダックって、皮を食べる料理です。皮に水飴を塗って焼く。水飴を塗る前にはやはり乾かすのです。もちろん、鶏皮でも、似たようなものは作れます。

胸肉は、ぱさぱさしておいしくないとかって言いますけれど、蒸せばチキンハムが作れるんですよ。茹でるとぱさぱさになってしまって美味しくないんです。
 蒸すのは強火で、30分位はしっかりと、中まで火を通す。蒸したチキンは、冷めてから薄く切る。切れるナイフで本当に、薄~く。薄切りのオニオンとマスタードで、まずはサラダに。パンと、少々のクレソンかパセリがあれば、それで十分です。
 中華バージョンがお好きな人は、花巻きパンに、バンバンジーソース、キュウリかレタス、ウーロン茶でどうぞ。つまり、蒸し鶏は、パンと少々の野菜があれば、食卓が整います。前日に蒸して、冷えたら冷蔵庫に入れておけば、料理は簡単。

 丸鶏からは、もちろん、スープも取れます。蒸し器に溜まったスープを、スープストックに。冷えると固まり、冷たいスープジュレになります。
 
 と、ランチメニューのことはこれぐらいにしておいて。
 
 …叉骨の形からすると、ダウジングに使えるのではないか、と私は思ったわけです。V字型の両端を軽く持って、ダウジングロッドにできるんじゃなかろうか、と。…とりあえずやってはみますが、なんかコツが必要かも知れませんね。骨だけに。
 鳥の叉骨とダウジング。ダウザーの堤裕司氏に、鳥の叉骨でダウジングするという話はありませんか?と伺ってみました。それは聞いたことがない、というお返事をいただきました。ダウジングの専門家がそうおっしゃるのですから、これはやはり難しいのでしょうけれど…。う~ん、いかにもダウジングに適した形のようにみえるんですけど…? 
 
 楔形にもみえる叉骨を投げ、その尖った先で占う…というようなバリエーションも、もしかしたらアリかもと、叉骨の形を眺めているだけで、さらなる想像が羽ばたいてきたりもしますが。ああ、空想家の頭の中には、きっと、想像の叉骨があるに違いなく。

 ヨーロッパでは(おもにラテンの国、イタリア、フランスあたりの文化圏)、叉骨の形を模したアクセサリーを幸運のお守りとして売っているのを見かけるといいます。まあ、肉屋の店先で魔術用の叉骨を売っていたりは…しないでしょうけれど。                   (秋月さやか)




2014年2月13日木曜日

「六韜」をお茶請けに、義仲殿とお茶する気分…二十一夜を偲びながら

 「六韜」は武経七書のひとつで、太公望ゆかりの兵法書。太公望が、文王とその子の武王、2代に教えた兵法のテキストである。
 文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜。の6巻から成る。…昔、私は「六韜」(りくとう)とは、六種類の餡子が入っているお菓子の名前に違いないと思いこんでいた…。白いんげん、黒ごま、抹茶、柚子、桜、栗きんとん! 
 しかし、「六餡」ではなく「六韜」なんです。が、「韜」とは、武器を入れる袋を意味する言葉だという。袋。となると、竜餡とか虎餡の入った最中のようなもの…を、やっぱり私は連想してしまうわけですが。

 などと言ったら、きっと、木曽義仲は大笑いするだろう。「そうか、犬餡があるなら、猫餡もあるよの、きっと、わはは!」と。
 とにかく。「六韜」は、兵法の基礎。武経七書のひとつ。武家はこれを覚えなくてはならず、「試験に出ますよ、これ」というわけですね。もちろん、義仲も、元服した頃から、覚明について武経七書を学んでいたはずで。
 
 
 義仲の父、義賢は、義朝(頼朝の父)の弟にあたる。だから、頼朝や義経と義仲は従兄弟同士なわけだ。しかし、義賢は、あろうことか、兄の義朝に討たれてしまう。実際に手を下したのは義朝の息子、頼朝や義経の兄にあたる義平。

 ああ~、歴史は、似たような名前の人がたくさん登場して、覚えにくいことはなはだしい。しかも、名前を間違えると大変なことになるのですよ。
 昔から、仲間内の争いが絶えない源一族。とはいえ、この同士討ちは、後白河法皇のさしがねであったらしい。後白河法皇は、日本史上、稀に見る悪人だと私は思う。同士討ちをさせれば、いずれその一族は滅ぶことを計算していたのだろう。
 
 木曽義仲、生年月日が不明。それは、母親の身分が低かったから。幼名は駒王丸。父の義賢が討たれた時、2歳。木曽の山中に逃亡し、中原兼遠の手によって育てられる。平家物語の中では、野卑で下品と描かれるが、髪麗しく、色白く、なかなかの豪傑美男子だったようである。たぶん、義経よりも、ず~っと美男だったと思われる。

 以仁王の令旨によって挙兵、叔父の行家と共に戦い、倶利伽羅峠で勝利して上洛。朝日将軍と称された。でも結局、後白河法皇とそりが合わなかった。政治も苦手だったようである。以仁王の遺児である北陸宮を次期天皇に、という願いは卜の結果、却下され、水島の戦いでは大敗北。ああ、きっと、義仲は、占いが大嫌いだったろうと思う。

 1184年旧一月十五日には自らを征東大将軍に任命させたものの、後白河法皇が呼び寄せた頼朝軍(源範頼・義経の軍勢)により、粟津の戦いで討ち死に。三十一歳。1184年旧暦一月二十一日のことだ。(グレゴリオ暦では3月5日)。新・平家物語では、陽が落ちる頃、矢に射られて、命を落としたと描かれる。戦いが終わって暗くなった野には、夜半過ぎ、ようやく下弦近くの月が昇り始めたに違いない。
 
 この年の旧暦元旦は、グレゴリオ暦の2/12ぐらい。立春、約1週間後の旧暦新年となる。宮中では新年の行事なども行われたようであったが、巷では、年明けの祝いなど無理だっただろう。都には食料が乏しかった。義仲の軍勢が、豪快に都の食料を食い尽くしてしまったから。
 義仲が自らを征東大将軍に任命させた一月十五日は、小豆入りの望粥ぐらいはふるまわれたのだろうか。粥卜は行われたのであろうか。とにかく、それから1週間後に、義仲は討たれるのである。
 
 
 さて、と。お茶です、そう。お茶の話。
 お茶が日本にやってきたのは805年で、貴族や僧侶しか飲めない高級品だった。眠気覚ましの薬のようなものだったらしい。当時のお茶は、粉茶を乾燥させてかちかちに固めたようなもので、これを湯に溶かして飲んでいたという。都に入った義仲は、当然、お茶を飲んだはず。茶の湯が確立されるのはもうしばらく先なので、茶筅や茶室はまだなく、窮屈なお点前もない! 
 
 お茶請けといえば…。真っ先に小豆が思い浮かぶものの、小豆餡の入った饅頭や羊羹は、鎌倉時代に入ってから作られるようになったものなので、まだ登場していない。が、麦粉と蜜を混ぜたような干菓子はあったのかも知れない。揚げ餅に蜜を絡めた「あられ」もきっとあったろう。揚げ菓子の代表は「ぶと」である。「ぶと」は、春日大社の神饌。米粉を蒸して餅とし、ごま油で揚げたもの。奈良時代から作られている菓子で、その製法は唐から渡ってきたという。
 新・平家物語の中で、客人のもてなしに登場したのは柿だが、干し柿は、昔も今も、貴重なお茶請け菓子の代表といっていいだろう。
 
 せめて、義仲が、後白河法皇とお茶でも楽しんでいれば、貴族社会に馴染むこともできたのではなかろうか。型破りな連歌のひとつぐらい、詠んでいれば…。

 いや、どんなに義仲が剛の者であっても、魑魅魍魎には勝てなかったということだ。都に潜む魑魅魍魎の正体は、権力欲であり特権階級の利権である。そのような欲望が取り付いて、人をも魑魅魍魎に変えてしまう。昔も今も、人の世は、何も変わってはいない。
 義仲が所望したという関白藤原基房の姫君(新・平家物語では冬姫という名で登場)もまた、ある意味、妖怪変化ではなかったのだろうか。かつて頼政が退治したという鵺の化身だったとしても、まったくおかしくはない話である。都はかように怖いところだ。   (秋月さやか)




2014年2月5日水曜日

ママ、僕はいったい誰の子なの? 清盛よ、アイデンティティ・クライシスを越えろ!

 平家物語は、正確には平家VS源氏物語と名付けるべきなのだろうが、主人公が清盛ですから、まあ、平家物語なのでしょうね。
 
 清盛の生家は貧しかった、というところから、吉川・新平家物語のお話ははじまる。貧乏な家には客の出入りもあまりなく、庭の手入れもされておらず、だから草がぼうぼうに生える。それを貧乏草と呼んでいたということで、なんと、吉川・新平家物語、第1話のタイトルは「貧乏草」! 
 
 
 しかし、ないものは金と地位だけではなかったのでした。第2話では、さらなる衝撃的の事実が語られるのであります。
 忠盛の妻、泰子は、白河の君の愛妾であったが、八坂の悪僧と密通したために、お宿下がりを申し渡され、忠盛の妻となった、その時、すでに清盛を身籠っていた、と。(注・これは、吉川・新平家物語の解釈です。)
 
 清盛、驚愕。父であると思っていた忠盛は父ではなかった。それどころか、自分が誰の子であるのか、それさえも判然としない。白河の君の御落胤か?それとも、八坂の悪僧の子か? アイデンティティ・クライシス。ママ、僕、誰の子なの? と、母の泰子に問い詰めるも、泰子、笑って答えず。

 清盛は母親の泰子を女狐とののしり、そして泰子は家を出て行く。はい、家庭崩壊です。金がない、地位がない、そして、家庭崩壊。とまあ、新・平家物語は、そんなめちゃくちゃな状態からスタートするのです。大河ドラマの画面が埃っぽいとか、見え難いとか、なんかそんな話もあったようですが、そんな生易しいお話ではありませんよ。(注・私はまだ観ていません。)
 
 清盛の出自についてですが、歴史的に、母親も生年月日も判然としません。清盛の命式とかホロスコープを作成しようとして調べた方もいるでしょうが、わからなかったはずです。資料がないんですから。
 これは、清盛の生母が、身分の高い女性ではなかった、ということを物語っています。歴史には、祇園女御(白河法皇の愛妾)の妹、あるいは侍女が清盛の母であるという説が有力で、生母は清盛が2歳ぐらいの時に亡くなっている可能性が高い、というあたりでしょう。そして、当時から、清盛の白河法皇御落胤説はあったようです。
 
 清盛の父の忠盛はというと、とにかく子沢山。清盛の母を含めても、おそらく、3人ぐらいの女性を妻としているようです。歴史的に、そのあたりが判然としないというのは、やはり、貧しい生活に嫌気がさして、妻が家を出て行ってしまったのか、それとも、当時の家族関係とは、まあ、そんなものだったのか。
 
 
 とにかく、吉川・新平家物語によれば…。
 父が遺伝子上の父ではない、とわかっても、「父上、わたくしの父上」と、清盛は忠盛に呼びかけ、「おお、父と呼んでくれるか!」と、忠盛、涙。親子が泣きながら手を取り合う、という筋書き。おおお、泣けますね、これは。
 
 おっとこれ、平安時代末期のお話なんですよね。今なら、間違いなく、遺伝子検査対象でしょうか。まあ、白河の君のスキャンダルは、日常茶飯事のことなので、特に問題にはならないとしても、です。
 
 さて、清盛、旧暦十二月、平治の乱を熊野で知り、都へ戻ることを決意。
 そして熊野別当から手向けにと渡された蜜柑(非時香実、ひじくのかぐのみ)を手に取る。蜜柑の中の種は、地上にばら撒かれれば、芽が出る。芽が出るかでないかは、その種次第。どの蜜柑の種だったかなどと問われるわけもなく、そんなことに囚われる必要もない。それは天の意思のようなものであって、人が決めるわけではない。己が誰の子であっても、自分は自分である、と決意して、都に向かう場面が描かれるのでした。
 そう、人の出自とは遺伝子だけで決まるわけではありません。遺伝子はもちろん大切ですが…。

参考文献:新平家物語

※ 写真は、神奈川、下曽我地域の梅畑にての風景。蜜柑畑もあります。



2014年1月28日火曜日

立春の野に出でて若菜摘む頃、若菜は芹の一草粥

 太陰太陽暦の年は、立春前後の朔から。というわけで、立春前に元旦がやってくる年もあるのですが、立春を過ぎてからの朔で、新たな年がはじまることもあります。

 立春は年のはじまりの目安ではありますが、それは、節気暦(太陽暦)でのこと。なので、立春と、旧暦朔の元旦と、どちらが本当の正月かと聞かれることがあるのですが、どちらも年初ということにはなるでしょう。
 立春は、年の気が改まるというような言い方をしますし、元旦朔は、年が新たになる、そんな言い方をする人もいますが、まあ、いずれにしろ、ややこしいです。年初は二回あり、その片方が立春、もう片方が朔だ、ぐらいに覚えておくとよいのではないでしょうか。

 とにかく、立春の頃になれば、冬も終わり、春が来るであろう予感がそろそろ。
 実際、日出の時間が少し早くなってきますし、日没の時間が延びたことも実感するようになる時期です。植物は春の訪れの準備を始め、寒さの中でも木の芽が少し膨らんできているのがわかるでしょう。春の七草もようやく露地物でいただくことができそうです。

 旧暦一月七日というのは、立春前後と思っていればまちがいなく、万葉の頃、立春の野に出て、若菜を摘んで粥に入れて食べた、これが日本における七草粥の古い形のようです。若菜はおもに芹。宮中行事では、若菜摘は大切な行事でした。

 ※ 「君がため 春の野に出て 若菜摘む…」この歌は、愛しい人のために若菜を摘んでいるのではなく、大君(皇)のために宮中行事として若菜を摘んでいる歌ですが、ここでいう若菜とは、芹のことだったのではないかという説が有力です。

 そう、芹だけの一草粥でよかったのですね。

 その後、中国の暦が入ってきて、1月7日の「人日」という行事を行うようになるのですが、そのあたりで、七種類の菜を入れるようになっていったようです。七種類の穀物を入れた粥だった時代もあります。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」が春の七草。
 すずな(蕪)、すずしろ(大根)は、日本古来の植物ではなく、大陸から渡ってきた植物。それ以外は、野や道端に生えている草。

 大根は、芹とともに、雪をかぶっても生える青菜です。冬二重宝する野菜。だから大根の葉っぱと芹ぐらい入っていれば、二草粥ということで、いいのではないかと思えますが。、

 あとは、そのあたりに生えているはこべをちょいと摘んで。
 小松菜は、七草のメンバーではありませんが、まあ、入れてもいいのではないかな、と。しかし、ネギはダメです。あれは若菜じゃないからね。

 江戸時代には、町角に七草売りが出たという話が文献には書かれています。江戸の郊外で、はこべを摘んで、売りに来る、ちょっとお小遣い稼ぎのバイトです。「はこべら」は、どこにでも生える野草だったというわけで、この前、港区の公園の片隅に生えている緑のものをみましたら、なんだかはこべの葉っぱみたいで、ちょっと感動モノでありました。

 さて、江戸時代の七草の風習を紹介しましょう。(といっても、私は実際に見たことはないんですが、この風習は明治時代までは行われていたようで、祖母の話や、文献を織り交ぜると、たぶんこんなふうだったろう、ということ。)

 まず、七種類の菜を揃える。次に、台所用品を7つ並べる。まな板、包丁、菜箸(あるいは火箸)、桶、ひしゃく、しゃもじ。すりこぎ。…すりこぎは、もうあまり見かけなくなってしまいましたが、すり鉢とセットで使うもの。ささら、薪割り!などが加わる場合もあります。
 桶の上にまな板を載せ、まな板を、各種道具で叩きながら、お囃子を歌う、と文献にはあります。

「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に渡らぬ先に 七草祝いを カチカチカチ」
 
 これはいったいどういう意味なのか? 
 一説には、唐土の鳥とは、春先に流行る伝染病を意味しており、病除けの歌であるといいます。渡り鳥が渡ってくる頃に流行る伝染病。春先のインフルエンザでしょうかね。

 また、古くは鳥追いの意味があったようです。
 野鳥は農耕の敵。植えた種を、片っ端から穿り返して食べてしまう、出たばかりの菜をつっついてしまう。
 農村では、台所道具ではなく、農耕作業の道具で、家の壁を叩きながら歌っていた地方もあったといいます。それが、いつしか台所道具になっていった、ということかも知れません。

 江戸のような都会では、鳥害はなかったでしょうが、きっと、鼠追いの意味が込められていたのではないだろうか、などと想像してみたりします。

 ・・・いや、鳥害、最近はあるんですよね。カラス、鳩。そう、立春過ぎると、鳥たちの繁殖期がはじまるのでした。                                  (秋月さやか)