2013年10月15日火曜日

イイクニ作ろう鎌倉幕府、え? それよりマイナス12年?

 イイクニ作ろう鎌倉幕府、1192年。覚えましたよね、昔。
 と思ったら、1185年から成立という説が有力なんですって? 教科書も書き換えるかも知れないんですって? 
 
 というわけで、サムライヒーローシリーズ、源頼朝編。.
 彼は、1147年、4月8日、名古屋市熱田区生まれ。母の由良御前は、熱田神宮の大宮司、藤原秀範の娘。
 平家と源氏との争いで源氏が敗北、首謀者の息子として処刑されるところを、伊豆に流罪。伊豆ではけっこう楽しく暮らしていたようなんです。伊東祐親の娘、八重姫と恋仲になるのですが、平家の怒りを恐れた伊東祐親によって、仲を裂かれます。
 その後、1178年頃から、北条政子とつきあっていたといいます。が、1180年、以仁王と源頼政のクーデターが失敗し、やばい雰囲気になってくるわけですね。このまま暢気に暮らしてはいられないかも~。
 
 そして挙兵は三島神社の大祭。八月十七日。祭りにつけこんで挙兵しようという作戦は、歴史的にみても古くからありました。
 しかし、旗色悪く、八月二十四日、湯河原の椙山に逃走。この日付は旧暦ですが、太陽暦ではだいたい、9月半ばぐらいだったといいます。残暑厳しき頃。湯河原山中は馬では入れませんので、馬を乗り捨て、甲冑を着けて、急斜面を逃走! 
 馬って、平原を走るものなので、斜面は弱い。鹿に乗れれば、どんなにかいいでしょうね。鹿なら斜面に強いのに。しかし、鹿に乗るのは難しい。鹿島神宮の神様は鹿に乗って奈良まで行ったというのですが…。もしも鹿を乗りこなして家畜にしていたなら、日本の文化もいろいろと変わったでしょうに。と、ちょっと脱線。
 
 とにかく、頼朝軍わずか7騎、・・・って記載されていますけどね、馬を乗り捨てちゃったら騎とは数えないだろうって、ツッコミ入れたくなります、思わず。で、その7人、湯河原山中を敗走、大杉の大朽穴に隠れる。梶原景時、大朽穴の中に入り、頼朝と目を合わせるも「中には誰も居ない」と報告するのです。
 鎌倉幕府発祥の起源、「土肥大椙」ここに在り! 最後の最後まで諦めちゃいか~ん、というお話です。

 その大杉は、大正時代まであったそうですが、台風で倒れ、今は記念碑だけになっています。

 さて、教科書では鎌倉幕府は1185年から成立という説が有力になっていると書きましたが…。この碑では1180年、ここ湯河原山中が鎌倉幕府発祥の地であると記載されています。



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