2013年10月17日木曜日

二十八日の闇夜、昇るオリオン、源氏星と平家星を眺めながら海へ

 源氏の歴史を紐解くには、「吾妻鏡」と「平家物語」が基本です。海外留学生の知人から、「平家物語」って中身は源氏物語だったんだねえ、などと言われたことがありますが、私もそう思いましたよ。
 
 吉川英治氏の「新・平家物語」は、女性の描写が素晴らしい作品です。政子の色香を椿の花にたとえるあたり。政子が頼朝と出会った時、21才。(さらに今風に書けば、恋人いない歴21年)。唇の赤さを椿の花にたとえれば、当然、豊かな黒髪と椿油の香りまでもが連想されるでしょう。
 …と、大好きな「新・平家物語」ですが、全体の印象としては、修験者(山伏)の出番が少ないように思われます。もちろん、文芸作品ですから史実重視ではないでしょうけれど。
 
 「新・平家物語」では、頼朝が石橋山の敗走後、真鶴からの船出は明け方として描かれています。早朝、湯河原の街中を抜けて真鶴の海岸に向かい、なんとそこには政子が見送りに来ていた、という感動的な演出です。それはそれで素敵なストーリーとしても、やはり私は、真鶴からの船出は夜のうちだったのではないか、と思うわけです。
 
 なにせ月のない夜なのです。逃げるなら闇夜に紛れてでしょう。仮に発見されても、なんとかなります。だいたい、鎧を脱ぎ捨てての逃亡はできないのです。鎧を着けていれば、もうそれだけで「落武者ばればれ」状態。それこそ、お天道様の下は歩けません。
 漁師の小船に乗って逃げるといっても、海上で発見される恐れはあり、そうなったら、船の性能を考えた場合、逃げ切りは無理。

 ・・・などと、湯河原は青木精肉店の揚げたてコロッケを食べながら海を眺め、う~ん、と私は腕組みしましたよ。で、その結果、やはりどうしても、闇夜に紛れてだろうな、と思ったのです。
 
 「新・平家物語」では、頼朝が湯河原山中で鳥や木の実を食べて逃亡していたということになっていますが、土肥実平の屋敷から女中が食べ物を届けたという話は、前回書いたとおりです。

 深夜、真鶴海岸までは山伏が付き添い、真夜中のうちに海上に出てしまう、これがもっとも安全なルートに思えるのです。暗い海の上に輝くオリオン、まさに源氏星、平家星を見つけて船を漕ぎ出す。私の頭の中では、そんな想像が駆け巡っているのです。
 
※ 写真はしとどの里の参道口近くにある看板です。



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