2016年12月30日金曜日

年越しに必要なのは、屠蘇と餅と三つ肴(だけ)

 おせち料理って、なんであんなに(値段が)高いのでしょうか。


 しかもカロリーオーバー、塩分も糖分もオーバーメニューとしか思えず、たとえば糖尿体質の方などにとっては決してめでたくなどはない、おすすめできないという雰囲気。私は糖尿体質ではありませんが、しかし、おせち料理は3口(みくち)でよろしい。いや、なくてもいい。おせち料理、それほど好きではないんですよね、私。もともと、三の重の煮物さえあればいいという感じですから。
 
 えっ、おせち料理がないと正月じゃないでしょ、めでたい感じがしない~、とかって言われそうなので、じゃあ年越しって、そもそも最低限、何があればいいんだ、(なくてもいいものはなんだ?)と考えてみたいと思います。
 
 おせち料理の起源を遡れば、それはやはり宮中で、奈良時代に行われた節会(せちえ)に出された料理、節供(せちく)。節会(せちえ)の儀式に供された食事というわけですが、ただしそれは重箱に詰まったかまぼこなどではなく、膳に高盛になった飯とか、れんこんとかごぼうとかだったようで、つまりは神饌。
 おせち料理の歴史はもちろん調べたのですが、あまりにも長すぎるので、とりあえず省略しましょう。

 いきなり結論いきます。

 おせちの基本は三つ肴。屠蘇と餅と三つ肴があれば年は越せる、というのが私の持論であります。

というわけで、餅買って、屠蘇散を薬屋でもらって、あとは三つ肴さえあれば。

 で、三つ肴ってなんだ、ということですが、読んで字のごとく、三種類の肴です。

 現在これは、一般的には数の子、田作り、黒豆、です。


 しかしこの組み合わせはたぶん、江戸時代に入ってからでしょうな。
 

 まずはいちばんお高い鯑(数の子)。


 またまたいきなりですが、これ、三つ肴に必須というわけでもない、ということです。
 干し数の子は江戸時代に入ってから庶民の間で流行した食材で、当時は廉価な食品だったので、庶民が正月に好んで食べたのだとか。八代将軍吉宗公が、おお、数の子って安いから倹約によいということで、数の子を正月に食べるのを推奨したという話をどこかで読みました。ただし、当時の数の子は干し数の子を戻したもので、今みたいな塩数の子ではなかったそうですが。

 以下、文字数稼ぎに、数の子の縁起を書いておきます。
 数の子は鰊の卵、一腹にたくさんの卵がつまっていることから、子宝に恵まれますように、子孫が繁栄しますように、との願いを込めて。じゃあ実際、あの小さなぷちぷちがどのぐらい入っているんだ、ということですが、鰊のひとはら(二本でワンセット)は約6万個前後の卵を持つということです。必須脂肪酸であるEPA(エイコサペンタエン酸)を豊富に含んでいます。
 ちなみに、塩数の子の塩抜きですが、塩水に入れて一晩、水をかえてもう一晩。念入りにやりたい人はもう一晩、薄い塩水に入れて塩抜きしてください。真水はNGです。塩は塩で抜くんです。それから濃い目の出汁醤油に漬け込む。

 でも、数の子でなくてもいいんですよね。だって、加賀前田家の正月膳『日本の行事料理』(タイムライフブックス1974年刊)には、数の子は見当たりませんから。
 だから、数の子の代わりに卵焼きでも伊達巻でも別にいいじゃないかな~とは思います。
 

 はい、お次は田作り。

片口鰯の稚魚を素干しにしたものを、空煎りする。えっ?あの甘辛いタレは?って言われそうですけど、あのタレはなくてOKですよ。
 しかも、2匹でOKです。あのべたべたした小魚を大漁に作る必要はございません。魚はもちろん多産の象徴で、2匹っていうのは、そういう意味でしょう。
 また片口鰯は、昔から田畑に入れて肥料としたため、「田作り」と呼ばれます。田作りを入れた田畑は、土の栄養が豊かになり、豊作となったので、今年も豊作に、という縁起担ぎで食べるようになったとされています。カルシウムが豊富ですから、体にもよろしい。しかし(繰り返し書きますが)、私はあの甘いタレが苦手なんですけどね。ま、普通の煮干しを2匹でもよござんす。縁起担ぎの意味では、それでOKではないでしょうか。
 
  さいごに黒豆。

 加賀前田家の正月膳には黒豆が載っていますが、これ、煮豆などではございません。硬い黒豆が5粒。昔は元旦に硬い豆を食べて、歯が丈夫でありますように、と縁起を担いだのだそうです。

 豆の中でも一般的なのが大豆でしょう。そして小豆、黒豆。
 いずれも痩せた土地でもよく育つのは、根につく根粒菌が窒素を作り出すためで、たんぱく質に富み、「畑の肉」と呼ばれる重要な食料。大豆は節分の煎り豆になり、小豆は小正月の小豆粥。そして元旦は黒豆、と考えるとわかりやすくないですか?

 ちなみに、関西では黒豆はふっくらと、関東では黒豆はしわしわになるまで煮るとか書いてある文献もあったのですけど、関東って広いですからね。私の母方の祖母は北関東の出ですが、黒豆にしわを寄らせないように煮るのは大変だと言っていましたよ。
 
 そもそも。地域によって三つ肴はいろいろと違うもので、島津藩では三つ肴の黒豆はNGなんだとか。理由は島津のお殿様は江戸がお嫌いで、江戸の正月に出てくる黒豆は嫌じゃ、正月から黒いものなんぞ縁起悪いだろうが、ということで島津藩では黒豆NGになったのだそう。

 庶民は煮た黒豆を食べていたでしょうけれど、大名屋敷ではおそらく加賀前田家のように四条流にのっとった正月膳を用意していたんじゃないかしら、従って、硬い黒豆だったんじゃないかしら、と思う訳です。
 黒豆禁止令を出したのがどの殿様であったのかはわかりません。たぶん、28代当主の島津斉彬公でしょう。御正室の恒姫は、徳川斉敦の娘ですから。あるいは5代藩主島津継豊公。徳川綱吉の養女である竹姫を娶り、江戸将軍家と縁戚関係になっているため、もしかしたら万事、江戸流を押し付けられて嫌になってしまったのかも知れません。(継豊は隠居した後、国元に帰ったのですが、竹姫は江戸に居続け、別居生活だったし。)
 
 なお、加賀前田家の正月膳をみますと、田作りとするめ(するめの飾り切り)が載っているようです。数の子の姿はまったく見当たりません。
 
 というわけで。三つ肴どころか、黒豆(畑の幸)と、田作り(海の幸)さえあればいいんじゃないかしら。3つにしたければ、伊達巻か紅白かまぼこでも付ければOKではないでしょうか。
 正月に飽食したくない方も、参考にしてください。

        (秋月さやか)



参考文献:『日本の行事料理』(タイムライフブックス1974年刊)

2016年9月24日土曜日

勇者ミカエルは、万能薬ショウガオールを手に入れ闇のドラゴンに立ち向かった! 

 生姜の原産地はインドであろうと言われています。生姜は、カレーに使用するスパイスであるターメリックなどの仲間。

 乾燥生姜は、古くからヨーロッパ、古代ギリシャやローマに渡って薬として利用されていたということですが、ヨーロッパでは生姜が生育しにくかったため、産地であるインドからの輸入品。つまり、生姜はオリエントの味覚ということ。

(東方見聞録を書いたマルコポーロが、インドで初めて生の生姜を見たというような話が記載されているぐらい。)

 ちなみに、14世紀のイギリスでは生姜は大変な高級品で、1ポンド(約450g)は羊一匹と等価だったということである。

 現在スーパーで売っているひね生姜は、小袋ひとつ、だいたい80g~100g。ひね生姜を乾燥させると、水分が抜けて5分の1から6分の1ぐらいの重さになるので、ということは、450gの乾燥生姜を作るには2~3㎏ぐらいのひね生姜が必要。
 ひね生姜1袋。安売りなら150円ぐらいで売っているんでしょうか?(産地指定などにこだわらないとした場合)。ということは、ひね生姜3500円分ぐらいを乾燥させれば、羊1匹が手に入る? メェエエ~
 とまあ、当時はそのぐらい乾燥生姜は高級品だったということですね。
 
 そして9月29日の「ミカエル祭(Michaelmas)」。
 つまりは秋分祭が起源だと考えられるこの祭典の主役は大天使ミカエルで、ミカエルは剣を持った有翼の勇ましくりりしい姿でドラゴンを退治するスーパーヒーロー、勇者。
 この場合のドラゴンは、疫災の具現化みたいなもの。一説によればミカエルは堕天使サマエル(もしくは闇のドラゴン)と双子の兄弟であり、堕落したサマエル(ドラゴン)と争う宿命を背負っているのだとか。
 それは、光と闇が鬩ぎ合うという秋分の性質を意味しているもので、そのためミカエルは、右手に剣、左手には天秤秤を持つ姿で描かれることもあるわけですが、天秤っていったら。そう、アストレイアの天秤。

 疫災のひとつには病があるわけですが、昔は、病は悪魔(魔物)によって引き起こされるものでありました。
 
 つまり、体内の免疫系がミカエルで、感染症がドラゴンというような感じなんでしょうか。となると、免疫系のミカエルを助けるのが、エリクサーとしてのジンジャー(ショウガオール)!
 そう、大天使ミカエルは、万能薬のショウガオールを手に入れて、闇のドラゴンに立ち向かう!

 もしかしたら、桃太郎の黍団子みたいに、ジンジャークッキーをやるからドラゴン退治のお供をしろと仲間を集めていたんじゃなかろうか・・・(というのは嘘ですが。しかし、中世ヨーロッパでは、ジンジャークッキーは高級品だったことは間違いなく。


 とにかくそういうわけで、ミカエルマスの門前市では生姜が売られる。これがヨーロッパの9月の風物詩ということです。

 おや、芝明神の生姜市みたいな。時期も9月、ほとんど同時期ではないですか。
 しかし、ミカエルマスに並んでいるのは、芝明神のように生の生姜ではなく、乾燥生姜という違いはありますが。

 乾燥生姜の香りは、新鮮なシネオールの香りとはちょっと違う感じ。ジンゲロール(体の余分な熱を取り、体温を下げる)も、ショウガオール(体を温める)に変化しているわけですし。
 乾燥生姜は、これからやってくる寒い冬を乗り切るために必要な薬でもあったのでしょう。

 ヨーロッパでは、生姜を料理に使うことはあまりないようです。ジンジャースープなんていうレシピは聞いたことがありませんし、いっそ、ミカエルマスにはガチョウのジンジャー煮込みでも作ってしまえばいいんじゃないかと思うわけですが、なぜかジンジャー煮込みもない。

 ヨーロッパで生姜を使った食べ物といったら、まずはジンジャーエールでしょうか。
 昔は、エール(アルコール分の強いビール)の中に乾燥生姜をスパイスとして入れた飲み物であったようです。(今では生姜パウダーをサイダーの中に入れたもの、つまりアルコール抜きがジンジャーエールと呼ばれていますが。)
 
 そしてジンジャークッキー。これはジンジャーパウダーを練り込んだクッキー。さらにはジンジャーシュガー。
 といっても、ジンジャーシュガーは、伊勢土産の生姜板とはちょっと違う。生姜を薄くスライスして、砂糖を入れて煮詰めたグラッセを乾燥させたもの。
(ひね生姜をスライスして茹でこぼしてアクを抜き、砂糖を混ぜてゆっくりと煮詰めて作ります。)
 
 朝夕、冷えこんでくる季節にはジンジャーエールが喜ばれたに違いないし、ジンジャークッキーやジンジャーシュガーも、紅茶のお供としての「体にいいお菓子」だったのでしょう。

 神社とか教会とか、人々が健康であることを願う場所には、病気を癒し、健康によい薬効のある食べ物の知識が集まっていたということ。
 そして生姜は、日本でもヨーロッパでも、珍重された薬効植物であるということです。

@紅茶


おまけ。ジンジャークッキーを食べるたびに思い出す、どこかの港町の話


 中世、イギリスのある港町に生姜を山積みした船がつきました。その船にはミカエルマスで売るための生姜が積まれていましたが、しかし荷降ろしをする前に、高い税金を支払うことを求められます。船の持ち主は、高い税金の支払いを拒否し、船に積んであった生姜をタダで人々に配ってしまったということです。
 
 私はこの話を、子供の頃、綺麗な缶入りの輸入品(舶来品といったほうがいいような)ジンジャークッキーを毎年くださる方から聞きました。私は、お歳暮にクッキーをいただいていたとずっと思っていたのですが、改めて考えてみると、もしかしたらミカエルマスにいただいていた可能性もありえます。
 そのイギリスの港町とはどこであったのか。いや、イギリスだったのか、フランスだったのか、それさえも曖昧なのですが、とにかくヨーロッパのどこかの港町のお話のようです。

 私は、ジンジャークッキーを食べるたびにこの話を思い出し、そのたびに、ドーバー海峡の灰色の波と白い岩肌の向こうにある、どこともわからない港町の映像を思い描くのでありました。

 賑やかな市、手品師やお菓子を並べた屋台に着飾った人々。そして、綺麗なジンジャークッキーの缶。
 どんよりと曇った晩秋の日の午後に熱い紅茶を入れ、綺麗なジンジャークッキーの缶を開ける時、なにやらそんな賑やかな市の様子が、ふと想像できるような気がして。

        (占術研究家 秋月さやか)




2016年9月20日火曜日

「しょうがない」の反対は「生姜あれば憂いなし」 ・・・えっ?!

生姜の古語「はじかみ」は、食べるとはじかんじゃうから。


 生姜は日本には大陸から2世紀頃に伝わったとされる薬用植物。

 古くは「くれのはじかみ」と呼ばれていたということですが、「はじかみ」とは辛い味に顔をしかめて歯をむき出すことを意味する「はじかむ」という古語が語源なのだとか。なんだかワイルドな表情のようですよ。歯が不揃いに生えている様を言った言葉という説もあるのですが、不揃いな歯を剥きだすっていったら、まるでう~っと唸って牙剥いているみたいなもんでしょうが。

 まあとにかく、生姜を齧ったら(その強烈な味に)、顔がはじかんじゃった、というような使い方をしていたんではないでしょうか。ちなみに、山椒は「房はじかみ」、やはり、食べると顔がはじかんじゃうんですね。
 
 「はにかむ」という言葉は、恥ずかしそうに顔を赤らめるみたいな意味で今は使われていますが、もともともとは「はじかむ」が語源だったのだとか。恥ずかしく、きまり悪くて、まるで辛い物を食べて顔をしかめるように歯をむき出してしまう不快な表情のこと。

 となると、「はにかんでいる君の顔がカワイイ」なんていう使い方は、古語としてはNG! もしも平安時代にタイムスリップしたなら、「はにかむ」女子は、強烈な表情で嫌がっているということですよ、それ。
 
 
 さて、生姜は漢方薬にも用いられる薬効植物、いわゆる薬味ですが、その3つの効用とは、シネオールで胃をすっきり、ジンゲロールで殺菌、ショウガオールで体を温める。
 
 生姜のあのさわやかな香りは「シネオール」で、これが健胃、食用増進をもたらすのだそう。
 
 辛味成分の「ジンゲロール」は殺菌作用。刺身にすりおろした生姜を添えるのは、魚の毒にあたらないためだっていうのですが、たしかにジンゲロールには優れた殺菌作用があります。ただしジンゲロールは、同時に発汗効果によって体温を下げる解熱効果があるため、夏の暑さを和らげるには最適ですが、冬は体を冷やすのだそう。

 そして「ショウガオール」。ジンゲロールは乾燥や加熱によって「ショウガオール」に変化します。この「ショウガオール」には体を温める働きがあるということです。そのため、寒気を伴う風邪の初期症状の治療に使われます。

 ということで、健胃、解毒、風邪など、日常の体の不調には生姜! 古くからお手軽な民間薬として重宝されているのが生姜。 そう、生姜さえあれば! 「しょうがない」の反対は「生姜あれば!」(違うって?!

@生姜

    

生姜を英語で…ジンジャー! Oh!ジンジャの門前で生姜を売るのが生姜市?


 まずは芝明神の生姜市のお話から。芝明神の大祭は現在、9月16日の前後、11日から21日までの秋祭りですが、かつて境内では生姜市が開催されていたのだとか。

 芝明神は平安時代の創建された古い神社で、今では芝大門のビルや商店街の中にあるわけですが、昔はその周囲は畑。畑で生姜された生姜を神前に供え、参拝者に授与していたということです。
 
 生姜の毒消し→諸厄を祓う。体を温めて健康にする→長寿をもたらす。「生姜は穢悪(えお)を去り神明に通ず」ということで、江戸時代には、芝明神の秋祭りには山積みの生姜を売る市が立っていたということです。
 生姜を食べれば風邪ひかない、胃を健やかにする、と人々は健康食品としての生姜を買いにやってくる。健康食品がブームなのは今も昔も変わらないし、神社の門前で売っているのであれば、なおさら霊験もあるんじゃなかろうか、と。
 
 今では、文献に記されているような盛大な生姜市はもう行われておりませんが、神社の社務所では生姜を買うことができます。今夜はこれをすりおろして、戻りカツオでも食べようかな。

 ところで甘酢生姜は大好物なので、夏の新生姜が出ると、私は必ず作ります。新生姜を薄切りし、砂糖を酢を混ぜた甘酢に漬けるだけ。簡単でしょう? 

 甘酢は、カップに砂糖1、酢を2の割合で混ぜて煮立たせても。耐熱ガラス鍋で作って冷めたところに、薄切り生姜に塩をまぶして揉んだものを入れ、そのまま冷蔵庫に入れちゃう。一度やってみてください、簡単に出来るから。ポイントはとにかく生姜を薄く切ることですかね。(厚切りの生姜がお好きな方は、さっと熱湯にくぐらせてから甘酢に漬けてください。)

 
 芝明神は徳川幕府に庇護され、かつては「関東のお伊勢さま」と呼ばれていたぐらい、人が集まる賑やかな場所であったということです。

 今でも浜松町界隈は賑やかですが、そのまま芝大門を抜けて東京タワーの増上寺に行ってしまう人が多く、その手前で芝明神商店街に入る人は、今はそれほどはいないように見受けられますが、増上寺よりも芝明神のほうが、うんと歴史が古い。

 生姜板という菓子があります。これは生姜の絞り汁に砂糖水を加えて煮詰め、固めたもの。ジンジャーシュガーと呼んだほうがいいようなシロモノですが、「伊勢名物」なのだとか。



 これは江戸時代、寛政年間頃から、伊勢神宮の土産物として売られるようになったのだそうですが、もともとは、神宮(伊勢神宮)への神饌の一つであったのだとか。子供の頃、祖母が食べていたのを貰ったことがありますけど、なかなか刺激的な味に、はじかんじゃいましたわ。菓子というより、なんか甘い薬みたいなものというような感じ。

 芝では生姜板は見当たらなかったように思いましたけど、生姜飴があったので、思わず買ってしまいました。冬、乾燥した部屋などで喉がイガイガとした時の喉飴にしようっと。
 おそらく、生姜板も、そんな感じでお茶請けにしていたんではないでしょうか。「今日は冷えるから、生姜板でもおひとつ」っていうような感じで。
       (占術研究家 秋月さやか)
   



@神灯







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 現在、秋月さやかは「占いの世界」(アシェットコレクションズジャパン)に、「縁起食材」を連載中。2017年からは「道具の縁起」連載予定

こちらのブログでは、食材をテーマに書いていますが、
秋月さやかの占術解説エッセイ(無料)は、以下のサイトでも読めます。
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2016年8月11日木曜日

狐の修行僧は上方からやってきたベジタリアンで油揚が大好物

油揚は精進料理だった

油揚は薄切り豆腐を油で揚げた加工食品で、本来の名前は「油揚豆腐」という。
 水切りした豆腐を油で揚げ、表面に揚皮を作ったもの。ちなみにこの「油揚」には、豆腐をそのまま揚げる「厚揚」と、豆腐を薄切りにした「薄揚」があるが、薄揚をさらに高温の油でもう一度揚げると、揚皮の間に空洞ができる。これが薄揚の特徴でもあり、現在一般的に「油揚」と呼ばれている食品のこと。つまり、現在、一般に売られている「油揚」は、正式には「薄揚油揚豆腐」なのかと。
 
 豆腐は殺生を禁じられた寺院の修行僧が食べていた食品で、平安時代末期から作られており、室町時代に入って広く普及。
 優れた植物性蛋白質食品ではあるが、しかし豆腐ばかりじゃ飽きちゃうよということで、いろいろなアレンジが考えだされる。
 「油揚豆腐」もその1つで、油で揚げた豆腐が、肉や魚の代わりとして精進料理にも使用された。たとえば江戸時代に編纂された豆腐百珍の中の「鮎もどき」という料理は、棒状に切った豆腐を油で揚げて蓼酢をかけたもの。つまり細長い揚げ豆腐を鮎に見立てろということで、これはかなり想像力の必要な料理だったのではないかと思われるわけですが…。
 鮎の代わりになるかどうかという点については追及しないでおくとしても、「油揚豆腐」そのものは美味しい。江戸時代に入ってそれまで高級だった油が菜種油などの普及で廉価になったことで、油揚はさらに一般に普及し、そして庶民に人気の食材となっていった。
 焼いて大根おろしとぽんず醤油を添えたり、出汁で煮つけて唐辛子を振ったり、手軽に一品作れるのもありがたい。というわけで、我が家の冷蔵には安売り日にまとめ買いした油揚が大量に入っております。別に我が家はベジタリアンではありませんけれど。 
 

獣は油揚を食べるのか?

狐は油のにおいにつられて油揚を獲りに来るのだと、明治生まれの祖母は言っていた。狐は雑食性じゃないのに、まさか油揚なんて?と私が首を傾げたら、いやいや、本当に祠の前の油揚をくわえて立ち去ったのをみたことがあるんだから、と言い張る。犬か猫を見間違えたのではないかと思うのだが、それとも人里の狐は油揚の味を覚えてしまったということなのか。狐に供えたはずの油揚を、お腹をすかせた猫がかっさらっていくなど、農村の片隅では時折見られた風景に違いない。
 それどころか、鳶が油揚を攫って行くという物騒な話も日常茶飯事で起こっていたようである。文京区の富坂はかつては「鳶坂」と呼ばれていたが、それは鳶に油揚を攫われる名所であったためなのだとか。
 
 さて、狐や狢などの小動物を、鼠を捕獲してくれる稲作の守護者として祀るという風習が日本では古くからあった。狐が住む洞穴、こんもりした雑木林のあたりなどに祠が祀られていたりするのがそれである。
 ちょっと待った~! 稲荷神は宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ)、もしくは豊宇気毘売命(とようけびめ)、(その他省略)の穀物神であって、狐なんぞを祀ったものではなかろう、というお叱りを受けることもあるが、宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ)、(その他省略)などの穀物神は、古事記の神道系の話でしょう?
 古い時代に、鼠をとってくれる小動物の塚を祀っていたとしても、それほど不思議はない。鼠はとって欲しい。それには鼠の天敵を祀ってしまうのがよいと考えるのは自然な流れであるはずだからだ。ただし、油揚は昔からあった食品ではないため、古い時代のお供えは油揚ではなく、では何を供えていたのかというと…一説には「鼠を供えていた」とかいう記述もあるのですが、それはちょっと勘弁していただきたいものであります。

澤蔵司稲荷と油揚 

というわけで、「稲荷蕎麦」で有名な文京区の伝通院近くの澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)について書きましょう。澤蔵司稲荷は、おやまあここが都内なんでしょうか、というぐらい緑の多い、まるで異界に迷い込んだみたいなところ。
 これは、江戸時代初期、伝通院で仏典を学んでいた澤蔵司という僧の正体が、なんと狐だったというお話。

 伝通院門前の蕎麦屋が、店を閉めてから売り上げを数えていると、木の葉が混じっていることに気づく。注意していると、澤蔵司が蕎麦を買いに来た日には、木の葉が混じっている。そこで澤蔵司の後をつけていくと、伝通院近くのうっそうとした雑木林の中に消えていき、林の中には蕎麦を包んだ皮が散らばっていた、ということである。人間に化けていることを感づかれた狐は、伝通院の学寮長であった覚山上人に「私は狐である」と、まさかのカミングアウトをして姿を消してしまった。
 
 この話には別説もあって、伝通院の学寮長であった覚山上人は、京都からの旅路で道連れになった沢蔵司という青年を気に入り、入寮させる。彼は成績優秀で、入寮して3年、覚山上人の夢枕にたつ。「我は千代田城内の稲荷大明神であり、かねて勉強をしたいと思っていた長年の希望をここに達した。これより元の神に戻るが、当山(伝通院)を守護して恩に報いる。」と、かなりの上から目線で告げて(神だからしかたないか)、暁の雲に隠れたという言い伝え。あるいは正体を明かしたのは元和6庚申年5月7日の夜で、当時の学寮長は極山和尚であった、という説など。
 いずれにせよ、この沢蔵司が油揚を入れた蕎麦が大好物だったということから、稲荷神社に油揚を供えるようになったのだとか。まあ、正体が狐だろうがなんだろうが、修行僧の身ではベジタリアンになるしかないわけで、実際、油揚はベジタリアンにとってかなりありがたい蛋白質補給食品であることは確かでしょう。
 
 がしかし。江戸城内に稲荷神社なんてあるのか?
 と思って調べてみたら、かつてはあったのだとか。
 室町時代中期、太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)を患ったことから京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)を勧請。ただしこの一口稲荷(いもあらいいなり)の「いも」とは、サトイモのことではなく、疱瘡のことで、疱瘡の穢れを洗い流す神社であったようです。この一口稲荷は、かつて京都の巨椋池(おぐらいけ)にあったようですが、現在はありません。巨椋池は伏見城築城に伴って埋め立てられてしまったため。
 そして徳川家康の江戸入府後、慶長11年(1606年)に江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川の岸辺に遷座。これは現在のお茶の水界隈で、JRの線路脇。これが駿河台の「太田姫稲荷神社」の起源。
 つまり、沢蔵司のお話は、江戸城内に祀られていた一口稲荷が江戸城外へと遷座させられた後のお話で、さらには京都から江戸へと政治の中心が移って行った時期の噂話であるということでしょう。
 澤蔵司は、かつて京都巨椋池にあった神社ゆかりの狐、夢枕に立ったのが旧暦5月7日。5月7日といえば、慶長19年の大坂の夏の陣の最終日。京都から江戸にやってきた稲荷狐が、滅亡した豊臣家の縁日に伝通院の守護を約束するという、まあ、そんなお話であるわけです。
 
 ところで、もともとは上方の寺院などで作られていたと考えられる油揚は、菜種油などの普及に伴って江戸の町で大人気になったわけですが、さらには江戸初期、庶民の間で大流行したものがもうひとつ。それは蕎麦! その2つを組み合わせた「油揚蕎麦」は、当時の人気料理最先端であったでしょう。となると油揚蕎麦に「稲荷蕎麦」とネーミングし、京都巨椋池ゆかりの狐が化けた沢蔵司のお話を広めるという、これは新たな人気料理の宣伝作戦だったのではなかろうか、とも思えるわけですが。
   (占術研究家 秋月さやか)

※写真は油揚。油揚を裏返しにし、うなぎのたれを絡めてフライパンで焼けば、あ~ら、偽鰻に化けます! ぜひやってみてください。美味しいから。鰻資源の保護も兼ねて。













2016年7月17日日曜日

忘れないで、忘れたい、やっぱり忘れられない。花占いではありませんが。

  「忘れな草」はムラサキ科の花で、 儚く青い色の寂しげな雰囲気からなのか、その名前の由来には悲恋の伝説がつきまとう。
 昔、ライン地方で、恋人のために岸辺に咲く青い花を摘もうとした若者が、足を滑らせて河に落ちてしまう。溺れながらも「ボクを忘れないで」と差しだした花…から名づけられたというもの。
 水辺は危険ですので気をつけたほうがよいです。つまり、この花の咲いているところは水辺で足場が悪いからね、という危険シグナルサインとしての命名、戒めとしてのお話なんじゃないかと思えますが。しかし男性にとっては、「できもしないことするんじゃないぞ、溺れるから」という意味を込めて、女性には愛を確かめるために無理難題を吹きかけると大変なことになるぞ、とこれもまた戒めを込めて。
 
 ところで、和製「忘れな草」として登場するのはコマクサ。夏山登山のハイライト的な花ですが、コマクサが生える場所というのは、間違いなく危険な崖です。コマクサが生えているところ、何回か行きましたけれど、高所恐怖症の私にはなかなか辛い場所でありました。ので、もう行きません。

 そのコマクサ伝説ですが、言い寄ってくる相手を諦めさせようとした娘が、「私のこと本気で好きなら、コマクサをとってきて」と若者に告げるのです。コマクサは、危険な鉱高山に生えているのでありました。これで諦めてくれるだろうと考えたわけですが、そうはならず、若者、本気にして山に登り、足を滑らせて帰らぬ人になってしまったというストーリー。しかしこれはコミユニケーションスキルが低すぎの悲劇でしょう? 言いたいことと反対のこと、言ってますよね。
 それどころか、たしかに忘れられなくなってしまうでしょう。だって、一生、その重荷を背負って生きてかなきゃならないんですよ。という意味で、やはり戒めのお話でありましょう。
 
 そして「忘れ草」というのはヤブカンゾウの花。中国の古典「延寿書」に忘憂草として登場し、万葉人は憂さを晴らすために、ヤブカンゾウの花を身につけたのだとか。ヤブカンゾウに、何やら緊張を緩和するようなアロマテラピー効果でもあるのかと思って調べてみましたが、そういうわけではなさそうです。
 ヤブカンゾウはほのかに甘く、食べることもできます。「甘味」には憂鬱を晴らす力があるというあたりから来た伝承でしょうか。だからヤブカンゾウは猪や鹿に、すぐ食べられちゃうんですよ。ホンカンゾウの蕾を干したものは金針菜で、中華料理に使います。キスゲもカンゾウの仲間で、花は甘く食べられるそうです。ですが、ヤブカンゾウはカンゾウ(マメ科)とは異なる花です。漢方薬の甘草はマメ科のカンゾウのほうです。
 
 ただし、大伴家持は、こんな歌を詠んでいます。「忘れ草 わが下紐に着けたれど 醜の醜草 言にしありけり」
(現代語訳大意→忘れ草は(嫌なことを忘れられる草っていうから)、下着につけてみたんだけれど(全然効かないじゃないか)、このオタンコナスのブス草!大嘘言いやがって。)
 下着にヤブカンゾウの花をつけて、ええいこのブス!と悪態をついていたんでしょうかね。いっそ下着になんか着けずに、食べれば良かったのでは? 
 
 「想い草」というのもあります。これはシオン(紫苑・菊科アスター属)、野菊の仲間です。
 中国の伝承ですが、昔、父を亡くした兄弟があり、兄はその墓に忘れ草(ヤブカンゾウ)を植えて辛い思い出を忘れようとしました。でも弟のほうは、墓にシオンを植え、日々、泣き暮らしていました。そしてもうすぐ1年がたつという日、ある晩、夢に鬼(鬼神)があらわれ、「今日から毎晩、夢で明日起こることを教えてやろう」と言われるのです。こうして夢見の力を得た弟は、そのおかげで、幸せに暮らしましたとさ。という話なのですが…いや、このお話はいつまでも過去ばかりみていてはいけないという戒めにも思えます。
 シオンの花を飾ったら予知夢がみられるのでしょうか? 過去を想い偲ぶ夢だけでなく、未来を信じる予知夢が? シオンには「十五夜花」の異名がありますが、それは花が旧暦八月満月の頃に咲くためです。
 
 「都忘れ」は野菊の仲間。承久の乱で佐渡に流された順徳上皇(じゅんとくじょうこう・第84代天皇)が、「この花を眺めれば都のことを忘れられる」としたところからの命名。でも、よく考えると、このお話はパラドックス。忘れたいと思うのは、忘れていないからでしょう? 忘れようとしても忘れられない切なさともどかしさが伝わってくるようなエピソードであります。

 順徳上皇は「いかにして契りおきけむ白菊を 都忘れと名づくるも憂し」という歌も詠んでいるのですが、「どのような経緯であったにせよ、今は縁のあるこの白い野菊を、都忘れと名付けてみたのだが、しかし嘆かわしい(気分が晴れない)」っていう感じでしょうか? 都忘れは紫が好まれるそうですけれど、どうやら白だったようですね?
 
 なお、「都忘れ」は、ミヤマヨメナ(シオンの仲間)のことと考えられています。ヨメナは、春になればその若葉を食し、秋になれば花を愛でるといった野草で、都ではなく、地方の風景に似あう花であったようです。都から遠く離れた地を「住めば都」にはできなかったという順徳上皇。ミヤマヨメナの花を眺めるたびに、宮中で咲き誇る大輪の菊を想い浮かべていたのでしょうか。
 別れちゃった元カノを想い出しながら、目の前の今カノとつきあっている男の悲哀のよう。こういう時こそ、下着に「忘れ草」のヤブカンゾウの花をおつけになるべきだったのではないかしら、と思うわけです。
   (占術研究家 秋月さやか)

※ ヤブカンゾウの花。甘いので、イノシシやシカが食べにきます。下着につける気にはちょっとならないけれど、入浴剤とかならいいかも。


新月の闇の中、レプトケファルスは無意識の海から孵り、幻の大陸をめざす

レプトケファルスは鰻の稚魚。透明な体をしているため、英語ではグラスイール、日本ではシラスウナギ。6月から7月にかけての新月の晩に、深海の底の真っ暗な海の中で孵る透き通った体。それがレプトケファルス。

 鰻はその生態に謎が多く、誰も鰻の卵をみたことがなかったため、アリストテレスは鰻は泥の中から自然発生するとか、テキトーなことを言っていたようですし、日本でも「山芋変じて鰻になる」とか、これまたいいかげんなことが言われていたわけで、鰻の発生がオカルトだったという話です。
 しかし、20世紀に入り、ヨーロッパ鰻の産卵場所はサルガッソ海、日本鰻の産卵場所はマリアナ海溝ということがようやく突き止められました。アリストテレス大先生もびっくりでしょう。
 
 ところで。鰻の話の前にフロイトの話をします。(ちょっと長い説明になるけど、なるべくはしょって書く。)
 私はとにかくフロイトはすごい人だと思うわけですが、天才も天才!と思ったのは、無意識という概念の提唱者であったということ以上に、「人間は本能が壊れてしまった病気の状態で、だから全員、おかしいのだ」というところからスタートしているということを知った時です。
 そう、よくぞ言ってくださいました。エデンの園を追い出されてからの人間は病んでしまったわけで、しかし、エデンの園にはもう戻れないので、カウンセリングとかで、なんとか折り合い付けなきゃならないわけですね。
  
 人の心の中には(意識されない領域としての)「無意識」があると提唱したのはフロイトで、理由がはっきりとしない心身の不調は、この無意識領域に抑圧されたコンプレックスが原因であるとしました。
 コンプレックスは本人とっては(たいていは)不快な記憶であるため、意識なんかしたくないわけですが、でも、無意識下にあるそれらのコンプレックスは、本人の心身になんとなく影響を与えていたり、ある時、意外な方向で運命を操ってしまったりするわけです。
 なぜ人は、自分が望んでもいないことをしてしまうのか。(そして人生を不本意に破壊してしまうのか)。 それは無意識下のコンプレックスが原因だとフロイト大先生は考えますが、ではどうやってそれらを解きあかすのか。それこそ、深海に沈んだ幽霊船をひきあげようというような話です。

 そこでフロイトは夢に注目します。眠っているときは自我が弱まり、外界に対する防衛本能が低下するため、抑圧された願望が開放されて夢の中に自由にあらわれることがあると考えたわけですね。
 つまりは、深海に沈んでいた幽霊船が、海面に浮かび上がってくるようなもの?!無意識とは、実現されない願望の眠る深海のような場所だということでもあります。
 しかし、フロイトがこのあたかも深海のような無意識という概念を思いついたのは、もしかしたら「鰻」が原因じゃないの?と私はなんとなく思ったわけ。

 さて、フロイトが、かつて鰻の生殖腺の研究をしていたというのは有名な話ですけど、
鰻を調べまくった研究者たちは、鰻に性別があるかどうかもはっきりしないと言って首を傾げていたわけです。そして19世紀後半、ジークムント・フロイトは雄鰻の精巣を発見! これで鰻には雌雄があることがわかったわけ。いえ、鰻にカウンセリングしたわけではなく、解剖したわけですけどね。
 が、その後、さらに衝撃の事実が! それは鰻の幼魚はすべて雄で、水質や餌など過ごした環境によって性転換して雌になるものがあらわれるのではないか、ということです。
 それがわかったのはわりと最近のことなので、フロイト先生はそれを御存じないと思う訳ですが…。
 
 ヨーロッパ鰻の産卵場所がサルガッソ海であることを証明したのはデンマークの海洋生物学者ヨハネス・シュミットですが、サルガッソ海といったら、船舶が沈没したり行方不明になる「魔の海」伝説で知られ、だいたいバミューダトライアングルと呼ばれるあたり。
 伝説では、この海域は凪になることがあり、何週間も船が動けずにいる間に船体に海藻が絡みついてしまうとか、無人となった船は、その後も幽霊船となって長い間この海域を彷徨うとか。おまけにリバイアサンが出没するとか。無意識の魔界のようなところですな。
 しかしサルガッソ海に集まるのはリバイアサンではなく鰻なのでありました。ヨーロッパ鰻のサルガッソ海での産卵は、冬から春にかけての新月の晩に行われるということですので、だいたい2月ぐらいかな。
 
 一方、日本鰻の産卵場所はマリアナ海溝付近、つまりグアムのあたりの深海。海の中でもっとも深い海。日本の河川で大きくなった鰻たちは、産卵のためにマリアナ海溝をめざし、6月から7月にかけての新月の晩に産卵し、稚魚はその後、北上して日本の河川をめざすというサイクルとなります。
 
 産卵場所が決まっている魚といえば有名なのは鮭で、鮭は河で孵って海に下って大きくなり、河に戻って卵を産む。なぜ鮭が生まれた河に戻ってこられるのかっていうと、それは鮭が生まれた河の水を覚えているからだという。
 鰻のほうはというと、海で生まれて、河をめざし、そして再び、海に帰るわけですが、しかしそれはやはり鮭と同じように、鰻が生まれた場所の水を覚えているからだろう、と言われているわけです。
 つまり、鰻の祖先はマリアナ海溝付近で生まれたに違いなく、生まれた場所の水を覚えていて、そこに戻って産卵する習性を失っていない、ということ。…しかし、なんでマリアナ海溝?
 
 その昔。太平洋に大きな大陸がありました。その大陸の大部分は、ある時、海の底に沈んでしまうが、沈まずに残ったのが、グアムやサイパン、太平洋の島々、台湾や日本だというわけです。その大陸とはムー大陸。つまり、鰻はかつて、ムー大陸の河川(汽水域)で生息していた川魚であったのではないか、という仮説があるのです。
 ムー大陸が沈んでしまい、やむなく鰻は海を泳ぐことになり、が、本来が川魚であるから、河川を遡る。そして生まれた水を覚えている習性から、産卵には、海に下ってマリアナ海溝に戻っていくのだ、と。
 鰻はとても嗅覚が敏感で、水のにおいをかぎ分け、その嗅覚は犬よりも鋭いのだとか。鰻犬って、ここから来ているんでしょうか?(違うか) ムー大陸の水のにおいに導かれた鰻たちは、6月から7月にかけての新月の晩にマリアナ海溝に集って産卵する。
 
 もしもこのムー大陸説が正しいとなれば、ではサルガッソ海は? サルガッソ海には、かつていったい、どんな大陸があったのか。そこで当然考えられるのが、プラトンがその著作の中で言及したというアトランティス大陸!
 プレートテクトニクス理論に基づいて考えると、大西洋の両岸の海岸線を近づけてもキューバのあたりで大きく隔たりがあり、それはここにかつてあった陸地が沈んだ可能性を想像させるものであり、その陸地とは、アトランティス!
 
 鰻はヨーロッパの河川から大西洋に出て、わざわざメキシコ湾流を逆流して、メキシコ沿岸のサルガッソー海で産卵し、サルガッソ海で孵化したレプトケファルスは、メキシコ湾流に乗ってヨーロッパまで移動するということですが、その不自然な動きから、かつて大西洋上には陸地があり、何らかの原因で、この陸地が消失したためメキシコ湾流がヨーロッパ沿岸に到達するようになり、鰻はその流れに従って、奇妙に思える生態行動をとっているという説が唱えられているわけです。何らかの原因とは、その陸地が沈んじゃった、ということですね。
 
 となると、鰻の記憶の中に、ムー大陸はあるのか?アトランティス大陸は?はたして深海の眠りの中で、レプトケファルスは古大陸の夢をみるのか? 
 新月の夜、鰻たちは深海の底で孵り、そして記憶を呼び覚ましてかの地をめざす。古の失われた故郷を。
   (占術研究家 秋月さやか)

※ この画像は、登録済の素材辞典より。



イクチオヘモトキシンは背徳の味?! 


 鰻(ウナギ)、お好きですか? 鰻と聞いただけで、あの甘い香りのたれの匂いが…記憶の中に煙たさと共に蘇り、バーチャルに鼻をくすぐるぐらい、私も!鰻が好きですよ~。でも、鰻よりも穴子のほうが好きかな~。う~ん、どっちもいいな~。 

 ところで。鰻は生食が不可能な魚。サシミ好きな日本人といっても、鰻を生では食べない。それは何故か。鰻の血液中にはイクチオヘモトキシンという血清毒が含まれているから。
 これは哺乳類にとって有毒な成分で、もしも生鰻にかぶりつけばどういうことになるかというと、下痢、吐き気などの中毒症状を訴え、大量に食べると死に至ることもあるのだというぐらい怖い成分。ちなみに穴子にもイクチオヘモトキシンが含まれているそう。
 しかしイクチオヘモトキシンは60℃で5分以上加熱すれば変性して毒性を失うため、従って、加熱処理した鰻は問題なし! 蒸したり焼いたりした鰻は、まったく安全な食材なのでありました。
 といっても、毒は薬に。薬は毒に。無毒化したといっても、もしかしたらイクチオヘモトキシンには何らかの薬効があるのではなかろうかという気もしないではありませんけどね。だから人々は、鰻を食べたがるのではないだろうか、と。
 
 日本だけではなく、鰻はかつて中世ヨーロッパでは人気の高級食材であったということです。ヒポクラテスは「うなぎの食べ過ぎなどによる肥満は人間の体の最大の敵」と著述しているそうですが、しかし、それは消費カロリーが低い(働かない人たち)の場合でしょう。

 ローマ教皇のマルティヌス4世は、白ワインと蜂蜜の鰻の焙り焼きが大好きで、なんとその鰻の食べすぎで命を落としたという伝説が。。。
 ダンテの『神曲』では、マルティヌス4世は煉獄で大食の罪を償っているという設定になっており、高級グルメ&大食のダブル重罪。
 しかし、「鰻を食べ過ぎて死んじゃった」の詳細については、①含め以下のように多々の可能性が考えられると思うわけで、たぶん正解は④あたりだったような気もするわけですが。

①大食で消化器トラブルから死に至る。それが鰻じゃなくても過度の大食は危険。
②うっかりと生焼けの鰻を食べてしまったためにイクチオヘモトキシン中毒に。
③鰻に限らず高カロリー食材の食べ過ぎでメタボ&高血圧&血液ドロドロに。
④好物の鰻に毒を仕込まれ(好物だから警戒が緩んで)、あっけなく毒殺。
⑤死の間際に鰻食べたいと懇願、それが鰻を食べながら死んだという伝説に。

 さて、マルティヌス4世の戒めがあるとしても、それでも鰻の人気は衰えず。そして 鰻といえば、ロンドン名物鰻料理! ロンドン動物園が閉園になるかも知れないという頃(今から20年ぐらい前)、友人に一緒に行こうと誘われ、ガイドブックでロンドンの食べ物事情を調べましたよ。鰻のゼリー寄せ、そして鰻パイ、食べてみたいっ! (浜名湖のじゃなくて。)
 しかし結局、ロンドンのガイドブックを3日程読んだだけで、鰻パイの空想は終わりました。仕事が忙しく、どうにも無理だ、っていう状況になってしまったから。ああ、幻の鰻パイ。といっても、ロンドンの鰻パイはテムズ河の鰻ではなく、オランダ辺りからの輸入鰻を使っているそうですが。(そしてロンドン動物園は、結局、閉園しませんでした。)
 
 ヨーロッパではヤツメウナギも食べます。ヤツメウナギといっても、これは鰻ではなくまったく別の生き物、ヤツメウナギ科で、なんともグロテスクな生き物でありますが。ヨーロッパではローマ帝国の頃から食され、皮も肉も鰻よりも固い食感であるため、貧しい人々の食料となっていたのだとか。
 ヤツメウナギはビタミンA(レチノイド)を大量に含むので目によいとされ、画面で疲れた目には必須。都内にも何軒かヤツメウナギを食べさせる店があるそうで、タクシードライバーの方々がよく行くそうです。
 フランス、ポルトガル、スペインなどではパイやシチューの材料として用いられ、ヤツメウナギの赤ワイン煮込み「ヤツメウナギのボルドー風 (Lamproie aux poireaux)」は有名で、旬である冬から春の季節限定料理なのだとか。なるほど、夏ではなく、冬から春にかけてね。鰻の旬も、実は夏ではなくて秋から冬の脂がのった時期なんだそうですよ。
 ロシアではヤツメウナギのマリネはザクースカ(冷たい前菜)に用いられるのだとか。マリネね、マリネ。
 そしてなんと。イングランド王ヘンリー1世の死因は、ヤツメウナギ料理の食べ過ぎなんだとか! 食べ過ぎるほど美味いのか? 
 
 というわけで。今年の夏は、以下の2つのメニューにチャレンジしてみようかと思っております。
1・「背徳の鰻、蜂蜜焼きマルティヌス風」
 鰻の白焼きに蜂蜜をからめてオーブンで焼けば作れそうな気がするんですが、胡椒もしくはマスタード風味っぽく。どちらにしろ、鰻にはこってりと甘辛い味が似合う。

2・「穴子のゼリー寄せヘンリー1世風」
 ヤツメウナギではなく穴子でチャレンジ。穴子は煮てゼラチンを加えてゼリー寄せに。そしてキュウリの薄切りを添えたサラダ仕立てはいかがでしょう?穴子とキュウリはあいますよ!
 
 とまあ、鰻を食べるお話を書いているわけなのですが、ユダヤ教の戒律にあるカシュルート(ユダヤ教の食事規定)によれば「水に住むうろこの無い物を食べてはならない」とされているため、ユダヤ教徒はタコ、イカ、エビ、貝、イルカ、クジラなどは食べちゃだめ。もちろん鰻も。イスラームでもそうみたいです。
 ただし、近年、鰻のあのぬるぬるした皮膚の下には細かい鱗があるということが発見され、鱗の無い魚から鱗のある魚に昇格したようです。しかしおそらく、戒律に厳しいユダヤ教徒は食べないと思われます。そもそも、鰻の血液は緑色だったでしょう?

 鰻の大量消費国といえばそりゃあ日本ですが、しかし、鰻を食べてはいけないという地域があるのは御存知でしょうか?
 たとえば三島。湧水の里で知られ、湿地も多く、古くから鰻が自生していた地域ですが、鰻は水神様の化身となるため、三嶋大社の神池の鰻の捕獲は固く禁じられていたということです。1697年(元禄10年)の「本朝食鑑」に記載されている「耳鰻」は、鰻にちょこっと耳というか角が生えたよう形で、これが明神の「使い魔」。。。じゃなかった「お使い」でございます。しかしこのような鰻は実際にはいないそうで、鰻ではなく、サンショウウオの姿を見間違えたのではないか、という説が有力ですが。
 
 とにかく三島では鰻を食べなかったのだそうですが、明治維新の時に薩長の兵が三島に宿泊、勝手に鰻を捕まえて食べてしまったのだとか。なのに神罰が当たらなかったため、それ以降、三島の人々も鰻を食べるようになったということです。
 たぶん昔、生鰻を食べた人が死んでしまったために「食べてはならない」という戒めが生まれ、それがずっと語り伝えられていただけなのかも知れません。とはいうものの。私はきっと三島で鰻は食べないだろうと思います。なにせ信心深いので…というのは嘘で、せっかくの昔からの言い伝えなんだからそのぐらい守ってもいいんじゃなかろうかというのと、薩長連合軍が禁忌を破ったというのがなんだなあ、というあたりで(三島では)食べないと決意!
 といっても結局のところ、罰当たりな食材ほど美味しいのかも知れませんけどね。   (占術研究家 秋月さやか)

※ 我が家が常食にしております鰻はこれ!(って、鰻ではないのですが)



2016年6月29日水曜日

 「逆さ水」ってなに? このお題、法事などで親戚がお集まりの際のお茶請けにぜひ。

 水と湯の区別は極めてつけにくいのですが、一般的には室温以下のものが「水」で、何らかの方法を用いて室温以上に温度を高めたものが「湯」という考え方でいいのではないでしょうか。
 
 沸騰した水を「百沸水」と称します。
 この名称、水が百度で沸騰するからかと私は思ったのですが、そうではなく、百個ぐらいの大量の泡がふつふつと出て煮えたぎり、沸騰した水というような意味からきているようです。といっても、「水」じゃなく「湯」ですよね、これは。
(参考文献:人見必大著『本朝食鑑』平凡社東洋文庫)
 
 水を沸騰させることで水中の雑菌が死滅します。古代中国の神話に登場する神農は、水を火にかけて沸騰させてから飲用とすることを人々に教えました。

 
 しかし、沸騰している湯の温度を下げてからじゃないと飲むことはできません。しばらく放置し、温度が下がるまで待つか。もしくは水を入れて温度を下げるか。

 水を入れて温度を下げる場合ですが、容器にまず湯を入れ、それから水を入れろ、と言われます。聞いたことあるでしょうか?

 しかし、ガラスの器に湯を入れたら割れます。従って、ガラスの器でぬるま湯を作ろうとすると、水を入れてから湯を注すしかありません。
 と、そのようにしていたところ「縁起が悪い!」と注意されたという話をたまに聞きます。「そんなことやっちゃだめ!」と、婚家の小姑にすごい勢いでとめられ、グラスをひったくられて水を捨てられたという友人の話を聞いたことがありますが、まあ、日本国中で似たことは起こっているんだろうなあ、と。
 
 なぜ縁起が悪いのか。それは水を先に入れ、湯を混ぜて作るものが「逆さ水」と言われるからです。

 湯の温度を下げる場合は、本当は沸騰させた湯を放置して温度を下げるべきなんですが、しかしながらすぐに温度を下げたいなら、湯の中に水を入れろ(ただし新鮮な)というように、昔から言われており、それが湯に水を混ぜて温度を下げる場合の正しい方法であるとされているわけです。ちなみに、いつ、誰がそういったのかはわかりません。

 正しくない方法「水に湯を入れる」をしてはならないということですが、正しくない方法のことを逆法と言います。といっても、逆法には逆法なりの用い方があって、忌事に用いるのです。つまり逆法で水の温度を上げるという手段は葬儀などの忌事における「湯潅」で用いられます。
 
 なぜ「湯が先で水が後」が正しいのか、理由を考えてみました。しかし考えてもよくわからず、子供の頃の私は、この問題を身内に聞いて回っていました。「昔から言っているから」という無難な回答ではない、ほお、と思える回答を以下に示します。

1・冷たい水は比重が重いため下へ沈んでいくから、混ざりやすくなる。温かい湯を上に注いでも、湯は下へは行かず、混ざりにくい。
(と、祖母は言いました。なるほど。これが生活の知恵で、反対のことはするな、という戒めが逆水。というわけですね。たぶんこれが正解なのでしょう。)

2・風呂を考えろ。風呂は湯を沸かして入るのだ。熱くなりすぎたら水を入れてうめる。風呂は生者が入るものであるから、死者の湯潅はこれと反対にしただけである。
(おお、これも説得力ありありで正解っぽい。昔は、遺体は桶に入れて埋めましたから。)

3・湯の中にちょろっと水を入れることは許されても、水にどばっと湯を入れることなど、湯を捨てるようなことで許されない。燃料代を考えてみよ。
 苦労して沸かした容器の中に水を混ぜるほうが無駄がない。大量の水に湯をちょろっとさしたところで、すべて水になってしまうだけで、エネルギーの損失だろうが。
(生活の知恵という意味でこれもアリなんじゃなかろうかと。)

 たぶん1が正解。でも、2も3もありという感じがします。

 「縁起いいとか悪いとか、人はさんざん口にするけれど、そういうことを気にしすぎると、あの人見ててそう思う~」
 
 さて、さきほど、グラスに水を入れてから湯を注いだら→「そんなことやっちゃだめ!」→小姑とんできてグラスの水を捨てた、という友人の話を書きました。
 この場合の対応策としては、「申し訳ありません、うっかりと」と謝ることです。「だってグラスが割れるから」は、NG返答。どう考えても揉めることにしかなりません。というか、そもそもグラスに湯を入れちゃだめだよ。どうしても入れたいなら耐熱ガラスにしてください。
 
 やれ迷信だとか迷信じゃないとか、迷信合戦の勝敗は、ぜったいに決着つきません。宗教戦争並みに白熱化するだけです。子供のころから言われて育った「縁起が悪い」は、ぬぐいようがないもので、理屈ではないからです。
 家という伝統的グループの秩序維持のルールの1つに、「縁起の踏襲」というのがあります。この縁起というのはだいたい伝統的に踏襲されるもので、その中に育った人にとっては「常識」」です。
 ですが、部外者にとっては何が「常識」なのかはわかりません。私、関東の縁起にはけっこう自信があったのですが、他地域の縁起には意外なものがありまして、やはり婚家の法事などでは「え?白と黄?え?白と緑ではだめでございますか?」などと戸惑うことがあります。
 親戚って、冠婚葬祭のときには必ず集まりますよね。法事の席で、「水が先か湯か先か」、知らないふりをして、婚家の方々に訊ねてみてください。たぶん正解はどなたかが教えてくださるでしょう。そのついでに、「どのぐらい縁起を気にかける一族なのか」も観察できますので、ぜひ。
 
 ちなみに。「湯潅(ゆかん)」は、ご遺体を湯で清める儀式ですが、これは「灌仏」から来ているんじゃなかろうかと思います。「灌仏」は、仏像に香りのよい水を注ぎかけることです。
 ですが、ゆせん(湯煎)ではありませんので、お間違えなきよう。これ間違えると、確実に顰蹙を買います。(注・ゆせんとは、食材を入れた容器のまわりを湯で温めること。)

 なお、写真は「道志 道の駅」で撮影。
                            占術研究家 秋月さやか



2015年7月27日月曜日

薬用植物というより魔界植物。閻魔大王も江戸っ子も、みんな大好きさ、蒟蒻

 日本のお盆事情はまことに奇妙で、本来は旧暦七月十五日に行っていたものを、明治の改暦以降、7月15日という日付はそのままに、新暦(グレゴリオ暦)で行うようになってしまった地域がある。一方、農村や地方では、月遅れ盆として新暦8月15日に行うようになったため、7月15日と8月15日の二系統が生じた、これが日本のお盆の特殊事情です。
 ということはさておき、盆の料理は祖霊のために作るので、基本的には精進料理。がんもどきや蒟蒻などが大活躍。…が、しかし。蒟蒻って、もともとは薬用植物だったんですよ。

 東南アジア原産の蒟蒻が日本に渡ってきたのは6世紀の頃で、仏教の経典などと一緒に渡来したものらしい。当時は、貴族など身分の高い金持ちしか口にすることができなかったという食材。しかも薬用。コンニャクマンナンを使用したダイエットか?そういえば、平安貴族には糖尿病が多かったという説があるから…という連想をするのが、現代人の発想なのだろうが、そうではない。蒟蒻の効用はというと「腸内の砂おろし」だそう。
 
 祖母も、そんなことを言いながら蒟蒻の煮物を食卓に並べていたことがありましたね。「砂おろしって何?」と、私は聞いたことがある。なんで腸に砂なんて入っているわけ?鶏でもあるまいに。と聞いたら「腸に詰まった汚れを取り除く」と祖母は言いましたが…もしかしてそれは宿便? 砂の意味がいまいち判明しないのですが、とにかく「砂おろし」だそうで。が、しかし。現代では、むしろ蒟蒻を食べ過ぎて腸に詰まるほうを心配したほうがいいような気もします。
 
 蒟蒻の作り方ですが、本来は収穫した蒟蒻芋を生のまますりおろし、お湯を混ぜて練り、そこに灰を混ぜて固めたら茹でる。簡単にいうとそんな感じだそうです。(そんな感じだそうです、というのは、実際にやったことがないため。)
 
 蒟蒻は、荒れ地でも出来るということで、作物に乏しい村などでよく栽培されたのだとか。肥料はそれほどいらないけれど、水はけが悪いと育たず、収穫するまでに3年はかかるという。冬になると芋を畑から掘りあげて保存し、春に再び畑に植えて育てる。これを繰り返し、3年たつとようやく収穫できる大きさになるのだとか。掘り上げた芋の中で3年たったものを蒟蒻にする。そう、晩秋に掘り起こした芋をすりおろして作るのが蒟蒻。だから、本来は冬の食材だったというわけ。
 
 蒟蒻が大人気となって巷に広がったのは、江戸時代に入ってから。人気の理由は、あのぷにょぷにょした食感にあったらしい。また、昔は高貴な人しか食べられなかった薬用植物だったというのも、人々の興味を惹きつける要因だったのかと。江戸時代、「蒟蒻百珍」という料理本が発売されますが、これは「豆腐百珍」の蒟蒻版。
 
 江戸では「芝居蒟蒻芋南瓜(しばい、こんにゃく、いも、なんきん)」とまで言われたらしく。これは女子が好む物だそうな。といっても、井原西鶴(1642年-1693年9月9日(元禄6年8月10日)は「浮世草紙」で、「とかく女の好むもの 芝居 浄瑠璃 芋蛸南瓜」と記しており、「蒟蒻」がないことからすると、井原西鶴は蒟蒻嫌いだったのかも…。
 
 そして江戸の町で、蒟蒻がバカ売れしたのは、富士山の噴火のおかげ。蒟蒻は「腸内の砂おろし」効果があると信じられていたため。1707年(宝永4年)将軍綱吉の治世、富士山の噴火で江戸の町にも火山灰が降り注いだわけですが、その火山灰を体の中から出すのに効果があると信じられたのが…「蒟蒻」。つまり、一種の健康食品みたいなものとして認識されていたということ。

 ところで、古くは蒟蒻は冬の食物でありました。それは蒟蒻芋の収穫が秋だったから。
さらには蒟蒻作りは含まれるシュウ酸のせいで手が荒れるので、一般家庭で簡単に作れるものではなかった。そして作った蒟蒻は、日持ちせいぜい2~3日。
 が、その蒟蒻、冬だけでなく手軽に食べられるようになったのは、中島藤右衛門(1745~1825)のおかげ。中島藤右衛門は、茨城県北部の人であるが、乾燥した芋が腐らないことに注目し、15歳から蒟蒻を乾燥させて粉にする実験をはじめ、見事製品化にこぎつける。つまり、こんにゃくの製造革命を起こしたわけです。蒟蒻粉は保存は効くし、持ち運びにも便利。そしてすりおろす手間も省けるというわけで、更に広く普及していくのでありました。

 盆に蒟蒻を食するようになったというのは、たぶん仏教と蒟蒻の関係性、精進料理に使用するあたりからかと思われます。閻魔様は、盆で亡者が地上に帰っている間はお仕事お休みなのだそうですが、盆の食材を仏前に供える関係性から、蒟蒻が閻魔様の好物ということになっていった可能性はあります。
 
 「蒟蒻閻魔」は、文京区にある源覚寺に安置されている閻魔像ですが、蒟蒻閻魔の名前の由来は、宝暦の頃(1751年-1764年)眼病を患った老婦人が7×3=21日間の参籠をする。すると満願の日の夢に閻魔大王が現れ、「私の片方の眼をあげよう」と告げた。目覚めてみると老婦人の眼は治り、代わりに閻魔像の片目が濁っていたという。老婦人は、自身の好物である「蒟蒻」を断ち、閻魔像に供え続けたというお話。そこから「蒟蒻閻魔」という名前が有名になったわけです。いかにも蒟蒻が江戸で人気の食材だったということを漂わせるお話であります。
 
 蒟蒻は地下茎(芋)でも増えるし、種でも増える植物ですが、蒟蒻に花が咲くのは夏。蒟蒻の花はたいへんに臭いという。ラフレシアみたいな匂いで蝿がたくさん寄ってくるのだとか。だから、スマトラオオコンニャクには、(死体花)という和名がついているぐらい。小石川植物園などにスマトラオオコンニャクの花を見に行った方もおられましょう。つまり、蒟蒻は地下冥界に芋を作り、腐った匂いをまき散らす花なのであります。
 しかも、生のまま食べると毒。シュウ酸が大量に含まれているので。まあ、芋はたいていがそうですが、害虫を寄せ付けないためにシュウ酸を含んでいます。そのシュウ酸を水にさらし、灰汁を混ぜ、いわゆるアク抜きをしてようやく食材にできるわけです。生の蒟蒻を食べるのは厳禁。時々、生芋を食べてしまい、病院に駆け込む方がいるそうですので、気をつけましょう。生芋は素手で触るのもやめたほうがよく、とにかく危険な食材なのですね。蒟蒻を乾燥させて粉にした蒟蒻粉は、生芋ほどの破壊力はなく、攻撃性がかなり低下しているということですが、それでも素手で蒟蒻を作るのはやめたほうがよいそうです。花は臭く蝿が集まり、地下には毒の芋。ああ、これではまるで魔界植物ではありませんか。まさかそこから…閻魔様のお供え物になったというわけではない、とは思いますが。
 
  さて、中島籐右門は、茨城県北部の山方町の蒟蒻神社に祀られております。山方町は私の母方の曾祖父が暮らしたことのある地で、子供の頃に墓参に行ったことが何回かあります。あれは寺の山門の百日紅の花が満開の頃でしたから、7月だったのでしょうか。墓の移転で親戚一同が集まり、たぶん寺の本堂で会食をした記憶があります。在の寺ですから、お寺さんで食事を支度してくださる。そこに蒟蒻の煮物がついていまして、ご住職が蒟蒻に手を合わせてから召し上がっておれらる。ずいぶんと信心深い方だと思ったら、「縁あって山方塾に住まっておられた方の御供養ですから、蒟蒻には手を合わせていただいて」などとおっしゃっている。「こんにゃく?」と聞いた私に、ご住職は中島籐右門のお話をしてくださった、というわけです。その神社、どこにあるの?と祖母に聞きましたら「山奥。」だとか。寺の山門まで辿りつくよりももっと多くの階段を上らないといけない山の上の神社だと、祖母は私にそう説明しました。
 
 子供の頃は蒟蒻なんてそんなに好きじゃなかったんですが、最近、蒟蒻を出汁と鷹の爪1本入れて煮含めたのが、しみじみと美味しいと思うようになりました。そういえば、祖母は墓を移転したことをずいぶんと悔やんでいましたっけ。そういうわけで、私は蒟蒻神社にはまだ行ったことはありません。合掌。            (占術研究家 秋月さやか)



※ 向島百花園の蒟蒻。通常、畑で栽培している蒟蒻と同じ種類。5月の半ばに咲いたとかで、行った時にはもう茎は枯れていた。植えてから5年ぐらいしないと咲かないそうで、普通の畑では花は咲かない。




※ 鷹の爪は、16世紀以降に入ってきた食材なので、蒟蒻の唐辛子煮というのは、比較的新しい料理であるといえそうですが。


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2015年6月6日土曜日

桑の実のアントシアニンは熱き血潮、唇の色。恋せよ乙女、その輝きが褪めぬ間に

 「ロミオとジュリエット」を観たいと思って「ぽすれん」で探してみた。1968年、フランコ・ゼフィレッリ監督の作品。その前に、いったい何本のロミオとジュリエットが作られたことか。でも、あのフランコ・ゼフィレッリ監督の作品が最高傑作であることは間違いない。

 ジュリエット役は、かの有名なオリビア・ハッセイ。ロミオ役はレナード・ホワイティング。シェイクスピアに忠実に演出するのなら、2人は16歳と14歳。自分の役柄を完全に理解して演じるなんて、できるわけない年頃かと思う。でも、理解なんてできないという部分もまた、魅力なのだろう。そのあたりの計算は、すべて監督さんがしているわけだ。
 
 私は恋愛映画が好きなわけではない。どっちかっていうと面倒くさいのであまり観ない。しかし、ゼフィレッリ監督の作品は別格、それに、ロミオとジュリエットの原典となっているギリシャ神話のピュラモスとティスベのテーマは、恋愛というより、人の想いの矛盾というか・・・。
 
 さて、ギリシャ神話(ギリシャ悲劇)のピュラモスとティスベのお話はというと、隣同士の未婚の男女が、お互いの姿を見てひとめぼれ、夜な夜な壁越しに愛をささやき合うところからはじまっている。堂々と逢うことができず、壁越しにささやきあう状況は、何やらネット越しのメール恋愛のような。その想いが募って、郊外でデートしようという話になる。妄想が想いを加速させるのである。
 
 ロミオとジュリエットの最初の出会いは「仮面舞踏会」。
 どんな人なのか、妄想をかきたてられるジュリエット、そして、な・な・な・なんと。ロミオは敵の家の息子だった!禁じられた愛。そう、そのまま諦めればよかったのに。ときめきも人の噂も75日、初物は75日たてば旬を過ぎておしまいに。
 
 しかし有名なバルコニーのシーンで、ロミオは聞いてしまう。名前(家)さえも捨てて結ばれたい、というジュリエットの生身の独白を。いや、妄想なんですよ、これは。乙女の妄想。
 とはいうものの、ネグリジェ姿の乙女が訴える熱き血潮の滾り。ああ、そんな想いを耳にして、自分を止められる男がいようか。(たぶんいない。)
 それが、2人の悲劇の始まりである。聞かなければよかったのに。そう、想いが通じてしまったところから、悲劇は始まるわけです。
 
 ロミオとジュリエットの舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派に分かれて争っていたというので、敵同士の家柄が登場するのに最適の地だったようである。
 現在、ヴェローナには「ジュリエッタの家」というのがあるという。観光ツアー必見の場所。ただし、ジュリエットは実在の人物ではないので、これは架空の家なのでありますが。
 そのジュリエッタの家にはバルコニーがあるのだが、もともとこの家にはバルコニーはなく、後から付けられたのだという。しかし、写真で見る限り、よじ登れない感じのバルコニーで、ちょっと不自然。と思っていましたら、そのバルコニーは古代の石棺を使ったものなのだと、FB友達の文学研究者氏から教えていただきました。おお、石棺。なんだか不幸な恋の物語にふさわしい。
 
 年配者からすると「情熱のままに突っ走る愚かさ」に、ちょっぴり羨望のような感覚を抱くこともあるわけですね。若い、無邪気(愚か)、陶酔。これはすべて私にはないものだわ。まぶしく切なくもどかしく。そして一瞬。ああ、最高ではないですか。
 
 シェイクスピア作では、ラマスデー(8月の初め)にジュリエットが誕生日を迎えることになっており、その後、舞踏会が行われるので、これは夏から秋へと向かう時期の話になるわけだ。

 しかし、ギリシャ神話(ギリシャ悲劇)のピュラモスとティスベのお話はもう少し前の時期の設定である。なぜなら、この話には桑の実が登場するからである。

 恋人同士は、郊外の桑の木の根元で待ち合わせをすることにした。彼女が先について待っているとそこに獅子があらわれる。彼女はびっくりして逃げる。逃げる時に、スカーフを落としてしまう。獅子は彼女のスカーフを引き裂く。するとそこに、桑の赤い実の汁がついてしまう。その色がまるで血のようで、後からやってきた彼は、引き裂かれたスカーフが血まみれになっていると思い、彼女が獅子に殺されてしまったと早とちりして、命を断ってしまう。悲劇というより…困った喜劇のようなお話なのである。
 このお話を原典としてシェイクスピアが書いたのがロミオとジュリエットなのですよ。
 
 さて、桑、マルベリー (Mulberry) の実が実るのは、夏至の頃である。種類にもよるとは思うが、山桑はだいたいその頃。桑の実は熟すると赤から濃紫へと変わる。この赤い色素はアントシアニンである。アントシアニンは抗酸化物質であり、pH によっても色が変化する。ポリフェノールも含まれているので、心臓病を防ぐとか、肝機能を助けるとか、若返り効果があるとか、まあ、そのように言われる。命の実…というようなイメージなのか。
 
 マルベリーは濃紫色を意味する色名でもあるが、その語源は桑。赤い桑の実は陽の光に透き通って綺麗だが、かなり酸っぱく、食用にはまだ適さない。桑は、その色が濃紫になってから摘み取るのである。指がまるで血にまみれたようになる。私は桑の実を摘んで洗い、ガラス瓶に入れて砂糖をまぶす。しばらく漬けておくと、濃紫のジュースが出てくる。これはジャムにしてもよい。

 桑の実を摘みながら、私はいつもロミオとジュリエットの物語を思い出す。桑の実が実る夏至の頃。太陽は輝き、鳥は歌い、風は香る。すべてに命の勢いがある。しかし、この美しい景色も、あと75日もしないで萎れていくのだ、と。そう思えば、すべてがまぶしく切なくもどかしい。この一瞬。
 桑の実の色が、あたかも私に命の輝きを蘇らせてくれる秘薬のような、なんだかそんな気がしてくる。熱き血潮のアントシアニンの果実よ。   (占術研究家 秋月さやか)

参考文献:ピュラモスとティスベの物語→「ギリシャ神話小事典」バーナード・エヴスリン 小林念訳
写真は箱根ビジターセンターで撮影。
               

2015年3月30日月曜日

桜の季節の人気者はクマリ~ン! 「くまもん」ではなく「ラブリン」でもなく「クマリン」! 

 日本人は桜が好き。実際、桜の種類が世界一多いのは日本であるという。山桜、大島桜、彼岸桜、富士桜、緋寒桜、上溝桜、深山桜、などが古くから自生している桜で、それらを原種として交配しながら新種が作り出されてきた。

 たとえば、大島桜と緋寒桜の交配が、最近話題の河津桜。ソメイヨシノは、彼岸桜(江戸彼岸)と大島桜の交配種というように。ソメイヨシノばかりが桜ではなく、ソメイヨシノの前にも寒桜や緋寒桜があり、ソメイヨシノの後に八重や深山桜があり、それはそれは見事なものであります。寒桜は冬至過ぎに咲き、上溝桜は高地では夏至近くになってようやく咲くので、つまりは1年のうち半年は桜の花見ができるというわけですね。ああ、花見、花見。
 
が…。
花見の季節は、花より団子ではなく、花より餅。そう、桜餅!
 
 桜餅には、大きく2種類があるのはご存知かと思います。道明寺粉を使った関西風と、薄焼の皮で包む関東風。しかし、そのいずれであっても、塩漬けの桜葉は必須。とにかく、あんこと餅(あるいは饅頭皮のようなもの)を、桜葉で包んだものが桜餅というわけですから。
 
 花を眺めながら、葉を食べる、つまりはそれがお花見ということですね。葉はもちろん、前年の葉を塩漬けにしたものですが、しかし、ソメイヨシノの葉ではありません。

 日本の桜葉の塩漬けの大部分を生産するのが伊豆松崎町。そして用いるのは大島桜の葉。大島桜は伊豆大島に生える桜で、もちろん伊豆松﨑町は、大島桜の生育に適した土地であるということもあり、ほとんどの桜葉はここで生産されるのだとか。
 
 桜葉の塩漬けは、自宅でも簡単にできます。大島桜ではなく、葉の柔らかい種類ならなんでも。吉野桜でも、八重桜の葉でも、山桜の葉でも。ただし、ポイントがひとつだけ。夏になる前に(葉が固くなる前にっていうことです)摘み取ること。そして、豆桜や富士桜は、小さくて固い葉なので、ちょっと無理です。
 
 そうそう、あんこと餅(あるいは饅頭皮のようなもの)を桜葉で包んだものが桜餅なので…。
そう、自宅で作るにはどうしたらいいかっていうこと。

 いちばん簡単な方法をお教えしましょう。大福を買ってきます。半分に切ります。桜葉で巻きます。はい、出来あがり。簡単なわりに、これはわりといけますので、ぜひ試してみてください。
 クレープの皮をフライパンで作り、あんこや羊羹を包んで桜葉を巻くという、中級者向けのバージョンもありますが、とにかく桜葉の塩漬けさえあれば、アレンジ次第で、いろいろなものが作れるのであります。
 
 長命寺の桜餅は、山本屋が墨田川の堤の桜の葉を塩漬けにして作ったという歴史があるのですが(長命寺の門番であった山本新六が、土手の桜の葉を用いて塩漬けを作りはじめ、享保の時代に江戸向島の長命寺の門前にて売り出したところ、これが大当たり!)、
 しかし、山本屋の桜葉は、ソメイヨシノのものなのでしょうか? 見たところ、大島桜のように見えるのですが…さあて。
 ソメイヨシノと大島桜の葉の見分け方としては、葉の表面に生えている毛だそうです。大島桜は、毛がなくてつるつるしているのだそうです。買って帰るやいなや、待ち遠しくてすぐに食べちゃう桜餅ですが、こんど、葉をじっくりと眺めてみましょうか。

 いやあ、花見はおいしい。…じゃなくて楽しい。桜の花を眺めるだけでも、なんだかうきうき、楽し気分ではありませんか。それはきっと、クマリンのおかげなんですよ。そう、クマリンの。

クマリンの正体やいかに… 
 桜葉のあの独特の香り。その芳香成分がクマリン。そう、クマリンの正体は芳香成分なのでありました。あの香りがなかったら、桜餅じゃないって。
 そしてクマリンには、なんと抗酸化作用があるのだとか! つまり、アンチエイジング若返り成分の香り。すごいでしょう、クマリン。ただし、クマリンを大量に採ると毒ですので、香りを楽しむ程度で。そして、クマリンは、桜葉をしばらく塩漬けにしておかないと生成されません。桜の秘密、クマリン。
 
 桜は花(つぼみ)も塩漬けにして食べます。どんな桜であっても可能ですが、こちらは、色が鮮やかで花びら量が多い八重桜で作ることがほとんど。色を鮮やかに出すために、塩だけでなく、酢(梅酢)も入れて漬けるのだとか。もしかしたら、河津桜でも出来そうではありますが。
 結納の席などで出てくる桜茶だけでなく、和菓子や料理の色どりなどにも使われます。私は、甘酒に入れるとか、大根の甘酢漬けに入れるとかしていますが。
 
 桜は皮も薬用になります。桜皮を煎じて飲むのです。苦いのですが、ほのかに桜の甘味が漂うような味がします。私の叔母が子供の頃、春先になって目が痒くなると、祖父と一緒に山に桜皮を採りに行ったといいます。春先のかゆみに桜皮、古くから言い伝えられている民間療法です。桜皮は、漢方薬店でも買えます。
 
 桜はもちろん実をつけます。上溝桜(うわみずざくら)という高地に自生する桜は、一見、桜の花らしからぬ桜です。その実は果実酒にするのですが、これ、「あんにんご」と呼ばれます。アンズの種子(杏仁/キョウニン)に似た芳香であるため、「あんにんご(杏仁子)」と呼ばれるようになったのだとか。(中華料理の杏仁豆腐は、アーモンドエッセンスを使用しますが、あの香りです。)
 なんと。上溝桜の種子は不老長寿の薬酒になるという言い伝えがあり、西遊記の三蔵法師は、ウワミズザクラの種子を捜し求めて旅に出たのだとか。えっ?天竺に経文を取りに行ったんじゃなくて、不老不死の薬酒を探しに?! 

 ただし、桜の中でも、実生で増えることのできない桜があります。それは…ソメイヨシノ。ソメイヨシノは、江戸時代に作りだされた、ただ一本のソメイヨシノを親木として広まったクローン桜なので、実生で増やすことはできません。実をつけることはつけるのですが、その実を蒔いても、ソメイヨシノにはなりません。しかし、接ぎ木でその命を長らえていくという、これまた不思議な桜なのであります。
 
 桜は、不老不死の力を秘めていると考えられた植物でありました。
 コノハナサクヤヒメは、富士山の上から桜の種を蒔いて花を咲かせる女神であったと言い伝えられます。桜が咲くと春。そして地上は若返り、新たな緑が地上を覆う。新たな生命の息吹を与える女神が、コノハナサクヤヒメであったわけですね。

 そして、桜に含まれる抗酸化作用のある芳香成分クマリン。桜が咲くと、なんとなくうきうきして若返るという人、多いような気がしますが。それは芳香成分クマリンのなせる技なのですよ、きっと。     (占術研究家 秋月さやか)

※写真は大島桜。





2015年3月29日日曜日

流行り風邪には、「久松留守」よりも「生姜在宅」のほうが撃退の呪文になること間違いなく

そもそものはじまり
 先日、茨城へ行って叔母の家に一泊した次の朝のこと。起きぬけからどうも喉が痛い。と思ったら、足に力が入らないし、腰が痛いし、瞼も重い。…えっ?! もしかしたらインフルエンザ?!

 「具合悪いの?」と叔母は心配してくれたのだが、インフルエンザ菌保有者が老夫婦の家に長居して感染なんかさせたらとんでもないことなので、「じゃあ、帰るからね~」と、なんでもないふりをしつつ、さっさと車に乗る。約300キロ近い距離、元気な時ならなんということはないが、頭と瞼が重くてどうしようもないのをこらえながら、300キロの距離を運転するのはちょっと辛い。

そして生姜を買う 
 それでも帰る途中、スーパーを見つけて立ち寄り、生姜一袋を必死に探し出し、ついでにサプリ1本でお会計。風邪のひき始めはビタミンCと水分と、そして生姜!

 ガリガリとすりおろした生姜を椀に入れ、お吸い物のモトを入れてお湯を注ぐ。これで出来あがり。口の中がひりっとして、それから体がじんわりと温まってくるし、胃もなんとなくすっきりしてくる。これさえ飲んだら、あとは寝るだけ。そう、生姜のすりおろし入りの汁、これが風邪の特効薬!
 
 生姜(Ginger)。アジア原産の植物で、中世ヨーロッパではエデンの園由来の植物だと考えられていたらしい。生姜は高温多湿の熱帯地方でよく生育する。ヨーロッパではまったく育たなかったことから、輸入に頼っていたようで、そういえば、ミカエルマスの日には、生姜の砂糖漬けを食べるんだったっけか。生姜はあのカレーに入っている黄色い粉、ターメリック(うこん)の近縁種でもある。
 
 生姜の成分のジンゲロール(Gingerol)は乾燥するとさらに強い刺激を持つショウガオールとなる。というか、ジンジャーに含まれていたから⇒ジンゲロール、ショウガに含まれているから⇒ショウガオールって名づけられたわけですが。これらは、吐き気や頭痛を緩和し、なんと低体温状態を改善する効果があるという。さらには。関節リウマチの痛み緩和もしてくれるし、乗り物酔いにも効くらしい。もちろん、殺菌作用もある。なんともすごい薬効植物ではないですか。
 
 我が家では「しょうがない」という状況は好ましくないものとして、いつも冷蔵庫には生姜常備。アジの刺身に、厚揚げの焼いたのに、スーパーの割引の芋天に、生姜醤油は欠かせない食材。えっ?チューブの生姜があるって? う~ん、あれはだめです。苦いでしょ。

 どんなに面倒でも、生姜は都度、すりおろすに限ります。あの香りが、チューブの生姜にはありません。それに、香りも薬効のうち。揮発性の成分もあるから。

 
 とまあ、すっかりと和の食材になっている生姜だが、生姜は日本に大陸から渡ってきた帰化植物なのである。といっても、奈良時代にはすでに栽培されており、古事記にも記載があるから、有史前帰化植物というやつね。

 古くは「はじかみ」と呼ばれた。山椒を「ふさはじかみ」、生姜を「くれのはじかみ」と呼んでいたという。呉竹(くれたけ、はちく)のように、長く伸びる茎を意味する言葉から、「くれのはじかみ」となったのかも知れない。(推測)。で。はじかみって何?ということですが、辛くて顔をしかめる様を「はじかむ」と言っていたらしく、「はじかみ」は刺激的な味をあらわす言葉であるという。

(はじっこをおそるおそる噛むぐらい辛いのか?などという推測もしてみたのですが。ということは、もしかして、はにかむっていうのも、この系列の言葉なのか? ハニーカム!愛する人よおいで、が語源のわけはありませんからね。念のため。)
 
 大陸からは生姜だけでなく茗荷も渡ってきたのだが、香りの強い生姜を「兄香(せのか)」、香りの弱い茗荷を「妹香(めのか)」と呼び、それがいつの間にか「せのか⇒せうが⇒ショウガ」、「めのか⇒めうが⇒ミョウガ」となまっていったという説がある。

 ほほ~、ショウガが兄で、ミョウガが妹なのか。兄妹はちょっと苦しいな。従兄妹ぐらいならわかるのですが。まあ、谷中生姜に茗荷谷と、どちらも半日蔭の湿地、谷間を好んで生育する植物。生姜も茗荷も、日本の気候風土に合っていたらしく、いまでは、すっかりと和食には欠かせない食材になっているわけであります。
 
インフルエンザという流行病 
 さて、インフルエンザはヒポクラテスの時代からあった病で、日本では平安時代に「しはぶきやみ」という病名で呼ばれていたらしい。しはぶき、は咳のこと。咳をする病であるから、結核も肺炎も風邪も「しはぶきやみ」ではあるけれど。

 その中でも、いきなり発症してしかも大勢の人が感染するものが、江戸時代に「はやりかぜ」と呼ばれるようになる。流行り風。インフルエンザ菌は、空気中をうようよしているので、たしかに風が吹いただけで、菌は四方へ広がってしまうわけですよ。なるほど。
 
 そもそも、「インフルエンザ」は、16世紀のイタリアの占星術師(注・医者を兼任しているオカルティストのことを意味していると思われる)たちが、冬に流行し、春になると終息するという周期性から、それは星の運行の影響によって起こる病であると考えたようで(!)、「影響」を表すラテン語(influenctiacoeli)にちなんで「influenza」という病名にしたんだそうである。

 星の影響はないと思うが、しかし、彗星がインフルエンザ菌をまき散らすと言う説は今でもあったかと。

 インフルエンザには流感(流行性感冒)という呼び名もあるがごとく、とにかく、一時的に流行る病。まるで巷で話題になる流行的なエンタメ現象とも似通ったところがあるし、そうそう、恋もそうだった。恋も流行もインフルエンザも、発症すれば熱を上げ、熱が冷めれば、ほどなく病が治る。
 
 寛政年間、1792年頃に流行ったインフルエンザは、当時、流行っていたお芝居、「お染久松」にちなんで、「お染風」と呼ばれていたそうである。そう、お染久松は恋仲だったわけですね。油屋の一人娘お染が、許嫁がありながら丁稚の久松と恋に落ち、心中を遂げたという実際にあった事件(スキャンダル)を元にした物語なのであります。
 とにかく当たったお芝居ですから、巷はその芝居のうわさでもちきり。「ねえねえ、もう観た?」「観たわよ、久松かわいそう」「そうかしら、お光(久松の縁談相手)のほうが切ないわ」「ああ、恋って悲しいわ~」と、江戸時代の乙女たちが、熱を上げたラブストーリー、それが「お染久松」。いってみれば、江戸のロミオとジュリエット物語みたいなもの?
 
 そして、そのお芝居と同時期に流行ったのが、インフルエンザだったというわけですね。そこで、インフルエンザ除けのまじないが、「久松留守」の張り紙! 久松が留守だから、お染風は入って来るな、という意味なのだとか。
 
 その後、1890年(明治23)に大流行したインフルエンザも、「お染風」と呼ばれ続けたようです。インフルエンザの致死率はかなり高く、それこそ、まじないでもなんでもすがれるものならすがっておこう、という風潮だったようで、「久松留守」の貼り紙が復活。

 まあ、呪符というのは、そのもとの意味が何であるかよりも、使われ続けているということのほうが重要なのでありましょう。他にも「家内一統留守」という張り紙もあったらしい。
 といっても、いっそ、門口に乾燥した葛の根や生姜でも括りつけておいたほうが、はるかに効き目があったのではなかろうかと思う次第。そう、「久松留守」だけじゃ手ぬるい、「生姜在宅」という呪文を加えたらどうだろう、などと、熱のある頭で朦朧と考えてみる。
 
 インフルエンザは、進化する病である。大正時代に入り、1918年のスペイン風邪は世界的に流行し、インフルエンザの大流行(パンデミック)となる。日本では当時の人口が約5,500万人、そして死者の数39万人。その死者の中には、東京駅の設計を担当した辰野金吾、劇作家の島村抱月などの名前がある。松井須磨子は、抱月がインフルエンザでこの世を去った2ヶ月後に、後追い自殺をしている。「抱月留守」で、あの世まで追いかけて行ったという成り行き。死ぬまで醒めない恋もあるのだろう。
 
 さて、翌日、熱でふらふらしながら、インフルエンザかどうかの判定に私は病院へと出かけた。すごいね、鼻の中に綿棒を突っ込んでしばらくすると、インフルエンザかどうかが判定できるんだから。結果は陰性だったけれど、しかし、症状はインフルエンザ並みにすごくて、いやあ、久しぶりに抗生剤を服用しました。

 とにかく、人混みの中で感染してしまう危険性のあるインフルエンザはやっかいな病気で、マスクをしている人の姿も最近は増えたようですが、マスクと手洗いは必須。

流行情報にも感染しないように
 ところで、現在、インフルエンサーとは、世の中で人々の購買意思決定に影響を与える人のことを言うのだそうですね。タレントも作家も、流行を作り出す存在は、人々を感染させるインフルエンサーということなのだそうです。

 しかし、できれば、そういったものは距離をおいて眺めつつ、感染したくはない、少なくとも膏肓に入って欲しくはないと思う私でありました。SNSも、自分なりのフィルターをかけつつ、情報を取捨選択したいものですし、いっそのこと、乾燥させた生姜の根っこでも魔除けに持ち歩きましょうかね。                              (占術研究家 秋月さやか)



2015年1月20日火曜日

羊羹でアンチエイジング?! だって羊羹っていうのは…。その秘密はゼラチンにあり。

 羊羹。と書くと、ほとんどの人が、つややかな小豆羊羹を思いうかべるでしょう。日本では。もちろん、私も。
 しかし、羊羹って、なんで羊って書くのだろう、と疑問に思ったこと、ありませんか? 羊と羊羹の関連性? 羊羹を食べるたびに「羊ねえ」と疑問に思いながらも、食べ終わる頃には忘れてしまい・・・の繰り返し。しかし、このあたりで、そろそろはっきりさせたいと、本気になって調べてみたわけです。だって、羊年だし。まあ、羊年の話のネタに、お茶請けに、と思って。渋茶でも飲みながら。
 
 さて正解はというと・・・。羊羹とは、もともと、羊の煮汁を意味していたのだとか。なんと驚き! でも納得。羹(あつもの)は、本来、煮汁料理のことだから。
 「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」とは、日本の有名な諺。「羹(あつもの)」すなわち熱い汁料理のせいで火傷しそうになった人が、それ以来、膾(なます)、すなわち冷たいマリネを食べる前にも、ふうふう吹いて冷まそうとするようになってしまったという意味で、以前の失敗のせいで、とんでもなく用心深くなりすぎている様をたとえていう言葉…というのは、ここではどうでもよくて、とにかく羹(あつもの)は、汁がたっぷりの煮込み料理のこと。
 
 羊羹の本来の意味は羊汁。羊シチュー。羊肉を煮込んだシチューといえば、アイリッシュシチュー。アイリッシュシチューを漢字で書けば…羊羹なのか! 
 
 肉のシチューには、たっぷりとゼラチンが溶け込んでいる。古代中国の羊汁、羊羹は、骨どころか羊の内臓までもが入った、つまり羊のもつ煮汁というような料理だったらしい。ゼラチンを豊富に含んだスープは、冷えると固まり、煮凝りとなる。
 なるほど、古代の羊羹(羊汁)は、冷えるとぷるぷるに固まっていたというわけである。暖めればスープに、冷えればゼリーに。それが羊羹(羊汁)だったということ。
 ところで、ゼラチンで羊肉を固めた冷たい料理は、現代の中国料理にも存在している。ただし、その名称は羊羹ではなく、凍羊肉(トンヤンロウ)という。凍と書くが、氷点下まで凍らせているわけではなく、冷やしただけ。つまり、羊肉のゼラチン寄せのこと。薄く切って、オードブルに用いるのである。でもこれ、たぶんもともとは、羊のもつ煮を冷やして固めてスライスしたようなものだったのだろう。冬の夜、羊汁を寒い土間に置いといたら固まっちゃった、みたいな。

 たっぷりと煮汁に溶け込んだゼラチン。ゼラチンは、いまや料理、特にお菓子作りには欠かせない食材である。ヨーロッパでは、ナポレオンの時代頃に、牛豚の煮汁から取り出したゼラチンを料理に利用するようになったという。オードブルはもちろん、フルーツゼリーのようにデザート作りに使われ、大人気になったとか。透き通ってきらきらしているゼラチンは、眺めているだけでも楽しい食材だ。
 チキンハムにも、ゼラチンが固まっているようなぷるぷるの部分がついていることがある。透き通った塊を口に入れると、すっと溶けてスープになってしまう。
 
 さて、ゼラチンは、一般には豚や牛の皮や骨から抽出されたものを用いるが、羊由来だって可能なはずである。家畜の皮を煮込んで作る膠(にかわ)には、ゼラチンがたっぷりと含まれていて、これは食材だけではなく、接着剤としても使用されるもの。
 そして、ゼラチンは、アンチエイジングに最適の食材である。お肌つるつる、関節なめらか、すべてはゼラチン(コラーゲン)のおかげ!
 
 であれば、小豆を羊の煮汁で煮込んだものが、羊羹だったのか? 否。
 古い時代の日本、かつて「ようかん」は、蒸しようかんの手法で作られていた。小豆に、葛粉を混ぜ、竹の皮に包んで蒸し揚げる。冷めてから、竹皮を外して食するのである。つまり、葛粉という澱粉をつなぎにして小豆を固めるわけ。この古い製法で作っている菓子店が、いまだにどこかにあり、数年前に食したことがあるのだが、笹の葉に包んだ包を開けると、これが潰した小豆の素朴な味がストレートに舌にあたり、ほっこり、じんわり、ほんのりもっちりと美味しい。繋ぎの葛粉の食感はあまり感じられず、現在、流通している羊羹のように、つるつるしてはいない。
 澱粉で固める菓子といえば、室町時代に生まれた菓子である「ういろう」もその仲間だが、ただし「ういろう」は米粉と葛粉ををあわせて固めたお菓子であり、つまり、餅のようなもので、うにょん、どっしり、しっかりもっちり、で歯ごたえのある菓子である。基本、小豆餡は入らない。
 
 江戸時代に入ってから、羊羹には寒天が使われるようになった。寒天は、江戸時代に生まれた食材で、隠元禅師が、寒天の名づけ親だという説があるのだが、その材料は天草(てんぐさ)という海草。その海草を「ところてん」にし、「ところてん」を冬の寒風の中で凍らせて作るのが寒天。寒いところに晒して作るから寒天。寒天が、小豆をなめらかにつないで固める重要な役目を果たすのである。冷やすと固まる、その性質はまさにゼラチンと同じだが、ゼラチンとの違いは、寒天はいったん固まると、溶けないこと。そして、寒天が入るようになってから、ようかんは、つるつるするような食感になっていく。
 
 中国では、日本の羊羹に相当する菓子をなんと呼ぶかというと・・・。まったく同じものはないのでなんとも言えないけれど、「羹」と呼ぶこともある。ただし「羹」は、汁粉のような菓子も意味していたり、冷やして固めるゼリーのようなものを意味していたり、さまざまである。まさに、暖めれば汁に、冷えれば固まる、それが「羹」なのだろう。そう「羹」である。だから「小豆羹」でよかったわけですよ、日本のようかんは。なのに「羊羹」なんて…。そう、ネーミングが間違っていると思う。
 
 ところで、ゼリーといえば、香港名物亀ゼリーをご存知? 亀あるいはすっぽんを丸ごと煮て、煮汁を固めたもの。いってみれば、亀羹。亀ゼラチン、コラーゲンたっぷり。漢方薬屋の店先などで見かけることが多いのだが、缶詰で売っているものもある。「お肌つるつる、元気はつらつ」が売り文句で、若返りにも利く!などと勧められましたっけ。
 それは、ぷるんぷるん、もっちりの歯ごたえあるゼリーで、亀の臭みを消すためか薬草が入っており、その薬草の味が苦く、どうもデザートなどとはいえないようなお味なのだが、蜂蜜をかけて食べればいいんだとか。
 そしてゼラチン、コラーゲンといえば蛙コラーゲンも有名。こちらは蛙の皮下脂肪を乾燥させたもの・・・なんだそうですが、たしかにぷるぷるで、これもデザートによく使われる。それも、高級デザートに! でも、蛙羹とは書かなかったと思うけど。まあ、これ、日本ではあまり見かけませんが。
 
 さて、日本の話に戻って。手元にあった小豆羊羹の包み紙の材料表示を見てみましたら、小豆、砂糖、寒天、澱粉、ゼラチン・・・。なるほど、現代の羊羹には、寒天、澱粉だけでなく、ゼラチンが入っていることが多いのです。ただし、羊由来ではないのですが。





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2015年1月13日火曜日

「オープン・セサミ」すら唱えずに鍵があいてしまった奇跡の体験、世の中に1本きりの鍵なんてない

                   
 Open Sesame(開けゴマ)は、千一夜物語の中で、アリババが洞窟の扉の鍵をあけるのに使った呪文。
 一説によればあの台詞は「Open, says me」であり、単純に「開け!(と私は言う)」、いわば言魂として扉を開ける力があった、という説があるのだが、しかしその説が仮に正しいとしても、これはまったくウケない説である。つまり、このお話を読んだ人たちは、「オープン・セサミ」、開け胡麻!で、洞窟の扉が開くことを、望んでいるといってもいい。
 
 では、なぜゴマなのか? 
 胡麻の莢は、熟するとホウセンカのように種がはじけて開くという。だから、「開け!胡麻の(莢の)ように」という(照応論の)オマジナイの言葉なのだという説が、もっともらしいように思える。
 いやいや、胡麻は護摩に通じるのではないか、という説もあるらしい。つまり、ゴマというよりスパイス。スパイスの魔力で扉をあけよう、ということか。
 あるいは、胡麻パワー(セサミン)は、力の源だからという説。胡麻さえあれば、不可能も可能になるぐらいの元気が出るということなのか。

 
 ゴマ(胡麻、学名:Sesamum indicum)は、考古学の発掘調査によれば、紀元前3500年頃のインド、そしてオリエントが栽培ゴマの発祥地であるという。かつては日本でも栽培されていたのだが、それは当然のことながら、仏典や絹などと一緒に、日いずる国日本へとやってきたものなのだろう。経典と一緒にというあたりが、なにやら有り難く感じられるではないですか。
 しかし今、日本で胡麻の栽培をしているところは九州の一部ぐらいだという。どうりで。胡麻の花なんてみたことないわけだ。胡麻の花の写真を図鑑でみつけたが、シソの花のようである。それもそのはず、胡麻は紫蘇の親戚みたいな関係性にあたる。へ~、そう。と、わかる人にしかわからない駄洒落は置いといて。


 さて。人は自分の家のドアや金庫に鍵をかける。鍵の歴史は古く、最も古い鍵は紀元前2000年頃のエジプトで用いられていたものだという。物の所有の概念があるからこそ、人は財産を作り、富を蓄えるようになり、そして、鍵を必要とするようになっていったのである。動物の世界には鍵はないから。
 
 
 鍵と鍵穴。合う鍵を持っていれば鍵穴はあく。パスワードを正しく打ち込めばログインできる。しかし、合わない鍵を無理やりつっこんでも鍵は開かない。違っているパスワードを入力しても撥ねられる。が、金庫破りは鍵がなくても鍵穴を開けてしまう技術を駆使して行われる。パスワードに至っては、4ケタの数字であれば、1時間もかからずにパスワード破りができてしまうという。 とはいうものの、Open Sesame!の呪文なら、1発。そう、万能の呪文である。
 
 しかし、まったくの偶然で、Open Sesame!の呪文もなしに、鍵が開いてしまうこともあるのだ。本当に偶然に、一発で。そんな偶然に遭遇することって、生涯のうちにそう何度とはないと思うが、その奇跡のような瞬間に、私が遭遇してしまった実体験のお話をここに書こう。
 
 
 今から何年か前のこと、我が家の車を車検に出した。いつものディーラー。車検が終わって引き取りに行ったのは夕方過ぎ。工場がそろそろ閉まる頃だった。支払いを済ませ、工場の出入り口に回る。
「キーはつけてありますよ。」と工場長氏。わずか3日ほどしか預けていなかったにもかかわらず、「おお、無事にメンテナンスが終わって。」と、私はいそいそと車のドアを開ける。車内は掃除機+消臭剤シュッシュで、まことにさっぱりとしており、掃除嫌いな私としては、大助かり。「さて、帰るか。」と、3日ぶりの我が車に語りかけるように運転席に乗り込む。
 
 たしかにキーはついていた。しかし、そのキーには、ぬいぐるみキーホルダーが付いている。なにこれ?私のではない。サービスのつもりなのか。しかしそのキーホルダーは薄汚れていた。誰の?
 私は運転席のドアを開け、ちょっと離れた場所で書類をチェックしている工場長氏に呼び掛ける。
「あの~、このキーホルダーですけどお。」すると工場長氏が顔を上げる。「え?」
「このぬいぐるみのキーホルダー、私のじゃないですけどお。」「っていうことは、キー間違ったのかな?」と工場長氏。壁に掛けてあるキーをひととおりチェックしてから、「それですよ、間違ってないと思うけど…ちょっとエンジン掛けてみて?」
「ああ、そうですね。」果たしてエンジンはかかった。そう、かかってしまったのである。ということは・・・。これはうちの車のキーということだ。しかし、なんでこんなのがついてる?
 
「でもあの、とにかくこのぬいぐるみ、お返ししておきますよ」と、私はぬいぐるみキーホルダーを外しにかかる。なんだこれは?ウサギか?クマか?ネコかタヌキか?はたまたマシュマロか茹で卵かきのこか? それとも細菌か?よくわからんが、どうにもふにゃらけてばかっぽい顔のぬいぐるみである。そして、ずいぶんと外しにくいよ、これ。

「で…最初についていたキーホルダーは外しちゃったんですか? 最初についてたの、ほら、金属製のキーホルダー。あれつけて帰りたいんですが。」と私。

「え?ええっと、お預かりしたままですよ、何も外してないですよ。」「でも・・・これ、これは私のじゃないんですけど。」
「え?でも、エンジンかかったでしょ?」「はあ、まあ、確かに。でも、このぬいぐるみは外しますね。」

 ・・・キーホルダーを外しちゃったのか、しょうがない、なんでこんなものに替えたんだ? まあいいや、そんなに高いものではないから、いいよ、別なのを買おう。と私は考えながら、ぬいぐるみキーホルダーと格闘中。きーっ、外れないじゃないのよ。こいつ、ばかっぽいくせにっ! もうやだ。なにこれ。なんなのよ、そうだ、鋏はないか?鋏。

 どうでもいいことを必死にしようとしているとしかみえないおかしな客を、冷ややかに眺めながら工場長氏が、ぼそっと言った。
「ええとね、今、同じ車種がもう1台入っているんですけどね、ええと、○○君~。」と、工場長氏は、(別な用事を思い出したのか)整備士君を呼ぶ。
 つられて工場の奥に目をやれば、ほとんどうちの車と変わらないような車が1台。むこうのほうがグレーっぽいだろうか。見た目ほとんど似ている。同じ車種であるが、年式はちょっと違う。

 ふうん。私は何気なくその車に近づいていったのだが・・・。あれ?うちのカギじゃん。あの金属製キーホルダーは。
「あの、このキーですが。」「え?」「それです。」「え?だって…」と整備士君がキーを回す。その車のエンジンがかかる。
「いえ、それがうちのキーなんですが。」「え?だって、そちらの車はさっき、そっちのでエンジンがかかったでしょ?」
 
「ちょっとそのキーを貸してください。」(正しくは返してくださいであるが)
 客の言うことなので、拒否できないという雰囲気で、しぶしぶと整備士君が渡してきたキーをさしこんで回してみると・・・はたしてうちの車のエンジンはかかった。そりゃそうだ。これが、うちの車のキーなんだから。
 
「ありゃ。」とびっくり顔の工場長氏。「これね、きっとそちらの車のキーですよ」と私はぬいぐるみキーを渡す。半信半疑でキーを回す整備士君。すると、その車のエンジンもかかったのである。まあ、そりゃそうだ。キーはどちらも、あるべきところに戻ったのである。
「ありゃー。」
「ちょっと貸して」と、私はもう一度、キーを取り替えっこする。またしてもエンジンはかかった。それを見て、整備氏君もキーを回す。やはりエンジンはかかった。
 そう、ややこしい話だが、我が家の車と、よく似た車(注。車種は同じ)の間で、キーの取り替えっこが成立してしまったのだ。
 
「ちょっと・・・」工場長氏は、2本のキーを並べて、まじまじと見比べる。整備士君も覗きこむ。
「こんなことって…あるんですね。」と、工場長氏は、2本のキーを両手に1本ずつ持ち、蛍光灯の下にかざしつつ、左、右、左、右、左…と首を回して何回も見比べてから、はーっ、とため息をついた。そう、その2本のキーは同じパターンだったのである。
 
 車とキーとの関係性は1対1である。しかし、何万台もある車のすべてに、違うキーを作ることはできない。何万通りものキーを作ることになるからだ。聞いた話によれば、車のキーは、ひとつの車種に対し、2400パターン程度であるらしい。そう。もしも、2400本のキーをすべて揃えて、片っぱしから試したら、必ず開くということだ。しかし、同一地域で販売する同じ色の同じ年式の車2400台は、すべて違うキーとするそうである。
 その車と我が家の車は、色は似通っているけれど、年式はちょっと違う。違うのだが…。キーは同じパターンだった。そのキーが同じパターンの車が…。同一日に、同じ整備工場に入ったのである。しかも、同車種、2台きり。
 
「ううん、こんなことって、あるんですね。」「いやあ、まさかとは思ったけど」「キーパターン・ツインって言う感じですかね」
 3人は2本の鍵をかわるがわる手にとって見比べつつ、「ふ~ん」「へえ」「ほお」を連発。めったにない場面に遭遇して、ちょぴり感激した雰囲気。外はすでに真っ暗になり、整備工場の中が、まるで魔法のランプをたくさん灯した不思議の洞窟のように感じられたあの夜のこと。
 
 Open Sesame!の呪文もなしに、鍵が開いてしまった、そんな偶然に遭遇することって、生涯のうちにそう何度とはないと思う。その奇跡のような瞬間に、遭遇してしまった実体験のお話、ここにあり。   (秋月さやか)



2014年11月20日木曜日

米は炊くもの! おこげと日本の炊飯器の歴史秘話

 米、ご飯です。ご飯を炊く、米に水を入れて炊く。炊飯です。それは煮るではないのか、と(海外からやってきた友人たちに)聞かれることがありますが、「煮」ではありません。「炊」です。

 炊くは「焚く」に通じます。火を焚き、食物を炊くのが炊事です。
 「煮る」については、ぐつぐつ煮るというような言葉があるがごとく、煮込んで柔らかくすることを意味していますし、それは食べ物ではなくてもよいのです。糸を煮るなど。
 が、炊くは、食物に限られますし、火が通ったら出来あがり、なのです。米は炊く。煮込んだら粥になってしまいます。
 粥を炊くという言い方を関西文化圏ではするようですが、粥は煮るもの。

 炊事っていったら、基本、米を炊くことでしょ。だから、パエリアは炊く、リゾットは煮るだよね、と私は説明しています。といっても、リゾットを炊くと主張する方もいて、時々、首を傾げられてしまうのも事実ではありますが。ニホンゴムズカシイネ。

 「炊」って、火に欠ける、です。土に欠けるは「坎」です。土に穴があいて、水がたまるという意味が坎なのです、易でご存知の通り。ということは、火の中に器を入れるのが炊なんじゃなかろうかと思うわけです。漢字の起源をちゃんと調べたわけではなく、私の想像ですけどね。

 さて、前座のお話が長くなってしまいましたが、「炊飯器」の話題です。炊飯器は、日本の家電メーカーが作成しました。米を食べる国、そして、家電技術力を持った国、日本が世界で最初に炊飯器を作りました。

 私の父は、家電メーカーの技術系サラリーマンでした。私が子供の頃の話ですが、父は東南アジア向けの炊飯器の試作プロジェクトに関わっていました。そのプロジェクトで行われていたことは、炊飯器の底におこげを作ることです。「おこげ」です。炊飯器で炊いたご飯におこげはできません。それが炊飯器のすごいところです。

 かつて、釜で米を炊いていた時代、おこげが出来るのはあたりまえでしたが、問題はそのおこげの程度。うっすらと茶色にできるおこげを好む方は多いのですが、釜に接したところには、炭米に近い部分が出来てしまうのです。水加減を失敗すると、本当に焦げて、がりがりの炭米の部分がたくさん出来てしまうのですね。
 北関東の祖母の実家には、古い竈があり、大きな釜があって、そんな話を祖母から聞いたことがあります。竈と釜でご飯を炊いたこと、実は私はあるんですね。まあ、小さな客人が来たというので、イベントとしてやっていただいたようなものなのですが。そして、釜の底にがりがりについた炭米を取るには、釜に水を入れて沸かすのです。

 が、この焦げ米、なんと、懐石の最後に出てくる、湯桶に使用されているものでもあります。湯桶は、「ゆおけ」ではなく「ゆとう」と読みます。風呂屋にあるケリロン桶ではありませんので、念のため。
 「ゆおけ」と混同されるのが嫌なのでしょうか、最近は湯斗と書くことが多いようでして、では湯斗(湯桶)とはなにかといえば、焦げ米(最近は炒り米を使用)とお湯を、ご飯にかけて湯漬けにしていただくもの、です。
 といっても、私は懐石の最後には、炒り米の入ったお茶?を最後に飲んで締めくくりなんだなあ、と、ずっと思っていたわけですね。あれ、本当は湯漬け用のお湯だったのか~。まあいずれにせよ、釜に残った焦げ米を最後までいただくというものが湯斗です。
 ついでですが、お茶漬けって、釜に残ったお焦げご飯にお湯をぶっかけて食べていたのが起源だと思います。お茶漬けのもとにはアラレのようなものが入っていますが、あれ、焦げ米の代わりですね。

 とにかく、下手におこげなど作ってしまうと、米が炭化して食えなくなってしまう恐れがあり、そこに、おこげができない炊飯器が登場したわけですから・・・。まったくおこげのできない炊飯器! 偉大!

 しかしこの炊飯器、東南アジアでは大不評だったそうです。「うっすら茶色のおこげのできるご飯」じゃなくては、おいしくない。おこげのできないご飯なんて、不味いということで、売れなかったんだそうですね。タイなどでは、鍋で米を煮る状態に近い炊き方をしますが、底は、うっすらおこげ状態です。
 というわけで。「おこげのできる炊飯器を作れ」の指令が、家電メーカーの開発室に発令されました。

 「それがなあ、面倒なんだ」と私の父は言いました。簡単に説明すると、おこげを作るためには、高熱が必要、つまり、消費電力が増えるのだそうです。しかもその消費電力に耐えられる構造にしなくちゃならん、というわけで、国内生産用とは別のラインを立ち上げる必要があるとかなんとか、そういう話だったと思います。
 そんなこんなの末に、おこげのできる電気炊飯器がめでたく完成し、父は、東南アジア方面の長期の海外出張に出かけていきました。

 我が家は当時、父一人娘一人の父子家庭。父が出張に出かけた後の家に、中学生の私は一人暮らしで、毎晩、電気炊飯器でご飯を炊いていました。まあ、海外出張でなくても、父は帰りが遅く、ほとんど私が寝る頃に帰ってきていましたから。
 父は東南アジアの後は、アメリカ南部へと、またまた長期出張に出かけて行きました。アメリカ南部では、米のメニューが多いのだそうです。デニーズのジャンバラヤみたいなメニューですね。当時、南部のどこかの州のTV局に出演したと言っていましたっけ。

 「おこげのできる炊飯器、今度家に持ってきて」と私が言ったら、「おまえ、おこげ好きなのか? 焼きおにぎりのほうがうまいぞ」と。
 父は、日曜日には昼までずっと寝ており、昼過ぎにのそのそと起きだして、前夜の残りごはんで焼きおにぎりを作るのが趣味でした。柔らかいご飯では焼きおにぎりはうまくできませんから、私はいつしか、土曜日の夜は固いご飯を炊くようになっていました。水を1割減らしめにしてしっかりと炊いておけば、次の日の焼きおにぎりは、それはそれはおいしくできるのです。日曜日の午後は焼きおにぎり。

 でも、新米の時期になると、これがなかなかうまくできないのです。新米は水分含有量が多いので。「米が柔らかいから、焼きおにぎりがうまくできなかったんだ、これ、茶漬けにして食っちゃおう」と、そんな時がありました。飲み屋で出てくる「焼きおにぎり茶漬け」っていうやつですね。
 飲み屋でもないのに、そんなメニューが日曜日の我が家の定番。しかも、新米の季節は、シャケの季節だったりもしまして、焼きおにぎりシャケ茶漬けというのを、よくやりましたっけね。
 
 あの炊飯器・・・電気釜と呼んでいましたが、私が幼稚園の頃に我が家にやってきて、私が家を出る時にも持って行って、(その電気釜じゃなきゃ、好みのご飯が炊けなかったからですが)、そして私が30代になるまでずっと使いました。25年以上使ったことになります。
 
 あれから時が流れて・・・
 今や炊飯器は、万能調理機になったようです。ご飯を炊くだけではなく、煮込み料理もできれば、ケーキも焼けるんですって。もしかしたらもう、炊飯器って言わないのかも、ですね。

※写真は竈と釜です。開成町の郷土資料館で撮影。




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2014年10月12日日曜日

「悪魔の林檎」を食べたヒロインは永遠の眠りに。ああ、恐ろしきソラニンの呪い。

 悪魔の林檎とは・・・そう、じゃがいも。
 じゃがいもを薄くスライスして水にさらしたものを口に入れてみると、なぜ林檎なのか、その理由はすぐにわかるはず。なるほど、歯触りがまるでりんごそっくり。ただし、じゃがいもの生食はお薦めしませんけどね。
 
 じゃがいもの本格的な収穫は秋。大地から堀りあげた芋を保存し、越冬のための食料とする。でんぷん質たっぷりのほくほくしたじゃがいも! スライスして油で揚げたものは、フライドポテトチップス。みんな大好き、じゃがいもメニュー! いまやじゃがいものない国なんて、どこにもなんじゃないかしら。
 
 しかし、本来、じゃがいもは新大陸にしかない植物であった。チチカカ湖のあたりが原産地で、それがスペインの侵略により、ヨーロッパへと運ばれることになる。
 が、この芋にはひとつだけ問題があった。それもかなり深刻な問題が…。
 それは緑色になったじゃがいもの皮に含まれる有毒物質ソラニン(ポテトグリコアルカロイド solanine) 。ソラニン中毒は、嘔吐、下痢、腹痛、目眩、動悸、耳鳴、幻覚、痙攣、呼吸困難。そしてひどい時は死に至る。
 ソラニンはじゃがいもの皮、芽、さらには種にも含まれる。じゃがいもの種とは花が咲いた後に結実する緑色の卵状の実で、ソラニンたっぶりの有毒実なので、食べられません。簡単な話、地上に出たじゃがいもはすべて有毒だと思ってください。(地上に出ようとして発芽しつつある芽も有毒ということ。)
 
 南米の現地人は収穫した芋を凍らせ(というより、低温で凍ってしまうため)、水分を抜いた状態で乾燥させる。凍らせてから乾燥した芋であれば、保存しているうちに芽が出ることはないし、皮が緑化することもなく、ソラニンは生成されない。が、堀りとった後、太陽に当てたり、あるいは湿気や温度などの発芽条件が満たされた場所に置いておくと、当然、皮が緑色になり、芽を出してソラニンが生成されてしまうことになる。
 というわけで、新大陸の珍しい芋は、スペインに運ぶ船の中で芽を出してしまい、それを食べた船員がソラニン中毒となり、さっそく「悪魔の植物」と恐れられることになった。
 しかし、緑色になった皮や芽に含まれる有毒物質ソラニンのせいで中毒したのだとは誰も知らなかったので、あいかわらず人々は緑色になってしまった皮や発芽した芽を食べて中毒することも当然起こり、なぜ中毒するのかがわからず、「運が悪いと中毒する」ぐらいにしか考えられなかったようである。
 そのうえ、じゃがいもは聖書には載っていない食物、なぜならユーラシア、ヨーロッパにはなかった植物であるから載っているわけなどなのだが、聖書に載っていない→神が創ったわけではない、だから悪魔の植物。と、そのような連想にもなったらしい。
 
 ところで、日本でも、毎年数十人は、このじゃがいも中毒になります。じゃがいもを食べる時には気をつけて! じゃがいもの芽は取って、緑色になってしまった皮は剥いて!
 もう10年以上前の雑誌の投稿欄で、私は痛ましい記事を読んでしまったことがある。投稿者は北海道にひっこしした若い女性。「毎日、おいしいじゃがいもを食べて暮らしていたのに、それが原因で流産、知らなかった、じゃがいもの芽が毒だなんて。」と綴られたその文章に、私はびっくりしたと同時に、「なぜ、彼女はじゃがいもの芽が毒だと知らずに育ってしまったのだろう」と、やるせない気持ちになってしまった。つまり、その女性は、じゃがいもの芽が毒であることを教わらずに大人になってしまった、ということです。本当であれば、小学校の授業で教えるべき内容ではないでしょうか。親が教えればいいだろうと言ったところで、その女性の親が、コンビニの冷凍食品とファストフードのフライドポテトしかみたことがなかったとしたら、知らないことは教えようがありません。そう、昔、じゃがいもの芽を平気で食べて中毒してしまったヨーロッパの農民たちのように。
 
 ソラニンは太陽の光に当たると生成されますので、まずは芋を太陽の光に当てないこと。
 しかし太陽の光にあてずとも、温かな暗所で芋を長期保存すればやはり芽が出てきてしまうため、暗く冷たいところに閉じ込めておかなきゃだめです。望ましいのは気温5度以下。つまり、じゃがいもは地下冥界の食べ物であると心得るべし!
 
 なお、じゃがいもの芽を出さないようにする方法として、エチレンガスによる発芽抑制がありますが、つまり林檎と一緒にして保存すると発芽しにくくなるというもの。
 また、じゃがいもを170℃以上の油で揚げるとソラニンが分解するという報告があり、フライドポテトは食べ方としては安全側になるのかとは思いますが、しかし完全にソラニンが分解するわけではないので、やはりじゃがいもの緑色と芽は危険と覚えておいてください。
 
 有毒植物というのは、動物や虫類に食べられないように毒を作りだして自衛するという仕組み。毒はたいていの場合は苦みを伴い、動物が口に入れた途端に、「苦いじゃん、ぺっ」と吐きださせるようになっているわけですが、まずいぐらいではめげないこともあるため、さらに毒性を備えているというわけで、「これ食べて苦しくなってひどいことになったから食べない」という学習を動物たちにさせることで、結果的に身を護る。食用になんてされない、それは素晴らしい自衛。…のはずだったのですが。
 
 魔法使いが差し出した林檎は、ソラニンがたっぷりの緑色をした「悪魔の林檎」でした。「まあ、なんて新鮮でおいしそう。」
 「悪魔の林檎」を食べたヒロインは、あわれ永遠の眠りについてしまいます。王子様のキスで目覚める…なんていう生易しい呪いではありません。これで人々はもう「悪魔の林檎」を恐れ、食べることはないだろう。魔法使いはそう思ったのですが…。
 ソラニンの呪いを破る方法とは、陽の光に当てないこと。ソラニンを取り除くこと! ソラニンの呪いが解けたでんぷん質の、なんと美味しいこと! そしてフライドポテトは、世界中のアミューズメントパークで人気のスナックとなりましたとさ。
        (占術研究家 秋月さやか)








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昼下がりのラタトゥイユは、マンドラゴラの白昼夢を見せるか

 夏野菜。といったら、トマト、茄子にズッキーニ。色とりどり、輝くばかりのアントシアニン!

 
 さて、茄子の原産地はインド、つまり天竺。中国を経て日本へやってきたのが1000年以上も前のことだというから、飛鳥時代にはまだ茄子は日本にはなく、聖徳太子も茄子などという植物が世の中に存在することを知らなかったに違いない。
 茄子は平安時代の終わり頃にやってきた外来植物である。茄子のぬか漬けも焼き茄子も、飛鳥時代にはまだなく、茄子紺という色も、平安時代末期以降に生まれた色名ということになる。

 で、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と呼んでいたのが、いつの間にか「なすび」になったという。夏実というがごとく、茄子は夏によく実る。「秋ナスは嫁に食わすな」という諺は、茄子が体を冷やすことから生まれたという説があるが、なるほど、夏の盛りに実を結ぶ植物には、たいてい体を冷やす働きがあるのだそうだ。
 
 ところで、トマトの原産地はアンデスで、昔はトマト属( Lycopersicon)として独立して分類されていたのだが、今では茄子の仲間。トマトは日本名では、唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、小金瓜(こがねうり)などと呼ばれ、柿だか茄子だか瓜だか、よくわからないのだが、種類的には茄子の親戚という感じになるらしい。
 
 そして、茄子といえばマンドラゴラ! そう、ナス科マンドラゴラ。これは古くから中国西部から地中海にかけて分布していた植物で、なにせ、旧約聖書にも登場するぐらい。マンドラゴラには、恋なすび、とかいう異名があるらしいのだが、それは、春咲き種(M. officinarum)と秋咲き種(M. autumnalis)があり、伝説では春咲きが雄、秋咲きが雌とみなされたことからきているのではないか、とされる。まあ、根っこは足やら手やらが生えてひからびた生き物のように見えなくもない。


 茄子の仲間といっても、茄子からはかなり遠縁の関係性であるのだが、花はたしかに茄子の花のようでもあり、丸っこい実は、なるほどエッグプラント、卵のようにも見える。

 マンドラゴラの実は、毒性があり、麻酔薬とか、下剤として使用していたようであるが、食用などにはもちろんしない。植物性アルカロイド毒、含有。オカルトショップに行けば、乾燥させた根っこを売ってるが、マンドラゴラの場合、毒性が強いのはその根。取扱注意であり、もちろん食品としての販売はしていないし、自家用で薬として煎じるのもNGである。

 マンドラゴラは、魔術や錬金術の話には必ずと言っていいほど登場する植物。引き抜くと悲鳴を上げて、まともに聞いた人間は発狂して死んでしまうという伝説があるのだが、それはまったくの嘘で、耳栓をして黒い犬にひっこぬかせるというまことしやかに書かれている方法も、そんな必要はまったくなし。
 かつて、カルタゴの軍勢が撤退する時にマンドラゴラ入りのワインを残してゆき、街に入ってきた敵軍が毒ワインを飲んで眠りこけたところを襲って勝利を収めたという話があり、だいたい飲んだほうも飲んだほうだが、そんな伝説のある恐ろしい有毒植物なのである。魔力が宿ってるかどうかはわからないが、毒はたしかにある。それは間違いない。

 しかし、マンドラゴラの実のほうなら、毒性を弱めて、食用に改良できるかも知れない。そう、50年ぐらいかければ、不可能な話ではないのかも知れない。おいしいかどうかはよくわからねど、マンドラゴラというネームバリューで、ちょっとは売れそうな気もするわけである。な・に・せ・媚薬。
 そういえば、茄子の実も、昔は、今よりも毒性が強かったようである。野菜はたいていがそうで、畑で栽培するようになってからだんだんと改良されて無毒になり、食用になっていく。野菜はすべてがそのようにして、何百年もかけて毒性を薄めて食用にしてきたといってもいい。が、それに伴って、薬効も低下してくる。そしておそらく魔力も低下してしまうのだろう。
 
  「親の説教となすびの花には千にひとつの無駄もない」などというがごとく、茄子は結実率がよろしい。さすが、多産の象徴だけのことはある。植えてさえおけば、実がなるといって、家庭菜園の人気品種の一つでもある。ただし、日照がないと、まず花が咲かないんですけどね。つぼみのうちに落ちてしまいます。マンドラゴラが茄子の仲間ということは、茄子もマンドラゴラの近縁種ということ、もしかしたら平安の女性たちが恋のまじないに使ったとしても、まったく不思議はないような気がしたのだが、しかし、どこを探しても、そんな伝承はなかった。残念。
 
 さて、我が家のラタトゥイユは、茄子を炒め、そこにピーマンとニンニクとトマト、ズッキーニを入れる。コンソメを1個入れて煮込み、出来上がったら冷蔵庫で冷やす。食べる前にオリーブオイルをかける。ただそれだけ。茹でたスパゲッティなどを混ぜて皿に盛るだけで、冷たいラタトゥイユ・パスタの出来上がり。もちろん、幻覚作用もなければ、媚薬効果もない、ごくごく普通のラタトゥイユですけどね。
 でも、マンドラゴラの近縁種ですから・・・輝くばかりのアントシアニンには、ちょっとだけ若返り効果があるのかも知れない、などと考えてみたくはなりますが。     (占術研究家 秋月さやか)






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2014年9月27日土曜日

ホップは眠り誘う香り、セレスの力を助け、夢の世界へと誘う

「楽しみ、それはビール。苦しみ、それは遠征。」古代メソポタミアの言い伝え。

 が。現代のビールは苦い。ホップが入っているから。ホップ入りのものをビール(Beer)、ホップなしのものをエール(Ale)と呼ぶことが一般的なようである。そして、古代のビールは、ホップなしで、わりと甘い飲み物だった、という説が有力。
 
 紀元前3000年には、すでにビールがあったという。(つまり、それより以前からあったということ。)

 そして、これは大変重要なことであるが!!!
 古代メソポタミアでは、ビールを飲むのは人間の証だと考えられていた。
 ギルガメッシュ叙事詩に登場する怪物エンキドゥは、体を洗い、ビールを飲んで酩酊し、人間になる。つまり、酩酊によって人間の心を与えられたと考えてもよいのではないだろうか。酩酊が神との交流(一種のトランス状態)をもたらしたり、想像力を刺激し、ひらめきをもたらす。
 さらには、気分を劇的に変えて時には別人のようなふるまいかたさえすることもあり、それは他からみたら、他の人格が憑依したように見えることすらあったに違いない。しかも、酔いがさめると、本人にはその記憶がまったくないわけだから、それは自分にはコントロールできない精神世界を体験してしまうことでもある。酩酊だけでなく、夢の世界も、同様に精神世界参入体験である。

(怪物エンキドゥはおそらく原人だったのだろう。が。となると、猿酒を飲んで酔っぱらう猿は、すでに人間に足を踏み入れていると考えてもいいのかも知れず。)
 
 ビールは麦で作る。古代、野生の麦の収穫は、秋分を過ぎた頃だったという。麦の女神であるセレスは、デメテールと同一視されたが、穀物を実らせる豊穣の女神でもあると同時に、冥界の女神でもある。シアリーズ、つまり、シリアルの語源となる名称を持つ女神。

 そして、ビール作りには、セレスの力が必要である。セレスの力というのは、すなわち発酵。発酵と腐敗は紙一重。酵母による発酵は、人類の食文化にとって、どれほど貴重なものであったか!
 古代のビールの作り方は、麦を発芽するまで水に浸し、乾燥させ、挽き、水を加えてイースト(古英語ではGiest。ゲスト、客人。)の力によって発酵させるというもの。
 
 その後、麦汁を腐りにくくするために、ホップが加えられるようになった。ホップには雑菌を抑える働きがある。ホップの原産はカスピ海のあたりで、紀元前から野生のホップが自生していたため、メソポタミア地方では、かなり古くから野生ホップがビールに加えられていたという説もある。が、はたしてこの説はどこまで信憑性があるのかは私には分からない。
 ヨーロッパのビールにホップを加えるようにしたのは、修道女ヒルデガルドだという説がある。が、ドイツのヴァイエンシュテファンのベネディクト修道院にある記録によれば、ホップをビールに入れるようになったのはそれよりも400年も前、西暦736年であるという。
 どうも、いろいろな説があるらしいが、記録が残っているという点で、ヴァイエンシュテファンのベネディクト修道院説が有力であるような気がする。
 
 ホップの代わりに、トネリコの葉、ねずの実、イラクサ、チコリ、ルピナス、エニシダが加えられていた時代もあるし、いまだに、それらの薬草を使用して香り付けがなされているビールもある。
 しかしイギリスでは、エニシダやホップをビールに加えることを禁止していた時代もあった。エニシダやホップには、幻覚作用がある、けしからぬ飲み物だ、というのである。まあ、酒なんて、けしからぬといえばけしからぬ嗜好飲料だけど。ヘンリー8世は、ホップを毒草として使用を禁止した。そう、魔女たちの薬草というわけだ。
 
 というホップの効用としては・・・。
 エストロゲン様作用による更年期障害の改善、睡眠時間延長作用、鎮静作用、胃液の分泌増加作用、イソフムロンの肥満予防効果。
 サッポロビールによれば、ホップ抽出物にホップフラボノール(名前からして、ポリフェノールの一種)に花粉症を軽減する効果があることが突き止められたという。さらには!京都大との共同研究チームが、ホップにはアルツハイマー型認知症の予防効果があることを確かめたと、米科学誌プロスワンに発表した!!
 
 おお、すごいじゃないですか。ホップ。

 おバカな取引先にいらつき、ランチにたべた油物が胃にもたれ、どうも最近体重が増え、もう若くはないわと鏡を眺め、心配事が増えてよく眠れない、というそこのあなた!(&私)、さあ、ビールを飲もうではないか! そして飲んだらぐっすりとおやすみなさいませ。おっと、トイレに行ってから、ね。
 
 おまけ。ホップには、幻覚作用があると言い伝えられている。なにせ、アサ科の植物だから。イギリスでヘンリー8世が毒草だとしたその理由こそ、この幻覚作用である。ただし、ホントにあるかどうかは私はわからない。わからないけれど・・・安眠できたら、きっと楽しい夢がみられるのではないだろうか。
 ホップピロウというのは、乾燥したホップの花びら(ただし、これは毬花といって花弁とはちょっと違う部分だが)を詰めた枕。いわば安眠のおまじない枕。乾燥ホップを枕元に置いても、もちろん同様の効果はあるに違いない。   (秋月さやか)
 

※ 写真は山地に自生するカラハナソウ。ホップの仲間。ホップほど苦くなく、また、香りも弱い。鹿が食べてしまうことがある。なるほど、鹿も安眠したいのか。



参考文献:世界を変えた6つの飲み物 トム・スタンデージ 新井祟嗣訳 インターシフト
参考文献:世界史を変えた50の植物 ビル・ローズ 柴田譲治訳 原書房
参考文献:神々の糧 テレンス・マッケナ 小山田義文・中村功訳 第三書館


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2014年4月22日火曜日

SoupStone、あれこれ。ミネラル補給の石、調理用の焼石、そして現代のSoupStoneは…。

 SoupStoneは、子供の頃、英語の絵本で読んだ話だが、たぶん、英語圏では誰でも知っている話なのかも知れない。

 一人の旅人が道を歩いていた。そろそろ村が見えてくるという頃になって、旅人は、道端の小さな石ころをひとつ拾ってポケットに入れる。何の変哲もない、ただの石ころ。
 日暮れに村に着いて、宿を探すが、どの家でも、食べ物がないので泊められない、と断られる。ようやく、食べ物はないがそれでもよければ、と旅人を招き入れてくれる家を見つける。
 
 その家にも食べ物はなく、みんながお腹をすかせていた。旅人は「鍋を貸してくれないだろうか」と申し入れる。食べ物を持っているのか、と聞かれるが、「いいや、食べ物は持っていない、でもこれがある」と、さきほどの石ころを見せる。
 その石はなんだね?と訊ねる家の主に、「これはSoupStoneさ。スープを作ってくれる石。」と答える。まさか、そんな魔法みたいな話、と、家のみんなは笑う。
 
 「ところで、塩をひとつまみ、貰えないだろうか。」と旅人は言う。塩ぐらいだったらあるだろう、と誰かが台所を探して塩を持ってくる。

 旅人は鍋に水と塩、そして石を入れて火にかけ、鍋の中をかき回し始める。しばらくして、鍋の水が湯になる。すると、鍋を見ていた一人が言う。「納屋にたまねぎが幾つか残っているかも知れない」。そこで、納屋の隅にあったしなびた玉ねぎが探し出され、鍋に入れられる。

 旅人は鍋をかき回し続ける。そのうち、別な一人が言う。「もしかしたら、裏庭を掘れば、にんじんが残っているかも知れない。」そして、裏庭から小さなにんじんが掘り出され、鍋に入れられる。

 旅人はまた鍋をかき回し続け、煮えたたまねぎとにんじんの香りが湯気に乗って漂い始める。と、また別な一人が言う。「おととい、茂みの中にわなを仕掛けておいたんだが・・・何かかかっているかも知れない、見てこよう」。はたして、罠には兎がかかっており、鍋に入れられる。

 たまねぎとにんじんと兎の肉。「さあ、スープが出来たよ、みんなで食べよう」。旅人と家の者達は、その夜、暖かいスープを食べることが出来たのでした。

 次の日、旅人が出かけようとすると、家の主が、その素晴らしい石が欲しい、と言い出し、(たしか、旅人にマントか何かを与えて)、石を貰い請ける、とまあ、そんな話だったような気がしますが。
 
 さて、この話にはどんな意味が含まれているのか。
 ほんの少しづつでも集める努力をすれば、物事はなんとかできるものなのだ、という教訓かも知れない。
 なんでもない石ころでも、意味づけによっては価値があるものになる、というお話なのかも知れない。
 
 それは果たしてどんな石だったのだろうか。石英だったのだろうか、それも鉄鉱石のかけらだったのだろうか。

 以前、岩手の食器屋で見かけた南部鉄の小さな塊は、やかんの中に入れて湯を沸かすと、鉄イオンを補給し、お茶の味をよくするのだという。言ってみれば、TeaStoneか。
 ヘモグロビンの生成には鉄イオンが必要だから、鉄が不足すると人は貧血になる。南部鉄の塊は、鉄イオンを補う貧血防止石でもあるという。実際、貧血気味の人にとって、鉄瓶でお湯を沸かすのは、有効な貧血防止策なのである。
 鉱物、ミネラル。微量のミネラルは、人間の健康に必須。ミネラルが不足してしまうと、健康状態に支障が出ることもある。その反対に、体内に過剰なミネラルを取り込むことで生じる疾患もある。
 鉄鉱石の他にも、ミネラル補給ができるような石はありそうな気がするが、しかしながら、やたらな石を用いると、これはこれで問題がありそうではある。
 
 ところで、古代人は、焼けた石を調理に使った。器に水と食材を入れ、その中に焼けた石を入れると、水が沸騰して食材が煮える。土器、あるいは木の器を用いても、この調理法は可能である。野外キャンプで、この調理法を用いることも実際にある。「焼け石に水」という諺は、たいして役に立ちもしない働きかけのことを言う言葉であるが、しかし「水に焼け石」と順序が変わると、これがなんと、有用な手段となるのである。
 現代の調理では、もちろん鍋に水を入れて火にかけて煮炊きするのが普通だけれど、木の器は火にはかけられず、土器だって高温で焼いたものでないと、水を入れて火にかけることはできない。とにかく、湯で食材を煮るという調理方法は、火で焼く調理方法よりも、はるかに後から発生したものであって、初期の煮炊きは、水の中に焼けた石を入れて行われた。となると、水の入った器に入れる焼石は、広義の意味でのSoupStoneになるのではないだろうか。
 
 
 現代では、もちろん鍋の中に石を入れたりはしないが…。しかし、スープを作る時に、現代人が必ず入れるSoupStoneがある。それはコンソメスープの四角の塊。この塊を入れて、鍋を火にかければ、スープが出来る! そして、ほとんどの家庭には、このSoupStoneが常備されている。
 コンソメスープのモトなんて嫌い、という人の場合でも、スープストックを冷凍キューブにして保存しておく、という上級者向けテクニックを活用することは多々あるはず。実際問題、日々の食事作りで、一からスープを取るのは時間的に難しいので、私ももちろん、この現代版SoupStoneのお世話になっているわけですけどね。   (秋月さやか)


 

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2014年3月28日金曜日

丸鶏料理あれこれランチ。といっても、目的は叉骨ダウジングですが…

 鳥の叉骨。WishBone。これは鳥の胸の真ん中にあるV字型の骨。人間や動物たちにはない。翼ある者達だけが持つ叉骨。と書くだけで、叉骨には、なにやら、翼との関連を思わせるような神秘性があるような気がする。
 
・ 人間を含めた一部の動物は、叉骨の代わりに鎖骨を持っている。が、これは左右に分かれており、V字型ではない。
 人間たちには翼がないから飛ぶことはできない。でも、腕があるから、木登りができるし、手に何かを握ることもできる。

・ 鳥の翼は、人間では腕にあたる。鳥は翼で空を飛ぶことができるけれど、腕はないので、何かを握ったり抱くことはできない。
 鳥の叉骨は、左右の鎖骨が癒着してV字型になったと考えられている。鳥は恐竜から進化した生き物だが、叉骨を持つことのできなかった恐竜たちは鳥に進化できなかった、という説がある。

・ 獣(人間と一部の動物たち以外の動物)には、叉骨はもちろんのこと、鎖骨もない。従って、飛ぶこともできず、木に登ることもできない。腕は足のように、地を走るために使われるのみである。
 
 …となると、天使には叉骨はあるのだろうか。ペガサスはどうだろう?などと考えてみたくもなるが、キマイラは、進化の歴史から外れた生き物だから、除外するとして。でも、始祖鳥だったら、きっと叉骨はあるはず。となると、鳳凰もあるんだろう、叉骨。はてさて、どんな叉骨なのか。
 
 
 伝承魔術では、叉骨の使い方は、おもに2種類ある。

1・叉骨の両側に、2人がそれぞれ、小指をかけて、せーの、で引っ張り合う。骨がポキッと折れた時に、大きいほうの骨を手にした人は幸運。願い事を唱えると叶う、というもの。いわば運試しのゲームね。これが一般的。聞くところによれば、クリスマスやバースディパーティーの伝統的な余興だという。お骨折り、お疲れ様。
 
2・叉骨を、家の戸口、あるいは壁にかけておくと幸運が舞い込む。未婚の女性が戸口にかけたなら、結婚できる、というもの。あるいは安産のお守り。珍しいものをインテリアとしてお守りにする、というような意味合いなのだろうか。鶏は卵をたくさん産むから、安産とか結婚のお守りにはふさわしいのかも知れない。左右の鎖骨が癒着してV字型になった形にも、なにやら縁結びや癒合の力があるように感じられるのだろうか。
 
 だいたい、翼持つものは天意のメッセンジャー。鳥がとまったところ、鳥が飛び立った時、鳥が鳴いた方角。それらによって、人々は未来を占ってきた。屋根に黒い鳥がとまったら凶兆、白い鳥が舞ったら吉兆、などなど。
 
 ローマの建国者であるロムルス(Romulus、紀元前717年生)は、双子の弟のレムスと、どちらが王国の支配者にふさわしいかを決めるために鳥占いをする。それぞれが城壁を築くにふさわしいと考える丘に、祭壇を用意し、神意を問うたのである。まず先に、レムスが用意した祭壇には、鷲が6羽舞い降りた。後にロムルスの祭壇には12羽の鷲が舞い降りた。先に舞い降りたほうか?それとも数が多いほうか? なかなか難しい判定であり、結局、判定はできなかったのだが、鳥の行動イコール神託という構造であることは確かだろう。
 
 鳥に穀物をついばませるという占いもあり、これは中世ヨーロッパでも密かに行われていたらしい。キリスト教圏では占いは原則禁止ですから、魔女的にですけどね。26個の穀物を円に並べ、アルファベットに対応させ、鳥がどの穀物をついばむかによって占うというもの。他の象意に対応させてもよく、数は適宜変化し、もちろん人物に対応させてもよい。知りたいことはニワトリちゃんが教えてくれる、というもの・・・。でも、ニワトリに結婚相手を選んでもらうのって、ちょっとどうなのよ、とは思うわ。
 
 鶏どうしを戦わせる闘鶏は、もともとが戦の勝敗を占う鳥占いであった。これは、平家物語にも登場し、源氏と平家の運命を決める重要な役割を果たしている。
 
 
 さて、丸ごとローストしたチキンやターキーが食卓に上った時などは、叉骨を取り出す絶好の機会。が、叉骨って、細くて脆いので、乱暴に捌くと、壊れてしまって、わからなくなってしまう。脆くて珍しい。これも叉骨の神秘性を高める要因なのだろう。
 ペキンダックにも、叉骨はあると思うけど…。雉は?鴨は?などと、あれこれ考えてはみるものの、ペキンダックは予算の関係で無理そうだし、丸鴨、丸雉に至っては、入手方法がよくわからず。
 たまにケンタッキーフライドチキンに入った時や、鶏ガラを買った時などに、叉骨を探してみたけれど、やはりよくわからない。
 
 ええい、しかたないので丸鶏買ってみた。大きさにもよるが、私が購入したのは定価1600円…が3割引になったところを狙って。「あら、ローストチキンとか作るんですか?」と、顔見知りのレジのお姉さんに聞かれました。「え、あ、はい、まあ、そうね、時々。」とか、曖昧に答える私。叉骨が目的なんですよ、なんて本当のことは答えられないじゃないですか。

で、丸鶏、料理開始!

 当初はオーブンに入れて焼こうかと思ったんですが・・・わりと大きく、オーブンに入らず、蒸し鶏にすることに。ただ、腿を外して焼くというのはアリだったかも知れません。
 ローストチキンは、皮がおいしいのですが、あのぱりぱりの皮を作るには、塩を適当に擦り付けて、まず干します。皮が乾燥してから、油を塗って焼く。理想的には、半日ベランダで天日干しですが、冷蔵庫の中で、1日半ぐらい乾燥させてもOKです。とにかく、乾かしてから焼く。蒸すときにも同様で、まずは塩を擦りこみ、表面を乾燥させてから。そうすると、肉の水っぽさも消えます。塩は、肉の水分を吸収し、なおかつ肉を硬く絞める効果があります。

鶏皮が苦手という人は多いようですが、それは調理方法によります。私は、鶏皮は、なるべく外します。干してから、から揚げにすると美味しい。油で揚げる、ただそれだけで、鶏皮ってこんなに美味しいのか、と思います。コラーゲン、もちろんたっぷりですから。
  ペキンダックって、皮を食べる料理です。皮に水飴を塗って焼く。水飴を塗る前にはやはり乾かすのです。もちろん、鶏皮でも、似たようなものは作れます。

胸肉は、ぱさぱさしておいしくないとかって言いますけれど、蒸せばチキンハムが作れるんですよ。茹でるとぱさぱさになってしまって美味しくないんです。
 蒸すのは強火で、30分位はしっかりと、中まで火を通す。蒸したチキンは、冷めてから薄く切る。切れるナイフで本当に、薄~く。薄切りのオニオンとマスタードで、まずはサラダに。パンと、少々のクレソンかパセリがあれば、それで十分です。
 中華バージョンがお好きな人は、花巻きパンに、バンバンジーソース、キュウリかレタス、ウーロン茶でどうぞ。つまり、蒸し鶏は、パンと少々の野菜があれば、食卓が整います。前日に蒸して、冷えたら冷蔵庫に入れておけば、料理は簡単。

 丸鶏からは、もちろん、スープも取れます。蒸し器に溜まったスープを、スープストックに。冷えると固まり、冷たいスープジュレになります。
 
 と、ランチメニューのことはこれぐらいにしておいて。
 
 …叉骨の形からすると、ダウジングに使えるのではないか、と私は思ったわけです。V字型の両端を軽く持って、ダウジングロッドにできるんじゃなかろうか、と。…とりあえずやってはみますが、なんかコツが必要かも知れませんね。骨だけに。
 鳥の叉骨とダウジング。ダウザーの堤裕司氏に、鳥の叉骨でダウジングするという話はありませんか?と伺ってみました。それは聞いたことがない、というお返事をいただきました。ダウジングの専門家がそうおっしゃるのですから、これはやはり難しいのでしょうけれど…。う~ん、いかにもダウジングに適した形のようにみえるんですけど…? 
 
 楔形にもみえる叉骨を投げ、その尖った先で占う…というようなバリエーションも、もしかしたらアリかもと、叉骨の形を眺めているだけで、さらなる想像が羽ばたいてきたりもしますが。ああ、空想家の頭の中には、きっと、想像の叉骨があるに違いなく。

 ヨーロッパでは(おもにラテンの国、イタリア、フランスあたりの文化圏)、叉骨の形を模したアクセサリーを幸運のお守りとして売っているのを見かけるといいます。まあ、肉屋の店先で魔術用の叉骨を売っていたりは…しないでしょうけれど。                   (秋月さやか)